第四話 曳小森ニイト
曳小森ニイトは長らく閉じこもっていた部屋からようやくにして、出た。
いつもは頼めば出て来る食べ物や飲み物が届かなくなっては、どうしようもない。部屋から、出るしかないのだ。
父母の姿はなかった。それどころか、どうも家全体から、生活感とでもいうようなものが失われているような気がする。
そういえば数日前から、家の中で物音などを聞いた覚えがない。配達物も部屋の前に届いていない。
それは、ニイトが気付かぬふりをしていたことだった。
現代社会においては、オンライン商店が使えなくなることは、緩やかな死を意味する。アカウント停止の原因となった家族を切り捨てることで、アカウントの再利用申請をする事例があることは、ニイトも知っていた。
家族という結びつき自体が、ニイトの前の世代より、すでに崩壊しつつはあった。今親であったり、親の親である世代というのは、ちょうど若者だった頃、最も虐げられ、搾取されていた世代であったという。自殺者数は各地の内戦で死亡する人数に匹敵するくらい多くて、それなのに結婚・出産に至る率が年を追うごとに減少の一途をたどっていた。そんな時代だ。
そんな時代を何とか生き抜いてきた者たちの多くが、世の中というもの全体に対して恨み、憎しみ、不信を抱いている。その影響は、まさに結婚率、出産率という形で如実に表れていた。
家庭を持つこと自体がマイノリティ、少数派に回ったとき、社会は全体として、家庭を持たぬ生活スタイルを前提として再構築されるようになる。それまで多少なりとも手厚く扱われてきた子どものいる結婚家庭への保障は僅かずつ削減され、日々の生活を蝕んでゆく。
それで、家庭を持たぬ者たちが豊かになったわけではない。多くの者がそれで生きやすくなったわけでもない。だが、それでも彼らはそうした。そこにあったのはやはり、恨みと、憎しみと、不信から来る復讐であっただろうか。
家庭を築くということが物質的にも精神的にも利益に値しない。そんな社会は、ニイトが生まれる以前よりすでに訪れつつあったのだ。
そんな歴史的経緯など、ニイトはもちろん知らない。だがそれでも漠然とだが、家庭というものが。家族というものが、強固なものではない、という認識だけは、しっかりと根付いていた。
家族に捨てられたり、離散したり。そんなのは、日常茶飯事。それがニイトの生まれた時代の現状だった。
ニイトの両親も、そうしたのかもしれない。いやもしかしたら、ずっと前からそうだったのかもしれない。
いやいや、そもそも自分に、両親などいたのだろうか。ただアカウントから請求される額のお金を支払ってくれる、それだけの存在がいただけじゃなかったのだろうか。
どうでもいいことだ、とニイトはいつものように、己と外界とを遮断した。少しずつ少しずつ、色んなものごとへの興味を失っていって、そのどこかの段階で、自分にとって不都合なことを見なかったこと、聞かなかったことにする技術を身につけた。代わりにニイトの中で膨らんだのは、わがままさと傲慢さだ。ニイトの中につくられたのは、ニイトひとりの王国であった。
その王国が外部の援助で成り立っていたことに、ニイトは気付いていなかった。いや、気付いてはいたが、これもまた気付かぬふりをしていたのだ。
国は倒れた。ニイトは今や、王ではない。
真っ暗な部屋をあーあーと低いうなり声を上げつつふらふら歩き、冷蔵庫を漁る。未開封のボトル入りコーヒーを発見したが、それ以外には何もなかった。
どうしよう、と思った。今すぐどうこうというわけではないが、このままではすぐに食糧が尽きてしまう。
ネットで食糧が調達できなくなった今、手に入れるには、外に出るしかない。
今、家の外がどうなっているのか。それは未知の領域であり、大いなる恐怖でもあった。
結局、ニイトが勇気を奮い起したのは、三日が経過し、部屋にあった食糧と、見つけたボトルコーヒーを飲み干したあとのことだ。
出るぞ、出るぞ、と自分に何度も言い聞かせ、ようやく、ドアに手を掛けた。
もう、いつぶりかもわからない外の世界だ。目が光に慣れるまでまぶたを閉じたり開いたりしてから、辺りを眺めた。
変わったような、まったく変わっていないような、よくわからない感覚だった。そもそも、部屋に閉じこもる前に町並みがどうであったかも、ほとんど覚えていない。
けれども全体的に、何だか静かになって、スッキリしているような。そんな気がした。
