幻想郷入り 壱
次に彼女が目を開けた時に見たものは、相も変わらず何色なのか定まらない空の色と、何色にも含まれないような色をした地面だった。
何時間寝たのか、何時間起きているのか、そういった事は彼女にとって関係のない話だ。時空の狭間とはそう言う場所なのだ。いつ起きていようと、いつ寝ていようと、彼女にとってはそんな事はどうでも良い事だった。
眼を覚まして、周りを見渡しても、特に何か変わった物があるわけでもなく、何色とも言えない世界が何処までもずっと続いているだけ。しいて言うなら、彼女にとってここは灰色の世界であり、虚無の世界でしかない。時間も空間も、気温も空気も命も死も、光も闇も正義も悪も、感情も肉体も、もっと言えば森羅万象全てがこの場所においては混在し、そして何も形になりえない。
それは彼女でさえも例外ではない。彼女がこの世界において自分と云う存在を保っていられるのは、彼女自身が持つ力ゆえである。けれども、彼女はその力を決して好んではいない。むしろ、その力があるからこそ、この世界に閉じ込められた存在なのだ。憎しみと言っても過言ではない彼女のその力に対する悪意はあれど、皮肉にも、その力が無ければ今頃生きてはいけないというのも事実だった。
「まったく、嫌な力よね・・・」
一人で呟いてみても、誰かが反応するわけでもないのに、自然と口からこぼれてしまう。
「全くどうしようもないものよね。戦ってる時の方がよっぽど楽しいと思えるくらいね」
そう呟きながら、辺りを見渡してみたところで、何かがが応えてこちらに語りかけてくるわけでもない。色の無い世界がありもしない虚像を作り出すわけでもない。
白い生糸のような髪の毛をたなびかせながら、また踵を返すようにして歩き出す。
彼女にとってそれはいつも通りのあたりまえな日常に過ぎない。そもそも、彼女のいる世界は、他の世界と違い、日常があるのが当たり前ではなく、非日常があることが当然なのだ。彼女自身には変化はないが、あらゆるものが入っては出て行く次元の狭間とでもいうべき世界。そこに置いては、日常の出来事は非日常と言わざるを得ない。
そして、現に彼女の目の前でそれが起ころうとしていた。
“ばちちちちち ”
けたたましい音と共に、何もないはずの目の前の空間に突然穴が開く。穴が開くという表現はこの場合おかしいかもしれない。この世界における穴とは他の世界に通じる穴であり、それはいつでも空いている物で、必要となった時にだけ急激にその穴の存在がハッキリとするだけなのである。
そして、今回は『出る方』ではなく『入る方』だ。
「あら、この世界に漂流物なんて珍しいわね・・・。またあいつの仕業かしら」
彼女の脳裏には傘を差しながらほくそ笑む賢者の姿が映っていた。
それと同時に、彼女は今目の前の、この次元の狭間に入り込んできた輩がただの漂流物ではない事に気付いた。
「何かしらこいつ」
彼女はその物体を見上げる。ゆうに三メートルはあるであろう大きな物体が入って来たのだ。彼女もこの世界に来てから長くたつが、ここまでの物が漂流してきたことはない。
黒い玉のようにも見えるが、実際には錆の様な赤褐色の様な色をしている。触ってみるとざらざらしていて、本当に錆びた鉄の塊の様だ。
しかし、この世界に入ってきて形を維持していられるということは、ただの生物や物体と云ったものではない。むしろ、この物体に禍霊夢は嫌な予感がしていた。
堅いお祓い棒で少し殴ってみてもうんともすんとも言わない。
「う~ん。どうしようかしら・・・。まぁ、ここに置いておいてもそのうちどこかに流れていくからこのままにしておけばいいかしら」
と、とりあえず放っておくことにしようとした。
勿論この言い方をした理由は言うまでもなく、この謎の物体が動き出したからである。
ゴゴゴゴゴ
地鳴りのような音がしつつ、黒い玉がゆっくりと動き始める。と同時に、その球体の周りのざらざらしたものがひび割れ始める。
「ちょっ、一体何よこれ」
そう禍霊夢が口を開いた瞬間だった。
ビシャッ
空を切る音と共に目にもとまらぬ速さで、禍霊夢に向けてその黒い球体から枝様な物が飛び出てきた。しかし、それを間一髪禍霊夢は避ける。それと同時に相手に向かって数発の魔法弾をぶつける。
ガガガガッ
魔法弾が直撃するも、その堅い表面は一向にひるむ様子はなく、それどころか一層攻撃が増してくる。
なにこれ、本当にどうなってるのかしら・・・。
