四 階段の踊り場 1
後ずさりして、気づく。のぼってきた階段の踊り場にも人がいた。こっちも楽しそうに踊っている。
「……この様子じゃ、他の階段も無理か」
さっきまでとちがって無気力な声。あたりまえだよ、こんなの見せられて元気になる人なんていない。
もうダメだ。この踊ってる人たちが今に襲いかかってくる。それで、終わり。
その瞬間を、目を開いて待つなんてとてもできなくて、わたしはまぶたを強く閉じた。
だけど、異変はなにも起こらなかった。
そっと片目だけで様子をうかがってみると、あいかわらず彼らは踊っているだけだった。少し動いてみた。それでも反応は全くない。
横に立つ木津くんを見てみる。木津くんも覚悟したように目をつぶっていた。
怖いのは一緒、なんだ。
人数は五人。場所をいっぱいに使って、くるくるとまわってる。一人目が手を振り上げ、二人目は軽く飛び跳ね、三人目は手を下ろし、四人目は両手を交差して、五人目はお辞儀する。それが入れ替わって繰りかえされる。
なんだか、規則性を持ってるみたい。
いち、に、さん……ちがう。もう一度、落ち着いて。
いち、にぃ、さん────ちょうど六拍目で、人が一人通れるくらいのすきまができる。上への唯一の道。
「木津くん、通れるよ」
「あいつらの間を割って入っていく気か? 邪魔したらなにされるかわからないんだぞ」
「邪魔しなかったら、大丈夫だと思う」
今だって、こんなに近くで話しているのに、彼らはわたしたちに注意を向けてこない。
「どのみち、上に行かなくちゃいけないんだから、行こうよ」
「なんで急に強気になるんだ」
ぜんぜん強気なんかじゃない。できることなら木津くんの後ろに隠れていたい。でも、一緒に行こうと言ってくれた木津くんの力に、少しでもなりたい。ウザイと思われたままなんて嫌だよ。
「六拍目で行くから」
「失敗したらどうする。それに近づくだけでも危ないのに。おいっ」
腕をつかまれたまま、ゆっくりと近づいていく。木津くんはなにか言いたそうにしたけど、付いてきてくれた。
踊り場の一段下の階段に立つ。
五人は、相変わらずこっちを見ない。透明で消えたり現れたりする。男子だと思ったら、次の瞬間には女子に変わっている。顔の区別は全くつかない。ただ楽しそうにしているのがわかるだけ。
木津くんの手が離れて、心細くなる。心臓が鳴って、うまく数えられない。目がまわりそうになる。
やっぱり怖い。
「丹、一緒に数えよう」
握りしめていたこぶしに、木津くんの手がとん、と当たった。たったそれだけのことなのに、耳に響いていた音がやんだ。
「いち、にぃ、さん、しーの、ごぉ、ろく!」
なるべく身体を小さくして、隙間に飛び込んだ。右足で踊り場を踏んで、そのまま弾みをつけて左足は階段へと向かう。一瞬、指先が触れそうになったのでかがんだ。
目が合いそうになって、わたしは腕で顔を隠した。頭が階段の角に当たって痛かったけど、それでも動かずにいた。
たぶん数秒だったと思うけど、ものすごく長く感じられた。
「丹、おい、丹っ」
肩を揺すられて、わたしは飛び起きた。木津くんが心配そうにそばに膝をついている。
「大丈夫か?」
「木津くんこそ……」
聞きながら、そっと視線を踊り場にやる。相変わらず五人は踊りつづけている。何事もなかったかのように。赤い唇が、笑ってる。
汗が一気に噴き出してきた。よくあんなことできた。
後ろを振り返らずに階段をのぼる。ようやく三階。あと少しだ。なにごともないようにと願うけど、叶う気がしない。
ふるえるわたしに、木津くんが明るく声をかけてきた。
「あの三人のうちの一人がウロウロしてる」
木津くんは窓の外を指差した。さすがにこれだけ離れているから、わたしも安心して近づける。
青春の像の一人が、茂みを掻き分けたり、地面に這いつくばったりしている。なんだかおかしい。気づけば木津くんも笑ってた。
「ちょっとかわいいね。好きな女の子の写真をさがしてるんだよね」
「かわいいかあ? 写真さがすヒマがあったら、好きな子のところに行ったほうがいいと思うけどな」
「みんな内気なのよ」
「ははは、像のくせに内気? というか、相手は誰なんだろう」
「さあ……」
そんなの知らないほうがいい。また動く像なんかに会ったら、たまらない。
「まあいいか。ところでさ、しがみつくのやめない?」
「あ、とゴメン」
ついつい裾を引っ張ってしまっていた。これじゃあ木津くんは歩きにくい。わかってるんだけど、ちょっとしょんぼりしてしまう。腕をつかんでもらうまで、待ってなくちゃいけないのかな。
「こっちのほうがいいと思う」
左手をさしのべられた。
よくわからなくて、ただ見つめてしまう。そしたら木津くんは怒ったように唇をとがらせた。
「つなごうって言ってんの」
「え」
思いもよらなかった。わたわたと焦ってると、木津くんは手を握ってきた。怖くないのに、心臓が跳ねる。
「丹ってさ、ぶつかったりぼんやりしたりするのって、もしかしてただの性格?」
「わたし、受け狙いだなんて、ただの一度も言ったことないよ。低血圧で、特に朝はひどいし。血圧なんて80だよ?」
「下が?」
「上が! 100なんて滅多にいかないんだからっ」
つないでいる手を振りまわすと、木津くんが悪かったと謝ってきた。
「ウザイは取り消す。いや、じっさいは本当にウザイんだけど、言いすぎた」
キツイなあ、もう。ちょっと慣れたけど。
「わたしも人にぶつからないように気をつける。血圧も気合であげてみせるから」
「気合で上がるのかよ」
このままおしゃべりして、屋上にたどりつきたかった。でも、そんなに甘くはなかった。前方から、きれいな歌声が聴こえてきた。
「今度はピアノと歌か」
「音楽室は一階だよね。ピアノはそこと、体育館しか置いていないはず」
どちらもここからは遠い。どんなに静まりかえっていても、聴こえてくるはずない。
「別の道ってある? ほら、隠し通路みたいなのとか、そういうの。ザッケンの人って知ってるんでしょ?」
「学校は忍者屋敷じゃない」
つまり、やっぱり行くしかないということか。でも音が聞こえるほうが、心の準備ができるからマシかも。マシだよね。
歌声に近づいていくけど、どこから出てるのかさっぱりわからない。爪が食い込みそうなほど、お互いの手を握りしめる。
「どこからだ?」
すぐそばで聞こえる。でもここはただの教室で、ちらりとのぞきこんでも誰もいない。
「わからないなら、わからないままで……」
木津くんを見ようとして、その向こう側に目がいった。わたしは木津くんの手を強く引っ張った。その合図にすぐに気づいてくれて、二人で壁からそっと離れる。
壁には一枚のポスター。
白い紙はうすぼんやりと浮かんで見えた。歌う生徒は拝むように手のひらを合わせてる。
「動いてる……」
唇が歌詞にあわせて、開いたり閉じたりする。そしてその前に、指揮棒を振り上げる女の子がいた。髪の毛が揺れている。
「これって合唱祭?」
紙のなかでは、まさに合唱祭が行われている。歌声は高く響き、とてもきれいだった。ピアノが最後の一音を奏で、歌は終わる。
指揮者が手を下ろした。
ゆっくりと指揮台からおりて、振り向こうとする。
わたしたちは同時に駆け出していた。拍手する余裕なんて、あるわけがない。




