六 まさか、さかさま 1
足はなめらかな木の棒になっていた。スカートの上から腰やお尻をさわってみる。棒になったのは、足の付け根から下だけだった。
状況が良くなったかどうかはわからない。
「立てる?」
「うん、大丈夫、みたい。でも変な感じ」
叩いてみると、振動が伝わってくる。自分の足じゃないみたい。歩き方もぎこちなくなってしまう。
「病院で診てもらおう。なんとかなるよ」
なんとかなるとは思えないけど、わたしはうなずいた。とりあえず、今は出ることだけを考えなくちゃ。
「ねえ木津くん、どうして足を棒にする方法なんて思いついたの?」
木津くんはゆっくり歩いてくれている。いまのわたしの足だと走れない。
「丹が、膝がって言ったからだよ。それにたぶん、今までに起きたことも、なんかちょっと分かってきたというか」
「わたしはよくわからないんだけど」
「うん、俺の考えにしかすぎないし、あまりここで適当なこと言うと危ないから、外に出てからにしよう」
そしてわたしたちは口をきかないまま歩いた。でも時々、木津くんが会話するかのように握る手の力をゆるめたり強めたりした。元気付けようとしてくれてるのがわかる。
男の子って、みんなこんなに強いの?
わたしなんて、すぐに動揺して泣くことしかできないのに。さっきだって、花子さんに言われて恥ずかしくなって、木津くんの手を離してしまった。
ちがってても、つないでいれば良かったのに。
「多目的ホールだ」
ホールの入り口にわたしたちは立った。ここを過ぎて、四階に行って屋上にたどりつけば、わたしたちの勝ちだ。
……なにに対して、勝つんだろう。まあいいや、とにかく勝つ。
「行くぞ」
いつになく木津くんの声が硬い。わたしはぼんやりしてるから、足を踏み入れるまでわからなかった。
そうだ、ここは鏡張りだったんだ。なにか起こりそうな臭いがぷんぷんとしている。
鏡は見ないようにする。わたしが見ると、たくさんのわたしも見つめ返してくる。そのなかの一人が手を振ってきたりなんてしたら……。
想像だけで十分だよ。
「なんか、おかしいな」
その声に反応して、わたしはつないでいる手を腕ごと胸に抱え込んでしまった。木津くんの身体が一瞬でこわばった。
「おい、そんなにひっつくなよっ! あ、暑いだろっ」
「でもでも、おかしいんでしょう? どうしたの? なにかあるの?」
木津くんは慌ててるけど、わたしだって慌ててた。周囲を見ても、たくさんのわたしと木津くんと、それにお釈迦さましかいない。
木津くんがライトをつけた。鏡にいくつもの小さな光る点が現れる。ここは窓がないから、月明かりもなくて真っ暗だった。そのおかげで周りをはっきりと見ずに済んでいたのに。気づかずにいられたのに。
「お釈迦さまが、さかさまになってる」
鏡のなかのお釈迦さまは、座ったままの格好で、頭が下になっていた。本物はそのままなのに、鏡のなかだけ。
「なにか意味があるのかな」
とくに襲ってきたりはしない。たださかさまなだけ。これなら、びっくりするけど怖いことなんかないかも。
隅にあるお釈迦さまは動かない。わたしはホッと息をついて、木津くんに視線を戻す。木津くんは、鏡をにらんでいた。
「木津くん?」
なにを見てるの?
安心なんて、あっという間に吹き飛んだ。鏡のなかでわたしの横に立っている木津くんは、さかさまになっていた。というより、わたしだけがさかさま? あれ、わたしがおかしくなってるの?
「まさか……まさか、そういうことか」
木津くんはうめいて、お釈迦さまを振りかえった。
「で、俺もさかさまか」
なに一人で納得してるの? わけがわかんないよ。鏡のなかの木津くんと、わたしの横にいる木津くんを交互に見比べる。
「いいか丹、四階の奥に防火扉がある。そこを開けて階段を登って、屋上への扉がある。鍵はひねるだけのやつだから。慌てるなよ。非常階段を降りれば、すぐに正門にたどりつく。俺のことは気にするな。絶対に行くんだ。約束だからな」
「なんでいきなりそんなこと言うの? 一緒に行くんだから、わたしに説明する必要なんてないじゃない」
そんな、お別れみたいなこと……。
鏡をふりむいて、ギョッとする。さかさまになっていたはずの木津くんが、いなくなっている。
わたし一人しかいない。
「木津くん、鏡が!」
振り向いたそこにも、木津くんはいなかった。わたしがしがみついていた腕も消えてしまっていた。




