一 県立 砂嶺高等学 2
午前中はずっと気分が悪いままだった。低血圧のせいだけじゃない。頭の中を「ウザイ」の言葉がまわりつづけてる。へこむ。
四時間目の地理の授業が終わってホッとしたのも束の間。
「今日の日直は……善部だな。教材を昼休み中に社会科資料室に片付けておいてくれ。と言っても、この量を女の子一人では無理か。おい木津、おまえも頼むな」
「はーい」
木津くんは元気良く答える。対するわたしはめまいがした。よりにもよって、なんで木津くんと。先生受けの良い彼がにくい。
「お昼食べる前にやっちゃおうか」
なにもなかったかのように、木津くんはわたしに普通に話しかけてくる。わたしは「ウザイ」の一言、まだ覚えてるんだけど。
「木津くん、わたし一人でも持っていけるから大丈夫だよ」
むしろ一人がいい。なのに木津くんはにこやかに教卓を指差した。
「無理だと思うよ」
わたしの肩までの高さがある丸めた世界地図、地球儀、マグネットの入った箱、コンパス、大きな三角定規、大判の資料本二冊──
うう、たしかにこれは。
「……お願いします」
「うん、じゃあ行こうか」
木津くんは資料本二冊の上に地球儀を乗せて抱えた。わたしは重さはなくてもかさばるものを持った。
うちの学校はコの字型で、社会科資料室は上の棒の端にある。うちのクラスは下の棒の端だから、本当に遠い。そんな長い距離を二人で行くのは気まずい。木津くんはどうか知らないけど、わたしはきまずい。
一歩後ろから付いていく。背中を見つめるのも何だか変な感じで、左右をきょろきょろ見るはめになる。壁に貼られているポスターが目にとまる。歌う生徒と指揮棒を持った女の子の後ろ姿が描かれている。二学期初めにある合唱祭用のだ。夏休みも定期的に集まって練習するのが普通らしい。一年生のわたしたちはまだよくわからないから具体的な日程はとれてないけど、三年生あたりになると、かなり綿密に立てるらしい。ちょっとめんどうくさそう。朝錬とかは絶対に無理だよ。
なんて考えてたら、木津くんが立ち止まってわたしを待っていた。またぼんやりしててウザイって思われたかも。
資料室のある校舎は教室がないから、人気も少ない。長い廊下を歩くと足音だけが響く。
三階の端は多目的ホールで、鏡張りになっている。
ホールの隅っこには、数年前の文化祭で展示されたという、お釈迦さまが鎮座ましましている。あまりに大きくて出口から出せないため捨てられない。解体するのも手間みたいで、ずっと放って置かれているらしい。
たくさんのお釈迦さまと、たくさんのわたしと木津くんが鏡のなかを通り過ぎる。全面鏡張りってちょっと不気味。
社会科資料室のある四階には、多目的ホールの奥にある階段からしか行くことができない。というか、四階は後からの建て増しで、校舎にできたおできみたいな感じになってる。あるのはその資料室だけだし。これのために建て増ししたわけじゃないよね。
「善部さんって、そのまま着てるんだね」
いきなり話しかけられて反応できない。いつのまにか木津くんは横を歩いてる。
「制服、ほかの女子は着崩してるだろ。リボンとかネクタイとかしたり、サマーセーター着たりさ」
「ああ、うん。リボンとかそういうの付ける面倒だし、なんだかんだ言って、そのままのほうが涼しいんだよね」
「けどうちの制服って、ダサいじゃん」
またきついことを……。たしかに仰るとおりだけど。
女子は黒のボックススカート、黒のベスト。冬服は生地が厚めになるけどまったく同じで、紺のブレザーが加わる。ボタンはプラスチックの黒で、胸元のポケットに校章が刺繍されてるけど、糸が黒だから全く目立たない。ネクタイ、リボンはなし。模様も一切なし。
男子も黒が基本だけど、一般的な制服だから地味って感じはしない。上着やベルトで差をつけたりしてる子もいるけど。
そういえば木津くんも変わったベルトをしてる。灰色がかった白で、ベルト穴じゃない穴があちこち開いてる。そのふちが赤や青で、ちょっと目立つけど似合ってる。
「善部さん、砂嶺高校がほかの学校から何て言われてるか知ってる?」
「……おシャレ高」
もちろんおシャレだなんて、誰にも思われてない。一番着たくない制服トップだもの。
「そうなんだよな。俺、この学校好きだからさ、馬鹿にされんのヤなんだよね」
「……それって、もうちょっとわたしに、可愛らしい着こなしをしろって言ってるの?」
「善部さんって、あんまり鈍くないんだ」
──その笑顔にだまされて、みんな指摘しないけど。
「前からちょっと思ってたけど、木津くんてきつそうだよね、性格」
ぼかした言い方をする。だけど木津くんは眉根を寄せた。
「俺、名前をからかわれるのも、イヤなんだけど」
「からかってないし、名前がなにか関係あるの? 木津くんて、木津アオだよね」
「違う。俺の名前は草冠のほうの〝蒼〟を書いて、〝ソウ〟って読ませるんだ」
「え、初めて知ったよ。だってみんな、アオくんって……」
「クラス替えの自己紹介のときに、アオって呼んでほしいって言ったんだ。覚えてない?」
まったく記憶にない。たぶん朝で、頭が働いてなかったんだと思う。
「自分の名前の響き、好きじゃないんだよ。まあ、河井よりかはマシだけどさ」
カワイソウ、で可哀相、になるのか。うん、ちょっとそれは嫌かも。
「今のままで良いと思うよ。木津くん、名前負けしてないし」
あ、いまの言い方マズイ。すごくマズイ。
そう思ったけど、出てしまったものは取り戻せない。木津くんの顔からはすっかり笑顔が消えてしまっていて、代わりに怒りが浮かんでいた。
木津くんはまた前を歩き出した。ペースが速くなってる。あんなに重いものを持ってるのに、軽々と階段を駆け上がっていく。わたしも息を切らせながら後につづいた。
四階はどこか冷えていた。空気が動いていない感じ。
直してもすぐ水の垂れる手洗い場の蛇口から、ぴちょんぴちょんと音が聞こえる。流れの悪い排水溝も時おり思い出したかのように、ずずっ、と水を吸い込んでいる。
木津くんがいてくれて良かったと本気で思った。こんなとこ、一人で来るのはやだ。
雑然とした資料室の隙間に、教材を押し込める。ようやく任務完了。昼休み、だいぶ使っちゃった。
「あの木津くん、手伝ってくれてありがとう」
「先生に言われたからな」
不機嫌な声音。わたしは来た道を戻りはじめた木津くんに、取り残されないように小走りした。
「……ごめんね? あんなこと言っちゃって。気にしてる、よね?」
「別に気にしてない。それより、もう話しかけないでくれる? 俺、善部さんのこと嫌いだから」
……木津くんて、本当にきつい。




