一 県立 砂嶺高等学 1
血圧、絶対に80まで下がってる。
頭が回らない。気分が悪い。学校にたどりつくだけで、朝食のエネルギーを全部使い切った。それなのに、なんで。
「なんで、一時間目から野球なんてしてんのよ~」
本当なら古文だったのに、先生が急病で自習。一時間寝られると思ったのに、なぜかみんなで野球……正確にはソフトボール、をすることに。この七月の炎天下で!
「マコちゃん、大丈夫? 具合が悪そうだよ」
尚子ちゃんが声をかけてくれる。心配させたくないけど、どうしても表情は暗いままになってしまう。
「ん……、低血圧で、朝がひどいだけだから」
「そう言えばそうだったね。抜ける?」
わたしは首を横に振った。野球は1チームに九人必要みたいで、うちのクラスは三十六人。メンバーギリギリだから抜けられない。今は4チームに分かれて二試合をグラウンド貸切状態でやっている。
体育がすべて水泳になるこの季節、グラウンドは全く使われない。それだけの理由はちゃんとある。乾いた地面の砂埃はひどすぎる。水まいたって、あっという間。
「おーい! ライトにセンター! ちゃんと位置につけよー! 寄りすぎてるぞ!」
矢部 《やべ》くんが大声で腕を振りまわす。えーと、わたしは右だから、ライト。でもって、打席に立ってる人から見ての右だから、左にいけばいいんだよね。球が来ませんように。
「た~たららったーた、た~たららったーた、た~たららったーたー!」
歌をうたいながら打席に入ったのは木津くんだった。とたんに女子から声援が飛ぶ。
「アオくん、がんばって!」
「かっ飛ばせー!」
なんでうちのチームの子まで……。
わたしは負の念を込めて木津くんを見た。この野球の発起人の一人で、クラス全員強制参加にした張本人。運動部じゃないはずだけど、すっかり日焼けしていて、バットを持つ姿もサマになってる。
出たくないと言った木下くんに笑顔で、「おまえ相変わらず付き合い悪いなあ。社会科見学の時みたいに、また一人で木の下で食べるはめになるぞ? あれって惨めだよなあ」と言った。
この後、「俺はおまえとまた食べたいからさ。だから一緒にやろうぜ?」と付け足してたけど、あの惨めだよなと言ったときの木津くんの顔はやっぱり印象的だった。クラスの中心的存在で、人当たりが良くて優しいから人気あるけど、実はけっこうきついんだよね。
「ファール! フルカウント!」
審判役の子が叫ぶ。野球のルールはさっぱり。球に当てるだけでいいって聞いたのに、実際は打った方向が違うとダメだとか、カウントされたりされなかったり。わけわかんない。どうやったらヒットになるの? 点の入り方とか……。
ボコッ。
いい音がしたかと思うと、物理の教科書に載っているようなきれいな放物線を描いて、わたしの頭の上をボールが越えていった。
「ホームラン! やった! 二点追加!」
「ぎゃー! アオくん、ナイスバッティング!」
「かっこいいぞ!」
歓声のなか、てんてんてん、とボールは転がっていく。あれ取りに行くの、わたしの役目? グラウンドの端からゆるやかな坂になってるから止まらない。ああ、頭がくらくらする……。
結局、裏門にあたって止まった。ぷにぷにとしたボールが憎たらしくなる。
「ああ、ちょっと休憩しよっ」
裏門あたりは草や木がたくさん生えてて、陰ができて少なくとも太陽に焼かれた地面よりは格段に涼しい。別に授業じゃないんだし、このままここにいようかな。
そういえば、このあたりって来ないな。裏門は駅前どおりの反対方向だし、お店もなにもないから使ってる子もほとんどいないんだよね。
まじまじと眺めてみる。赤茶色のレンガは古くてひび割れている。校名も『県立 砂嶺高等学』のところで、背の高い雑草のせいで見えなくなってる。
ここは掃除区域じゃないから放置されてるんだろうなあ。
手を伸ばして、一番上にはめ込まれてる校章に触ってみる。お椀をひっくり返したような形は山を表してて、山頂近くの丸は太陽。でもそこはぽっかりと穴が空いてる。昔はなにかがはめこまれてたんだろうけど、古いから取れちゃったみたい。
砂嶺町にある高校だから、砂嶺高校。町の名前は昔話に由来している。
このあたりは昔、とても大きな嶺があって、お日様がちっとも射さなかったんだそうだ。だから〝遮嶺〟という当て字が使われていた。そのころは村だったみたいだけど。
ある日、一人の僧がやってきて、宿を求めた。村人たちは、かろうじて育った米やら野菜やらで精一杯もてなしたそうな。するとその僧はじつは仙人で、魔法で嶺を低くしてくれたのだ。そうして朝日が射すようになり、村人たちは幸せになったのだそうだ。とこまとそう、とこまとそう。
最後の文句はめでたし、めでたし、の意味で、いろんな説があるらしいけど、僧を床の間に泊めたことを言っているみたい。だから漢字にしたら『床間と僧』になる。
こんな話を入学式で延々と生徒会長が話してた。伝統行事なんだって。
がさりと茂みが動いたかと思うと、白い犬が首だけ出した。わたしを見つめてくる。
「おいでおいで。ちょいちょーい」
手を出してみるけど、近寄ってこない。どころか、フンと鼻を鳴らすとまた茂みのなかに引っ込んでしまった。
「善部さん、ボール見つかった?」
いきなり声をかけられてびっくり。木津くんがゆっくり近づいてきていた。わたしは慌ててボールをかざす。
「うん、見つかったよ」
「良かった。俺のホームランボールが見つからないせいで、戻ってこれないのかと思った。心配しちゃったよ」
笑ってるけど。責めてないけど。とっとと戻って来いよ、のろま。なんて言われてる気分……。
「ご、ごめんね」
木津くんは笑顔のままうなずくと、くるりと背中を向けた。絶対に笑顔は消えてる。こんなことなら早く戻ればよかった。ああ、血圧が下降気味。頭が重い。太陽もまぶしい。
ちょっとクラ、っとして、前を歩く木津くんの肩にぶつかった。痛いよう。木津くんは立ち止まると、笑顔のまま見下ろしてきた。
「善部さんてさ、よく人にぶつかるよね」
「そう、かな」
そうかも。朝のわたしは。目を開けていても意味がないくらい周りが見えていない。やだな気をつけなくちゃ。
「もしかして、それって可愛いって思ってたりする?」
「え?」
なにを言われたのかわからない。木津くんはあいかわらずニコニコしてる。
「弱々しくしてると、男子の受けがいいとか思ってるのかなって」
そんなこと、考えたこともない! 否定したいのに、頭も口もまわらない。
「そういうのって、ウザイから、やめたほうがいいよ」