生物とも物体とも言い難いこの物質は何を求めるのか分からないが、執拗に禍霊夢を狙ってくる。彼女はそれをものともしないが、埒が開かないのも事実だった。
「しょうがないわね・・・」
そう言って、禍霊夢が手に力をこめ、一気に魔法を放つ構えを取った時だった。突然球体は攻撃を止め、今度は禍霊夢の魔法を受け止めるかのような防御の体勢に変化していく。
「あら、そんなにこれを受けたいのかしら。それとも降参かしら。まあ、どっちにしても私はアンタみたいな面倒なの放っておかないけど、ねっ!」
“ギュイン ”
空気を割く音でも、物が壊れるような物でもない。それは、空間の圧縮される音。禍霊夢の右手の中の高エネルギー体が出す音がその空間全体を覆うように音を増していく。そして、その構えから数秒も待つことなく、彼女は一気に手を前に突き出した。
「ハァっ!」
“ズガガガガガッ! ”
けたたましい音と共に一気に球体めがけて魔法弾が襲い掛かる。けれども、球体はそれを避けようとはしない。いや、図体から考えても距離的に考えてもその距離で避けることは万が一にも有り得ないと読んでの禍霊夢の一撃だった。当たれば確実に当たった物を、肉片も残さず消し飛ばせるほどの威力だった。間違いなく、彼女と同等の力を持つ物でないと受けとめることも、ましてや、受け流すこともできないはずの威力だった。
そう、当たって(・・・・)いれば。
彼女は油断していたわけでも、慢心していたわけでもない。ただ、純粋に確信していた。打った瞬間に見えた球体が耐えようとするようにガッチリとしているのを見て、彼女の勝利は揺るぎないものであった。
その瞬間を見るまでは。
「は?」
禍霊夢が見た光景は彼女にとって衝撃の事態であった。
端的に言えば、魔法弾が止められたのだ。がしかし、先にも述べたように彼女の魔法弾であれば触れれば即死、何も力を持たないものであれば消し炭どころか、灰さえも残らず吹き飛ぶであろう代物だ。それではこの状況を何と言えば良いのか。やはり止められているとしか言いようが無かった。
状況を詳しく言うとすれば、魔法弾が相手に触れることもなく、相手の目の前で、まるで見えない手で抑え込まれる様な、まるで野球のキャッチャーがボールを止めるかの様にぴったりと止まっているのだ。
明らかにそれは球体の仕業であろうが、禍霊夢はそれを予期してはいなかった。いや、そもそも予期できなかった。魔法弾を触らずに止めれるなんて聞いた事が無いし、そもそも触らずに止めるという発想が無かった。その思考の停止が直後の禍霊夢の判断を鈍らせた。
超圧縮された魔法弾が球体の前に留まったのはほんの一瞬だった。急激に消えた魔法弾の光が突如として現れた瞬間、禍霊夢にも見えない速さで魔法弾が倍以上の速度で返ってくる。
ドガッ
彼女の放った魔法弾が彼女の速度どパワーに上乗せするように攻撃力を増して返ってきた。そして、それは見事にストライクと言わざるをえないほどに、綺麗に禍霊夢の腹部に突き刺さった。
かろうじて光を感じた瞬間に取った禍霊夢の行動が、彼女自身の命を救ったと言っても過言ではなかった。人体の急所は正中線に集中している。それさえ守れば、致死率はかなりさがる。それがいままでそこまで役に立っていたかと言われれば、皆無であろうが、今回ばかりはそれに助けられたと言っても過言ではなかった。
魔法弾が突き刺さるほんの数瞬前に、彼女は手に持っていたお祓い棒を反射的に身の前で構えていた。
禍霊夢のお祓い棒は彼女が使うだけあって、それ自体も魔法の力を有している。そのため、魔法弾の攻撃ではほとんどお祓い棒は壊れない。今回はまさにそのおかげだった。
「ぐっ・・・、でもこれきついわね」
それもそのはずだった。お祓い棒は壊れはしないが、ダメージを吸収してくれるという訳ではない。むしろ、魔法の干渉を受けないだけで、魔法以外の影響は全てそのまま禍霊夢に来る。魔法弾の威力は殺せても、そこに乗っている速度と破壊力は殺せない。
禍霊夢の体は完全に地面から離れてしまっていた。
いや、そもそもこの地面かどうかもよく分からない世界において、バランスを取るという事は容易ではない。にもかかわらず、そんな高威力の魔法弾を食らえば、体ごと地平線の彼方まで持ってかれてもそれは至極当然のことに過ぎない。
「え、ちょ、まじ?」
