第二話 曳小森ニイト
曳小森ニイトが物心ついた頃というのは、ちょうど実在店舗からオンライン商店に人々の主流が移りつつある頃だった。街中の店舗はほとんどが統合された大型店舗とスーパーマーケット、複合型のショッピングモールばかりだったが、いくつかのチェーン店でない飲食店は生き残っていたようであったし、ごくたまに家族で外食に出かけることもあったように記憶している。
母親は日用品をまだスーパーマーケットへ頻繁に買いに行っていたし、父親は新たなエアコンを購入するために家電量販店へ赴いていた。多くのものをオンライン商店で購入するようになってはいたけれども、それでもまだ、店舗へ足を運ぶ、という意識は残っていたのだ。
母親がスーパーへ行かなくなったのは、ニイトが中学生になった頃だったと思う。その頃から、オゾンやライブのビニール袋に代わって、ミツリンやラクエンの段ボール箱が家の中で目に付くようになった。当時のニイトにはそれが何を意味するのかはわからなかったが、今ならばそれは、母の生活スタイルが変わったことによるものだったのだとわかる。
そういえば、外出する、ということが簡単なことでなくなってきたのも、中学生になった頃だったように思う。
紫外線とか、黄砂とか、PM2・5とか。車の排ガスだとか、酸性雨だとか、放射能だとか。ともかく家の外は有害な物質で溢れているらしくて、閉ざされた乗り物を用いてでない徒歩での外出は勧められないだとか、確かそんな風潮になっていたはずだ。
はずだ、というのは、その頃にはニイトはすでに中学校をドロップアウトしかけていて、もうまともに通学なんてしてはいなかったからだ。
そんなこんなが組み合わさって、外出という行為は数年ほど前にはすでに相当の重みと労力を伴うようになっていて、ウェブ上に数多あったオンライン商店や通販ストアはミツリンとラクエン、それからヤッホーの三つくらいにだいたい統合されて、今ではその三つで、世界中で製造販売されているすべての商品を部屋にいながらに注文することができる。できた。
父や母と顔を合わせることもなく、家族用に割り当てられたIDを用いて、食料品から日用品、そして嗜好品まで、ニイトは好きなものを注文し、それらを消費しながら、ただ己のいる一部屋のみで過ごしていた。
そんな生活に変化があったのは、つい先ほどのことだ。
ミツリンからの注文が、できなくなったのだ。
いつものようにコーラを一ケース注文しようとしたところ、注文が受け付けられない旨のメッセージが表示された。
『このアカウントは、現在ご使用になれません』
すぐさまメールを確認してみると、確かに、アカウント一時停止のお知らせ、という件名でミツリンからのメールが届いている。
早速開いて読んでみる。何やら小難しいことが長々と書いてあるが、要は、このアカウントから送信されたクレームが内容、分量ともに不当なものであり、業務を妨害するものと判断してアカウントを停止した、ということであるようだった。
確かにニイトは、このアカウントから何度かミツリンのサポートセンターへクレームを送っている。だがそれは、配達がニイトが必要と思った時間より遅れたり、味や使い心地がニイトの満足するものでなかったり、受け渡しの際にお金を要求されたので断ったら持って帰られたりといった、明らかにミツリン側に非のある際に送りつけたのであって、それはどれもが正当なクレームであり、なおかつミツリンのサービス向上にも繋がる貴重な意見であるはずだった。
なのにいったい何だ、この仕打ちは。
腹を立てたニイトは、立て続けに十本のクレームメッセージを書いて、サポートセンターへ送りつけた。
まあいいや。今日はラクエンから注文しよう。
ラクエンのショップページを立ち上げ、IDとパスワードを入力する。
返って来たのは、驚愕の表示だった。
『このアカウントは、現在ご使用になれません』
小規模店舗を駆逐した大規模店が春を謳歌したのかといえば、決してそうではない。
街角から小さな商店が消えてゆきつつある頃、もう一つ重要な事柄が、やはり実行力を伴う何の手を打たれることもなく進行しつつあった。
若者の車離れ、と俗にいわれていたものだ。
若者が自家用車を買わず、乗らなくなった。そういわれていた。
様々な論がある。若者に購買力がなくなったからだ。生活のサイクルに必要がなくなったからだ。維持費、燃料費が高騰し、所持しているメリットがなくなったからだ。そもそも若者といわれる年代の数自体が激減しているからだ。
おそらくどれもが正しくて、そして要因は一つではなかったろう。
だがそれが叫ばれていた頃には、それでも車はまだ売れていたし、テレビのコマーシャルはその多くを自動車会社が担っていた。
時は流れて。当時若者といわれていたものたちは今や中年や老人となり、その下の世代はビジネスシーン以外で車を用いることはほとんどないといわれている。老人しか観なくなったテレビからも、車のCMは完全に消え失せた。
大規模店は、それらのほぼすべてが、駐車場を持っているか、近場に提携駐車場を契約している。つまり、その集客圏は自動車を用いてのものを想定してマーケティングを行っていた。
だが、いつ頃からかその想定は少しずつ崩れてゆくことになる。
駐車場には空きがあるのに、駐輪場はいつも飽和状態。それだけでなく、停め切れなくなった自転車が、店先をずらりと取り囲んでいる。そんな光景が、どの店を見ても目に付くようになった。
客の生活圏が、狭まっている。そう判断せざるを得なかった。
そして大店舗の多くは、本来想定していた来客層の範囲を、大幅に縮小せざるを得なくなる。提携駐車場の契約を打ち切る店が次々に増えた。
追い討ちをかけたのが、その頃急速に広まっていた「外出すること自体が人体に危険を及ぼす」という風評だ。それらが正しかったのや否や、評価研究は今も続いていて答えは出ていないが、ともかくその風評は、多くの人間、特に婦人層をオンライン商店中心の生活サイクルに走らせた。
結果として。小規模店舗を駆逐して膨れ上がって大型店舗。そしてチェーン店も、その数をじわじわと減らしてゆくことになる。
跡地を侵食していったのは、様々な物品の在庫だけを詰め込んだ、大きな大きな倉庫だった。
オシャレな外観のカフェが潰れる。その跡地に倉庫が建つ。その隣の携帯ショップが次に潰れる。その後にまた、倉庫ができる。カラフルな外観の店舗が減り、無機質な色を見せる倉庫が拡張してゆく。
そんな光景が、各地で見られた。
ミツリン、ラクエン、ヤッホー。国中に立ち並ぶ倉庫には、そのいずれかのマークと看板がもれなく掲げられていた。