焦る竜
「やめろ、レーゲンユナフ!!」
友の酷く焦った声にレーゲンユナフは我に帰った。
ぼんやりとした思考が急にクリアになる。
喉の半ばにあるものをごくりとのみこんだあとあれ?と我にかえる。
俺は今、何を飲み込んだ?
ふわりとかすかに喉にからまる甘美なとてつもなく好ましい香りに脳髄ごと持っていかれそうになる意識をぐっと堪える。
この、今まさに喉の奥に押し込めた固まりはなんだったのか考えないとまずいとなけなしの理性が警鐘をならすからだ。
「グルゥ?」
首をかしけると視界がひどく拓けていることに気づく。
竜体になるなんて、何十年ぶりだろうかり
しかし、自分はいつのまに竜体になったのだろうか?
「吐け、今すぐ吐き出せ!!」
視界の端でメロデイアが叫んでいる。
、
無理をいうな。我々の胃は飲み込みに特化しているが吐き出すのはひどく難しい上に内臓を痛める。
というか、俺は一体何を飲んだのか…
メロデイアが焦るということはメロデイアの大切なものか?
「早くなさい、さもないとその無駄に出た腹をかっさばきますわよ」
地の底を這うような声と共にドスッと胃袋の下部をズシリと重い拳が突き刺さった。
「ゲフッ」
「さあさあ、お吐きなさいこの意地汚い大ぐらい!!」
ドスドスと容赦なく繰り出される拳を浴びながらレーゲンユナフは(あ、この感じ知ってるな…)と過去に意識を飛ばした、これはあれだ、魔獣の巣に忍び込んで雛をとろうとしたのがバレたとき母魔獣が激怒して攻撃を雨のように繰り出してくるときの感じ…
人型のマリイミリアと竜型のレーゲンユナフでは力の差が歴然としているためダメージはそこまてでもないが…怒濤のごとく繰り出されるその勢いにたじたじとなる。
「さあ!はやくお出しなさい!この駄竜!」
ドスッと一際重い拳がめり込む。
「オ゛エッ」
吐くのにはちょうどよい刺激ではある。
しかしマリイミリアの言うとおり食い意地のはっているレーゲンユナフの体は一度食べたものをなかなか出そうとはしない。そもそもそこまで食べ物にこだわらない竜人族において数百年かけて異種族の国々を旅して料理を食べまわり、その調理法を学ぶレーゲンユナフの食べ物に対する情熱はすさまじいものがあったし、その情熱によって鍛えられた体はよっぽど…それこそ竜にとっての猛毒…(そんなものは存在しないが)を味見したとしても見事に消化してみせるほどの強靭な内臓となった。
マリイミリアも幼い頃からレーゲンユナフの悪食っぷりをよく見ていた。食べられそうなものは全て、食べられなさそうなものもとりあえずは全て胃におさめていた悪食さ。
「ちょっと待って、マリイミリア、消化液が大量に喉に流れたらお嬢ちゃん溶けないかしら?」
「はっ!その可能性を失念しておりましたわ!!」」
「そもそも今どのあたりにいるのかしら?」
ぺちぺちと艶やかな紫色に塗られた爪をもつ手で腹を叩かれてレーゲンユナフは竜体の首をひねる。
二人は一体何の話をしているのだろうか?と。
そして、ふと、少し前まで話していた相手…ノヴァイハの番の小さな人族の少女が居ないことに気づく。
ああ、そうだ、彼女は…何を差し出した?
「レーゲンユナフの竜気に阻害されてお嬢ちゃんの気配を探せないわね…ついさっき飲み込んだばかりってことはまだそこまで下には落ちていない?」
「そうですわね…ならば、ここのあたりを裂いたら出てくるのではないかしら?」
「医務室に連絡飛ばしたからいいわよね、ノヴァイハが戻る前にちょっと裂いてお嬢ちゃん出しちゃいましょう、すぐにミルエディオもくるから我慢するのよどうせ死にはしないんだから」
「まあ、メロデイア、適当なことを言うのはよくありませんわ、ノヴァイハ様がいらっしゃったら手っ取り早くレーゲンユナフの頭と体を離されてしまいますもの、いくらミルエディオでもそうなっては流石に治せませんわ」
レーゲンユナフには二人のぽんぽんと進む会話が耳に入ってこなかった。
先ほど彼女が差し出したのは焼かれた匂いを強く纏った竜の鱗。
しかしその鱗は今まで嗅いだ何よりも甘く香っていた。
思わず食べてしまうほどに。
…食べてしまった?
あ、俺さっきお嬢ちゃんごと鱗食ったな。
さあっとレーゲンユナフは顔を青ざめさせた。
厚い鱗に覆われた灰色の竜の外見に変化はなかったが。
まずい、これはまずい。大失態だ。
かけつけたこの二人は何と言ってたか…
散漫になっていた意識を掻き寄せようとした時、鈍い痛みが喉の下を襲った。
ビシビシと音を立ててレーゲンユナフの体を覆う魔素を鱗を侵していく鋭く磨がれた竜気。
「レーゲンユナフちょっと堪えてちょうだい、時間がないわ」
メロデイアの、竜王種の圧倒的な力がレーゲンユナフの体を裂いて、こじ開けていく。
ギシャアアアア!!
竜の声がする。
痛みに霞む頭でもそれが己の声ではないことはわかった。
なぜならレーゲンユナフの声の代わりに口から出たのごぱりと濁った音と大量の血だったのだから。
「あ、こっちじゃない、こっちの方かっ」
のんびりとして聞こえる声の端に焦りがあるのは重すぎる竜の怒りの気配がすさまじい勢いで近づいてきているからだろう。
「メロデイアはやくなさい、ノヴァイハ様が戻ってきてますわ」
メロデイアをせかすマリイミリアの声にも焦りがにじむ、レーゲンユナフの裂いた腹の中に肩まで埋めたメロデイアが「くっ」と苦しそうに呻いた。
ぐちぐちと痛む腹を探られているレーゲンユナフも喉をぐうっと鳴らした。
痛みとは異なる…恐れ、絶対的強者の獲物となった恐怖が尾の端から背筋にかけてゾゾゾとかけ上がってくるのを感じからだ。
ヤバイ、俺、絶対死ぬ。
レーゲンユナフは死を覚悟した。
死間際に思うのはやはり番のこと。
ああ、残念だ。
番を、その手掛かりをみつけたのに、みつけたその日に大切な番を遺して逝くのか…。
いや、あの鱗はずいぶん小さかった。ならば自分の番は相当若いらしい。…ならば、ここで死んだとしてもまた急いで孵化れてきたら間に合うかもしれない。自分のように少し他の竜より長く待つことにはなるかもしれないが…きっと大丈夫だろう。自分のようにくだらない暇潰しをみつけてのんびりと待ってくれれば…
見上げた空に血を水で薄めたような薄赤い竜が表れた。
他の竜よりもほっそりとしたその竜の目は底から光るような鮮やかな紫でレーゲンユナフを見下ろしている。
「いたわっ!!」
ズルリッと傷口から何かを無理矢理引き出された感覚にえづく間もなくドンっとレーゲンユナフの全身は何かに吹き飛ばされた。
尾かブレスか。
それを確認することはレーゲンユナフには出来なかった。