記憶を頼りに、とぼとぼと歩き出した。確かこちらの方に、コンビニがあったはずだ。弁当と飲み物と、あとはスナック菓子を買おう。これから先どうなるかわからないのだから、今持っているお金は大事に使わないといけない。それくらいのことは、ニイトにだって判断できた。
ニイトの計画は、すぐに打ち砕かれることになる。
思っていた場所に、コンビニはなかった。もともと入れ替わりの激しい業種だ、そういうこともあるだろう、とは予想していた。
頭を働かせて、近所の地図を思い出す。近くにコンビニは、あと二軒、あったはずだ。
だがそこにも、コンビニはやはりなかった。
ニイトは物陰にへたり込んだ。ずっと動かずにいた身体は、持久力を失っている。すぐそばにあった自動販売機に硬貨を入れ、コーラを買う。自動販売機は、どうやらきちんと管理されているようだ。
昔の記憶は役に立たない。ここに至って、ニイトはそれに気付いた。それほどまでに、町並みは変貌しているのだ。
そういえば人を見かけないことにも、ニイトはようやく気付いていた。誰かいれば、手近なコンビニやスーパーの場所を聞こうと思ったのだが、さまよっている間、ただ一人の人間にも出会わなかったのだ。
時折車道をトラックやワゴン車が通り過ぎていくので、何かの映画のように、ニイトだけを残して人が消えたわけではないと思う。ただ、徒歩や自転車で街を行く人の姿をついぞ見かけないのだった。
日中、生身で出歩かないことが常識になっているなど、ニイトはもちろん、知る由もなかった。
どうしよう、と自動販売機のそばに座り込んで、途方にくれていたときだ。
ニイトは視界に、人影らしきものを捉えた。歩道を、ニイトのいる方へと向かって歩いてくる。
ニイトと同じくらいの年頃と思しき女の子だ。だが、その格好はあまり女の子らしくない。明らかに染めたものと思われる金髪で、スカジャンを羽織り、周囲を威圧するような歩き方をしている。不良。チンピラ。昔はそう呼ばれていた類の人種だ。
それでも女の子だとわかったのは、その胸元が、誇示されるかのように大きく盛り上がっていたからだ。
ニイトは目が合わないよう、顔を伏せた。そのまま何事もなく通り過ぎてくれるのを願った。確かに人に会いたいとは思っていたが、それは道を教えてくれるような親切な人であって、こういうのじゃない。こういうのには係わり合いにならないのが身のためだ、とニイトは知っていた。
だが願いも空しく、そのチンピラ女子はニイトの前で足を止める。
怖々顔を上げると、獲物を見つけたような嬉しそうな笑みを浮かべた女の子がいた。
絶望に震えるニイトに向けて、その子は口を開いた。
「なあお前、何か食いモン持ってねえ?」
適者生存、という言葉がある。
自然界において、生存競争の結果として、その環境に適した、または有利な性質を持つ個体が生き残るという現象を表した言葉だ。またこれにより、個体数が増減し、推移していく現象を自然淘汰と呼ぶ。
そしてもう一つ。家畜や栽培植物など、ヒトが自分たちに有益と思われるものを意図的に増やしてゆき、環境を推移させていくことを人為淘汰と呼ぶ。
オンライン商店への一極化は、これもある種の人為淘汰であったといえよう。
だが多くの人々は、それが人の為すものである、と考え、認識してはいないようであった。それはあくまで自然淘汰であるように。時代の流れ、環境の変化に伴って、「自然に」そうなったものだと。そういう道すじがあり、それはなるべくしてなったものなのであると。当時の人々は、そのように認識していたようであった。
強いものが生き残る。それが適者生存である、と。そういう誤解が、蔓延していた。
適者生存の前提となるのは、個体の持つ性質が広く散らばっていること。つまりはバラエティに富んでいることである。それが前提にあってこそ、その中から環境に適合した個体が、適者として生存してゆくのだ。
弱肉強食、強いものだけが生き残ってゆくのだ、という考え方は、適者生存という自然原理に大きく反しているといってよい。強者が弱者から多くを奪わないことは、環境を維持し長く生きてゆく上で至極当たり前のことだ。
小さな部分で見れば。景気が悪化し、それを保持するための資金と人員を確保できず、中小の商店が失われたことは、淘汰であるともいえる。
だがその結果として。
もしも一つ一つの商店を生き物であると考えたとき。それらの種としての分散が失われ、一極に集中してしまったのであったなら。
それは種としての、滅びのはじまりでもあったのだろう。