五 廊下を走ろうか 2
「人がいたぁ、良かったぁ」
はっきりと安心したとわかる明るい声が聞こえて、女の子が現れた。その姿を見て、木津くんの肩に入っていた力が思わず抜けるのが、わたしにもわかった。
女の子は、とても可愛かった。
茶色に染めた髪は毛先がふわっと内巻きになってて、頬にちょっとかかってる。ところどころにビーズのヘアピンをしていて、それがきらきらと光っててきれい。
服はうちの制服だけど、薄紫のリボンをゆるめに結んでいて、白いだぶっとしたベストを着ている。スカートはもちろん膝上。ポケットからは携帯電話のアクセサリーがちらりと見える。
まつげも長くて、それもちゃんとビューラーでカールしてるみたいで、目がとても大きく見える。頬にあてた指先もつやつやしてて、マニキュアを塗ってるのがわかる。
なんというか、おしゃれな制服の着こなしをする見本みたいな女の子だ。
「どうしたの?」
わたしは緊張がゆるんで、女の子に話しかけてみる。どう見ても、お化けとかには見えない。
「あのね、探し物をしてるの。とっても大事な物なの。でも見つからないし、一緒にいた子ともはぐれちゃうし……夜の学校って怖いから、もうどうしようかと思っちゃったぁ」
にこりと笑うと、目元にくぼみができてそれが可愛い。木津くんはどんな顔をしてるのかちょっと気になる。のぞいてみて驚いた。なんでにらんでるんだろ。
「あたしも一緒に行っていい?」
「ダメだ」
小首をかしげて聞いてくる女の子に、間髪いれずに木津くんが言った。声がキツイ。
「なんでよ、木津くん。こんな暗いところに女の子一人でいろって言うの? 薄情者っ」
木津くんはチッと舌を鳴らすと、わたしを肩で後ろに追いやった。ちょっと、それはないんじゃない?
「こんな時間に、こんなところにいるヤツなんて怪しすぎる。だからダメだ」
「えー、でもぉ、それはあなたたちにも言えるじゃない。なんでこんな時間に、こんなところに、二人っきりでいるの? あ」
パッと女の子の頬が赤くなるのが、この暗さでもわかった。
「もしかして……逢引?」
「ちがうわよっ」
「だけど、手もつないでるじゃない」
思わず木津くんの手を放して、わたしは慌てて首を横に振った。
「本当にちがうからね? 木津くんもわたしも忘れ物して学校に来て、偶然に会っただけなの。だからちがうから!」
「じゃあ、お邪魔じゃない?」
「邪魔じゃないよっ」
「良かったぁ」
これって、一緒に行くことになっちゃったのかな。木津くんがわたしに振りかえった。ううう、今は木津くんがいちばん怖い。
わたしを真ん中にして、廊下を歩き出す。女の子からは良い香りがした。わたしは走りまわったから汗臭いかもしれなくて、木津くんからなんとなく離れる。
不思議なことに、あれだけ遠かった突き当りがほんの少しずつ近づいてきた。
「へ~、レポートの宿題なんて取りに来たんだ。べつに忘れたっていいじゃない。マコトちゃんって真面目なんだね。ねえ、ちょっといいかな」
「きゃっ」
すい、と首元を触られた。
「おいっ」
見ていた木津くんが、女の子を押しやった。
「なによぅ。ちょっとえりのボタンを外そうとしただけよ。マコトちゃん、一番うえしか外してないんだもん」
そういえば女の子は二つ目も外してる。でもリボンをしてるから、中が見えることはない。でもわたしだと、危ない。
「見えるからいやよ」
「キャミとか着て、ちらっと見せたら可愛いと思うわ。今のままだと、ちょっとダサいもの」
うわ、木津くんと同じことを。そんなにわたしの格好ってひどい?
「丹はこのままでいいんだよ」
木津くんが怒ったようにフォローする。でもあまり説得力ないよ。
「おーい、おーい」
廊下の向こうから、男の子の声が聞こえた。
「もう、やっと見つかったぁ。こっちよ、こっち! あ、でも廊下は走っちゃダメよ?」
走り出そうとする男の子に声をかける。男の子は仕方なさそうに肩をすくめた。
「ふふふ、〝廊下ハ走ルベカラズ〟だものね。六十六年前の六月六日の、全校生徒総会で真っ先に決まった事項よ」
さらりと、違和感のあることを言われた。木津くんがわたしの手をとった。手になじんだ感触。女の子は笑顔のままわたしを見た。
「さすがに六時六分六秒じゃなかったし、地球が何回まわったかも知らないけれどね」
わたしたちは立ち止まっていた。男の子が近づいてくる足音だけがする。はじめは規則正しかったのが、だんだんとひきずるようなものに変わってくる。
女の子は振りかえって笑った。
「あら、太郎さんったら、おじいちゃんになっちゃってる。少年老いやすく、ね」
太郎さん、を見ると、さっきまでは高かったはずの背が曲がっていて、壁に手をついてつらそうに息をしながら廊下を歩いている。
「そうだ、あたし木津くんの落し物を拾っていたんだわ」
カーディガンのポケットをさぐって、携帯電話を取り出した。
「気に入っていたんでしょう?」
ぽとん、と木津くんの手のひらに落とす。さすがの木津くんも呆然としている。わたしはかばうような気持ちで前に立った。
「あなた、誰?」
「えー、ひどいなあ、知らないの? あたしの名前、何度も見たことあるはずよ?」
「どこでよ」
「んーと、あ、入学手続きの書類とか、健康診断書とかかな」
どうしてそんなところに、と聞き返しかけて、言葉をのみこんだ。記入例の、名前欄が頭に浮かんだ。
────砂嶺 花子
「花子さん……」
「なあに?」
花子さんは、やっぱりとても可愛かった。
その笑顔が急に遠くなる。何度目になるかわからない。わたしは木津くんに手を引かれて走っていた。