がしかし、禍霊夢は球体がそんな事だけでは終わらないのを目にした。先程までの丸くガードするようなイメージの容姿とは打って変わって、今度は球体の内側から盛り上がるようにして、何かがこちらをねらうように突き出てきていた。それに、後ろの方では、既にそれを支えるような土台的な何かもうっすら見える。
「まずいまずいまずい。非常にまずいわね。こうなったら・・・」
禍霊夢は跳ね返ってきた魔法弾を止めるために、お祓い棒を通して一気に力を流し込む。
お祓い棒からは一気に黒いオーラの様な力があふれ出し、魔法弾を急激に抑え込んでいく
ギギギギギギッ
強烈なブレーキ音のような音が空中にこだまする。それは禍霊夢が力で無理矢理弾の威力を押しつぶした行為でもあるが、同時に、球体がエネルギーを溜めきり、今まさに撃とうとする合図でもあった。
禍霊夢は遠くに見えた光に背筋を凍らせた。そして、止めた魔法弾を全力で再び球体へと向かって弾き返すが、その時には既に球体は攻撃態勢に入っていた。
バリヴァリバリバリヴァリバリビジッ
けたたましい電磁音と共に、まさに光線と言っても差し支えないほどのエネルギーが、変形を遂げた球体の先端部分から射出される。
禍霊夢は目の前にある魔法弾が明らかにレーザーよりも出が遅いのが分かっていた。魔法弾を弾き返した反動で、急速度で後ろに下がる。距離を取って回避するという考えがあったが、禍霊夢の計算が少し誤っていた。
禍霊夢が体を後ろ向きに宙返りして頭を上げた時に目の前に映ったのは、まさに光だった。
言葉通りの意味としか言いようが無いが、状況を第三者的視点から見れば、禍霊夢の目の前には自身が跳ね返したはずの魔法弾が、球体の出したレーザーによって上乗せされた、超魔法弾とでも言うべき強力な弾となって跳ね返って来たのだ。
避けれる避けないの話ではない。禍霊夢の体の大きさとは比較も出来ないほどの大きさになった魔法弾が目の前に来ているのだ。
「う・・・そ・・・でしょ・・・」
思考が一瞬固まる。時間にしてそれはほんのコンマ一秒程度にしか満たないほどだろう。けれども、体はいままでの人生を反芻するかという位の時間止まったのではないかと思うほどに、禍霊夢の思考は止まっていた。
それでも、禍霊夢は状況を察し、一瞬の内に渾身の魔力を込める。
ガギィン
けたたましい衝突音が響く。禍霊夢のお祓い棒が先程受け止めた時と同じように、またも魔法弾を受け止める。がしかし、圧倒的に火力が足りない。体ごと一気に吹き飛ばされる。
「うっ、ちょっと本気でやばいわね・・・。これ」
魔法弾の威力は尋常ではない。この世界に穴を開けるぐらいの火力はあるのではないかという位のエネルギー量だ。
徐々に魔法弾の威力に押され、球体から大きく離されている。それどころか、みるみる加速していく。
魔法弾と禍霊夢の間ではものすごい魔力のぶつかり合いで、眩いばかりに光が飛び交ているが、それでも、禍霊夢の方が押されているのは明らかだった。
と、その時だ。球体が先程と同じように先端から高エネルギーを噴射したのが魔法弾の向こう側に見えた。
まずいとは頭で分かっていても体はそれに反応できない。今この魔法弾を避けても、直後のエネルギーは避けれないし、かといって魔法弾を盾にしても、このまま次元の彼方へと飛ばされるだけである。どちらの選択肢も良い選択肢ではない。けれど、彼女にそれを冷静に分析している時間は無い。そこは、いつも通りの勘に頼るだけだった。
ズドォォオン
球体から発射された高エネルギーが魔法弾を直撃する。この時点で、既に禍霊夢は防御態勢に入っていた。このまま次元の彼方へ飛ばされても消し飛ばない程度に自分の周りに障壁を張る。
魔法弾ごと禍霊夢の体は瞬く間に次元の彼方へと飛ばされた。この次元の入り乱れる世界で、次元の彼方まで飛ばされるのかどうかは禍霊夢にも分からないが、飛ばされながら障壁の中で一人考えを巡らせていた。
「面倒なことになったわね・・・。このままいくと光の速度越えたりしないかしら・・・。まぁ、別にそれだからって問題はないけれど・・・。とりあえず、割とあそこが安定していたからあそこに戻りたいのよね。まぁ、後の事は後でゆっくり考えようかしら」
自分の力で魔法弾の威力は相殺はしているが、それ以上に破壊するという事は出来ない。
禍霊夢はとりあえず、じたばたしてもしょうがないので、とりあえずは使った魔法弾分の魔力と闖入者による疲れを取るために、このまま何処かへと飛ばされるのをじっくりと待つことにした。
続く