ディアフリード・エクサランス
「さて、少々枠を外れちまうが、答え合わせといこうか。」
黄昏の執務室で、焰のように紅い髪の男は呟く。
「『アーカイバ』の記憶通りに創った『アルガスティア』がいつまで経っても完成しなかったのは、『鍵』がこの世界に無かったから。」
男の口元は笑っていた。
「『鍵』とは『鍵の男』が持つ力。その力は『アカシックアーカイバ』のレプリカ、いや、『劣悪な写本』ってとこか。それで十分だ、それで事足りる。必然か偶然か、この『破片の世界』を『ゼロ』の呪縛から解き放つ力を持ったあの男が現れた。」
だが恐らく、『鍵の男』、カルクトゥス・アルクェス・アインクルス・エバーエンドは、たまたまこの世界に転移してきたのではない。
ならば、奴が『ナニカ』に飛ばされてきたのだとしたら?
「本人に自覚があるのかどうかはわからねぇが、もはや意志や理由なんてどうでもいい。普通、そんなもんは『運命』に収束していくだけだ。」
だが『運命』は狂いだしている。焔色の男にはそれがわかっていた。
「『ゼロ』が創りだしたこの『破片の世界』が存在することで、どっかのだれかの思惑がうまく運んでいない。それを成す為に、『ナニカ』があの男を送り込んだ。だとして、それでどうなる?奴が解き放った『アルガスティア』でこの世界を切り裂いて、それで何が起きる?…ふむ。」
いくら知識があり、予感があり、もはや予知の域に達する先見の明があろうとも、世界の中からしか観測できないのではそこまでだ。
真実に至ることはできない。
普通ならば。
「この世界が『運命』をうまく回すために設けられた『集積所』だとしたら、集まってくるものはなにか。おそらくそれは『異能の力』だ。『理』というシステムから外れた因子。『運命』を阻害する要素。それをまとめて放り込んでおくゴミ箱…ゴミ箱の最大勢力なんて自慢にならねぇな…。」
だがこの男、トップの存在しない組織として知られているはずの『破片の世界』最強戦力『軍』の最高司令官にして『後天的特異点』であるディアフリード・エクサランスは自らの考察のみでそこへ辿り着く。
「この感じ、どうやら奴は『アーカイバの写本』以外のパーツに気づいてやがるな。パーツは別に直接『アルガスティア』に組み込まなくても次元を裂くだけの力を出すことが出来る事にも。そのうえで『パーツ』を有した組織に発破をかけてリュオルースに集めたわけだ。ド級の面倒くさがりか、効率を再優先で考えた結果か、どっちにしろ自分を囮に使う程度の度胸はあるみてぇだが。」
そしてその考察を裏付けるのが、『少女』の存在だ。
「あの少女は『アルガスティア』の能力を引き出すため、単に『無』の要素として召喚されたに過ぎねぇんだろうが、この世界の人間たちへのメッセージでもあるんだろう。大体この世界に完全な『無能力者』は存在してねぇ、飛ばされてきたなら元から持っているし、生まれたならその瞬間に発現する。それがこの世界のルールだ。」
ならば『無能力者』という唯一の特異性を持った彼女の存在は、この世界のルール外からの干渉によるものだ。
「他の世界とは違う目的で存在する『ゴミ溜めの世界』、それに気づかせるための要素でもある、まったくお節介な奴だぜ、誰だか知らねぇけど。」
男はふむ、と一度自分を区切る。
「俺の答えはまあ大体こんな感じだ。」
それは問いかけでもあった。すると先程まで無言で彼の話を聞いていた人物が口を開く。
「流石です、ディア様。」
彼を愛称で呼ぶのは、傍らでディアフリードの独り言のような答えを聞いていたメイド服の少女だ。
「ほぼ正解、といったところです。」
少女は柔らかな笑顔を主へ向ける。
「1割程度は外したか、その方がおもしろいけどな。」
「その1割、『視』ることも可能ですが、どうされますか?」
「いや、構わねぇ。お前の『本物』は奴の『ニセモノ』とは違う、『アーカイバ』に干渉し過ぎると情報に飲まれて精神をやられるからな。」
「…ありがとうございます。」
