三 裏門は正門 2
控えめに叩く音がつづく。横開きのドアがかすかにきしんでいる。
『あけて、あたし今、理科室のなかにいるの』
「だれ?」
あ、馬鹿だわたし。相手にしちゃった。
『あたし? あたしの名前はね』
最後まで聞くことは出来なかった。木津くんと一緒にわたしは走っていた。
後ろでは理科室のドアがガタガタとものすごい音をたてて揺れている。あけてあけてと、野太い男の人の声でわめいている。
わたしはもう泣いていて、もつれて転びそうになるたびに木津くんに引っ張られた。
階段脇に二人で倒れこむ。
「ねえ、なんなの、あれ……!」
黙っていられなくて、息もととのわないまま聞いた。木津くんも同じように、切れ切れに答えてきた。
「し、知るかよ。理科室にいるくらい、なんだから、理科ちゃんじゃないの?」
「なにそれ……おもしろくも、なんとも……」
咳き込んでしまった。自分たちの息の音しかしない。でもそのほうがいい。静かだったら、なにが聞こえてくるか分からない。
「とにかく、学校を、出よう」
「どうやって? 玄関も開いてないし、窓から出たって、あいつらがいるかもしれないんだよ?」
「でもこのまま中にいたら、どんな目にあうかわからない」
ぞっとする。抱えていたファイルを握りしめる。こんなもの、取りに来なければよかった。
「あ、木津くん、携帯持ってるよね? それで誰かにかけてみればどうかな」
「そうか、そうだな。俺たちには文明の利器があったんだった」
木津くんの少し声が明るくなった。パクンと開いた画面は青白く光った。
「……圏外になってる」
「そんな。だってここ、どこでも普通に電波入るはずだよ?」
「けど、見てみろよ」
のぞきこんだ拍子に、携帯が不吉に揺れた。圏外、非通知。木津くんは頬をひきつらせた。
「俺、マナーモードにしてるんだ」
「授業中に鳴ったら、先生に取り上げられちゃうもんね」
「だいたい学校で使うと、先生いい顔しないしな」
「うん、出ないほうがいいよ」
わざと二人で何の気なく会話する。そのあいだも携帯は振動しつづける。ずっと放っておいたら、止まった。
そしてわたしたちが見つめるなか、携帯の電子音がピッと鳴った。どこかに、つながった。
『おもしろい?』
聞こえて来たのは、機械の声だった。
木津くんは携帯を放り投げた。落ちた音がして、光が遠くに見えた。でもそれもすぐに消えた。気に入ってたのに、と隣で木津くんが悔しそうにうめいた。
「丹、ここから絶対に出るぞ」
木津くんの決意よりも、名前を呼ばれたことのほうに反応してしまった。男子に呼び捨てにされるなんて初めてだ。
「う、うん」
……声がうわずっちゃったのは、怖くて緊張してたせいだ。
木津くんはポケットから小さなライトとマジックを取り出した。変なの持ってるんだ。
「ザッケンの必需品だよ」
得意そうに言うと、木津くんは廊下にマジックを走らせはじめた。大きな〝コ〟の字を白抜きで書く。砂嶺高校の校舎だ。ペン先は通って来た道をたどる。
線は下の左端の三年生の教室から侵入して、玄関、角にある理科室を通りすぎる。縦棒の真ん中あたりに、木津くんは二つの点をつけた。わたしたちのいる位置だ。
「正門から出よう」
「正門? さっきと変わらないじゃない」
だいたい今来た道を戻る勇気はない。非難がましく木津くんを見ると、ペンの先で廊下をたたいた。
「みんな勘違いしてるけど、青春の像がある門は正門じゃないんだよ」
「え?」
「正しくは通用門。正門は、こっち」
キュキュッと、わたしが正門だと思っていたのと正反対の方向を、木津くんは丸で囲む。
「ここって……」
「今日、俺たちがボールを探しに行ったところだ」
「裏門じゃないの?」
「いいや正門。門にもちゃんと書いてある。〝県立 砂嶺高等学校 正門〟って。ああ、でも雑草が生えてて隠れてるんだっけ」
「抜いといてよ。ザッケンでしょ」
「ザッケンだから、抜かないんだよ」
……たしかにそうだ。
「戻るよりは進んだほうがいい。屋上の非常階段を使おう。降りれば、すぐに正門だ。走り抜ければいい。あそこは開けっぱなしだ」
「屋上? 非常階段なんてあるの?」
「社会科資料室のわきに防火扉があるんだ。そこを開けたら屋上への階段がある」
つまり結果的に、校舎を端から端まで通ることになるの? そんな、なにがあるかわからないのに。
「一人ででも行く。と言いたいけど、俺だってやっぱり怖いし。離さないようにするから、一緒に行こう」
手首をまたつかまれた。さっきのことを思い出す。足手まといだったはずなのに、木津くんは離さないでいてくれた。
うなずくと、木津くんもうなずきかえして立ち上がった。
階段をのぼる。もしかして階段が伸びて、二階にたどりつけないんじゃ、と思ったけど、無事に着いた。横で木津くんが小さく息を吐くのがわかった。
また階段に足をかけて、二人で固まった。
「……き……」
名前を呼ぼうとした口をふさがれる。悲鳴をあげたくても、のどの奥でかたまりになったみたいにつかえている。
目を閉じたいのに、わたしは見開いたまま、それを見つめた。
階段の踊り場に、人がいた。向こうの壁が透けている。その人たちは優雅におどっていた。
ドレスではなく、うちの黒い制服を着て。




