見守る竜
メロデイアの開発した投影魔道具が写し出す森の惨状とヒューフブェナウの報告を聞き終わった現王ヘリディオフは重いため息をついた。
元々あの場所は魔獣の跋扈する淀んだ魔素の溜まる薄暗い森だ。
番と散策に出るような美しい景色などひとつもない場所だったからこそ、発見が遅れたのだろう。
画像だと言うのに、こちらにまで臭ってきそうなほどの腐敗した肉が串刺しになっている様子は凄惨の一言につきる。
横から通信を覗いていたヌェノサスは映像を見ながら書いていた手帳をパタンと閉じた。
「最近はおかしな事をする奴が居ませんでしたからね、これも求愛給餌と考えるならば…狂った竜人の行動としては規模が多少大きなだけのよくある行動と言えますね」
平然とそう言い切ってヌェノサスは窓の方へ向かい、先ほど書いた紙に魔力を込めた息を吹き掛ける。すると紙は小さな鳥の形となり窓から飛んでいった。
白い鳥を窓越しに見ながらヘリディオフは先ほど見た映像は今度、串刺肉を食べる時に思い出しそうだな、と思った。
…いや、あえてあの惨劇を忘れるために串刺肉を食べるべきか?
見て早々に旨い串刺肉を食べたらあの不味そうな肉達のことはすぐに忘れられるだろう。
そう結論を出した。
「よし、今日の夕餉は串刺肉にするか」
ヘリディオフのその言葉に、窓付近で控えていたヌェノサスは思わず幼馴染みの顔をまじまじと見てしまった。
ヌェノサスは先ほどの映像を思い出して食欲が無くなりそうな串刺し肉は夕餉に供するなと料理番へ伝えていたばかりだった。
どう見たらあの映像で食欲が刺激されるというのだろうか?
ヘリディオフはあれが、旨そうにみえるのか…?
竜王種は他の竜人とは感性がずれることが多い。これもそのひとつかもしれない。
そう思い直しヌェノサスは動揺した様子が表に出ぬよう堪え、
「腐肉を食べるのはやめてくださいよ」
モノクルの位置を直しながら幼馴染みへそう言うだけにとどめた。
しかし、ヘリディオフはその言葉に不快げに眉をよせた。
「当たり前だ、そんなものを出したらムエロニミラウヒューデリアが食堂に寄り付かなくなるだろう」
まったく馬鹿なことを。
そう言い、ヘリディオフは縦に入ってしまった眉間をゆるく揉んだ。
「ヌェノサス、お前は相変わらず冗談が下手だな」
ヘリディオフに呆れたように言われ今度はヌェノサスが眉間にシワを刻んだ。
「長く共に居るがお前の冗談のつまらなさは全く改善されないな、いや、これもある意味才能なのか?」
至極真面目な顔で感慨深げにそう言う頓珍漢な友を、ヌェノサスは不快感をあらわにモノクルア越し冴えざえとした青い瞳でにらみつけた。
「ヘリディオフあなたは相変わらず失礼ーーッ!?」
ヌェノサスはハッとした顔で言葉を止めた。
次の瞬間、どろりとまとわりつくような濃くて重い魔素が溢れる気配を感じた。
ちっと舌打ちをして魔素の発生源のある方向をヘリディオフはにらみつけた。
「ノヴァイハだな」
千々に乱れる強い感情が様々に入り交じり、それにひきずられ普段は押さえられている竜気が溢れ、それに精霊が引き摺られ形を歪めていく。
弱い精霊達は荒ぶる竜の気にその身を裂かれ次々と魔素へと還っていく。
その様はまさに混沌。
渦巻く魔素は原始の海のように全てを溶かすほどに毒々しい。
先ほどまで平然としていたヌェノサスは息苦しそうに呼吸を浅くしている。
力の弱い竜ならばこの魔素にあてられて今頃は地に這いつくばっているだろう。
この荒ぶる魔素の影響を防ぐためにノヴァイハと共に陣を描き、地下にしばりつけたのだが…
「番が見つかって少しは落ち着いたと思ったが…」
様子を見に行くか。
椅子から立ち上がろうとしたヘリディオフの前でブンと羽虫のような音を立てて魔道具が机の上で起動しはじめた。
すると先ほどまで薄暗い森の様子を写し出していた場所に、西の離宮の庭園にいるノヴァイハと番の姿が現れた。
明るい日差しと色とりどりの華々しに囲まれた庭園、しかしその明るさとは対象的に魔素はどろりと重い。
この庭園に比べれば先ほど見ていた森の方がよほど健全だ。
映像を送ってきているのはメロデイアなのだろう。
ノヴァイハを中心に渦巻く濃い魔素の中でも画像には乱れがほとんどない。
普段ならその技術力に感嘆するのだが…今はその余裕は無い。
なぜなら写し出されたノヴァイハの瞳は紫に染まっていたのだから。
淀み、どろどろと渦まく魔素の中で爛々と輝く二つの滅びの紫だ。
その瞳で番をみつめている。
魔道具からは声は聞こえない。
代わりに雑音ばかりが耳につく。
背筋が凍るほどの不穏な気配を滲ませたノヴァイハの狂った紫の瞳。
その唇から紡がれる言葉など、まともな言葉ではないのだろう。
過去にヘリディオフの前でノヴァイハに殺されていった狂った竜人達も…
同じ色の瞳で番への度を越した愛を滔々と語っていた。
正常な者にとっては、まるで毒のような聞くに耐えぬ愛の言葉。
しかし、竜人ならば決して近寄らぬ狂った愛を語っているヴァイハの腕の中に、ノヴァイハの番はするりと身を預けた。
ノヴァイハは驚いた顔をして、そして泣きそうな顔で震える手で番の肩を恐る恐る触れた。
そして何かを堪えるようにきつく目を瞑った。
次に開かれた時はあの瞳の色も少しは落ち着いているのだろう。
番が腕の中に居てもなお狂った竜など聞いたことがない。
先ほどまで荒ぶるままだった魔素も多少薄まっている。
「まったく、人騒がせな」
ヘリディオフは一つの生き物のように抱き合う二人を見てため息をついた。