紫の瞳と私
「竜人は胎生?それとも卵生ですか?」
それは素朴な疑問だった。
モステトリス君がわざわざ持ってきてくれた卵は予想の何倍も大きくて、殻はびっくりするくらい固かった。
私の頭と同じくらいの大きさなんじゃないかなぁ?
薄い青が内側から滲み出るような不思議な色の卵。
よいしょっと持ち上げて光に透かしてみても、鶏の卵のように中を見ることはできなかった。
何より重い。
掲げている手がぐらぐらしてしまう。
丁度ノヴァイハがやってきたのはそんなときだった。
そして、あの質問になった。
爬虫類が鳥の巣をおそって卵を丸のみにしているのは有名だし、そもそも、自然界で卵は狙われやすいもの。
動かず、反撃もしない、基本的に毒のない卵は自然界では貴重な栄養源だから。
でも、もし竜人が卵から産まれるのだったら?
こんなに知能の高い生き物が、同じような状態で自分の子供が産まれてくる卵を好んで食べるんだろうか?って。
もしかしたら卵で産まないで、妊娠してお腹で子供を育てるのかなって。
本当になんてことない疑問だった。
おもいつくままに、深く考えずに発した言葉。
けれど、それはノヴァイハにとっては辛い質問だったのかもしれない。
「竜人は人の形をとっていても本来の姿は竜だから、獣人族や人族とは違って卵から孵るんだ。卵はこれよりもっと大きくて形はもう少し縦長だよ」
そういって私が持っていた卵をノヴァイハはひょいと持ち上げた。
卵は中に水分がはいっているためか、ずしりと重くて持っている手がぐらぐらしていたから、落としそうに見えたのかもしれない。
そう思って見上げたノヴァイハの顔はにっこりと微笑んでいたのに、なぜかとても苦しそうだった。
そして、私はピンときた。
そうか、私はノヴァイハの子供を産めないんだ、って。
両手で持ち上げるのがやっとな自分の頭と同じくらいの大きな卵。
それよりも大きな竜人の卵。
私はそれを…絶対、産めない。
だって、物理的に無理だ。
そもそも胎生だからお腹で卵を作れない。
そこから出る結論は至って簡単なもの。
推理するまでもないその事実。
だからノヴァイハは何かをこらえるように微笑ったんだ。
思わず溢れそうになった言葉を呑み込むような、そんな表情。
遠い昔にどこかで見たことのあるその表情。
いいのに、そんな顔しなくてもいいのに。
だって隠しててもわかっちゃうよ。
『ごめんねーーー。ーーはーーーとーーれないの』
しってるよ。だからーーーといっしょにいたんだよ。
ーーがーーをきらいだったから。
ーーにーーるーをきらいだったから。
ねぇ、そうなら、ちゃんといってくれればよかったのに。
そんなかおしないで、いってくれたらたよかったのに。
わかってること、かくすほうがたいへんなのに。
小さな子供みたいな声が
頭のなかで響いた。
そうだよ。
言いたい言葉を飲み込まなくて良いのに。
優しい嘘で隠される方が嫌だから。
「ねえ、ノーイは子供が欲しい?」
そう聞いたらノヴァイハはぐっと喉に小骨でも刺さったような顔をした。
その表情からはノヴァイハがどう考えているのか私にはわからなかった。
「ツムギは子竜を産みたいの?」
ノヴァイハは私から視線をずらしてそっと側にあった台に卵を置いた。壊れやすい大切なものを優しく置くように丁寧に。
「質問に質問を返さないで。ねえ、ノーイは子供が欲しいの?
私と貴方の間に子供は出来るの?
私に…私に、竜人と同じように卵が産めるの?」
薄い赤い髪の毛が沙のようにノヴァイハの僅な表情の変化を隠す。
私は卵から離れたノヴァイハ指先にそっと触れた。
そして、その指先を握り、殊更ゆっくりと言葉を紡いだ。
「ねえ、ノヴァイハ答えて」
普段は言いにくいから呼ばない彼の本当の名前を呼ぶ。
丁寧にゆっくりと言えばきちんと呼べるその名前。
おそらく竜人の番同士にとって名前は特別なもの、お互いが名前を呼ぶ時には、何かしらの力が働いている。
漠然とだけれど、不思議とそんな気がしていた。
だから、きっとこの言い方は効果があるはず。
そして、その考えは決して検討違いなものでは無かった。
私の声にノヴァイハはビクリと体を震わせそしてこちらを見た。
薄荷色のチョコミントみたいな瞳の色が…
いつもより青が濃くなっている?
そう思ったら、ざわりとノヴァイハの周りの空気が変わった。
そして、みるみるうちにノヴァイハの色が底光りするような不思議な明るさの紫に染まっていった。
爛々とした紫色の中に黒く裂けた瞳孔。
それがひたと私を見すえる。
「産めないよ、ツムギは私の子供を産めない、竜の子を宿せるのは竜だけだ、ツムギ。君がどんなに求めようとも」
淡々と告げるその言葉は決して覆せない事実を述べていた。
異なる種同士だから、どんなに奇跡を望んでも宿ることはない。
絶対に変えられぬ世界の理。
けれど、細められた紫の瞳が私を見つめたままで言葉は続く。
「ねぇ、ツムギは産みたいの?このちいさなお腹に命を宿すことを望むの?」
ノヴァイハは椅子に座っている私に視線をあわせるように地面に膝をついた。
いつもは私が見上げているのに今はノヴァイハが私を見上げている。それを少し奇妙に思う。
そんな私の目の前でノヴァイハはうっとりと夢見るように微笑って私のお腹を撫でた。
紫の瞳は少しも笑っていないのに。
「ねえ、ツムギ、君は産まれた子を愛するだろうね。
君に似た子供はきっととてもかわいいだろうね」
そういってノヴァイハはお腹から手を離して、今度は優しく私の手をにぎった。
「君の柔らかなこの手で愛を伝えるのだろうね。
君の目は生まれたその子を優しく見守るのだろうね。
君の耳で幼子の声を聞くのだろうね。
君のこの唇で愛を込めて子の名を呼ぶのだろうね」
言葉に合わせてノヴァイハは私に触れていく。目に、耳に、唇に。
柔らかく優しく羽根で撫でるかのように繊細に。
そして頭をなでてから、両掌で私の頬を包み、そっと仰向かせた。
優しい手とは裏腹に、目の前の紫の瞳は背筋か凍りそうなほど冷たい。
「ねぇ、ツムギは私以外をその心に住まわせるの?」
不思議な紫色の瞳がぎらりと光った。