この少女は、『世界』全てを読み解く事ができる能力『原典・アカシックドミネイター』を持つ全世界唯一の存在である。
『ゼロ』と同等の権限を持ち、『特異点』と同等でありながら異なるカテゴリに属する。
『破片の世界』最大勢力の『軍』最高司令官ディアフリード・エクサランスの専属メイドという形で『守護』される彼女は、ユシェル・アンクネイト。その能力は、元は彼女の姉の物であった。
「お姉ちゃんなら、もっとうまくこの『眼』を使えたのだと…今更と知ってても、思ってしまいます。」
「そんなもん使いこなせた方が不幸だ。」
「…すいません。」
その謝罪は不自然だったかもしれない。
しかし、彼と彼女の間では、それで構わない。
ただ1つだけを救えなかった彼は償い続ける。
誰からも与えられなかった罰を、自らに与え続ける。
それが生む不自然は、全て許容して生きていく。
全てを救えなかった『彼』もそうであるように。
がちゃり、という音とともに、執務室に人が入ってくる。
ディアフリードと同じ紅色の髪を束ねた女性は、眼鏡を直しながら彼に厳しい眼を向ける。
「またユシェルを連れだしたのですか、兄さん。」
「連れだしたとか…ユシェルは俺のメイドだぜ?用があったから呼んだだけだよ、リアン。」
リアンフェルト・エクサランス。ディアフリードの妹であり、『軍』最高司令官秘書である彼女は、その言葉に小さくため息をつく。
「ユシェル、紅茶を淹れてくれる?貴女と私の二人分。」
「おーい、あからさまにハブるのやめね?」
「兄さんはコーヒーしか飲まないでしょう?」
「いや、だったら俺にはコーヒーを…」
「紅茶だけでいいわ、ユシェル。」
一応主をうかがうユシェルだが、主の仕草に苦笑しながら部屋を出て行く。
リアンは自分の椅子に座り、持っていた書類を執務机に並べていく。
「報告があります。」
「ユシェルを退室させなきゃいけないような報告かよ?」
「え?何を言っているんです。別にあの子が居ても問題ありませんよ。」
「普通に紅茶飲みたかっただけかよ…」
「『狂神』が『軍』管轄内で暴れているようです。」
「はー?また面倒だな、『英雄クラス』は出払ってるし、俺はこの後リュオルース行くしなー。」
「は?リュオルースに?」
「ああ、『鍵の男』に会いにな。」
場合によっちゃ、一気に進展するだろうな、『ダレカ』さんの思惑通りに。
「たまには踊らされるのも悪くねぇかもな。」
「何を意味深に笑いながらカッコつけてるんです、執務はどうするんですか。」
「そんなのほぼお前がやってんだろ?しばらく任されろよ。」
「ほんと戦闘に関する事以外はポンコツですね、このような馬鹿がトップだと知れたら『軍』は一気に軽んじられる事でしょうね。」
「お前が居るから大丈夫だろ、大体、女だからとかいう差別的な理由でトップの地位を俺に押し付けたのはお前だろーよ。俺に出来る事はお前にもできる、そうだろ?」
「だがリュオルースには俺が行く、と、そういうことですか。」
「荒事には男が出向く、そういうもんだ。ちっとは兄の気持ちを理解しろよ、妹。」
「理解できるから不快なんです、兄さん。」
そして、ユシェルが戻ってくる頃には、ディアフリードの姿は執務室から消えていた。
特に驚くことも無く、ユシェルはテーブルに紅茶を並べる。
「ありがとう、ユシェル。」
「どういたしまして、リアンちゃん。ディア様は…行ったんだね。」
「ええ、全くどうしようもない男ね。」
リアンはティーカップに口を付ける。
「ディア様が動かれたなら、『鍵の男』と会ったなら、多分、近いうちにこの世界は変わる。」
「そうね、その時の為に私達はできることをする。たちまちは『狂神』の抑制ね、私が出るわけにはいかないから、適当な人材を集めないと。」
「忙しくなるね、私に出来ることがあれば言って?少しずつだけど、『眼』の使い方も分かってきたから。」
「貴女に頼らなくていいように努力するわ。」
ユシェルは小さく苦笑して、紅茶を口に含んだ。
その『眼』で、ぼんやりと世界を俯瞰しながら。