昏き風吹き荒ぶ
気づくと僕は固く冷たい地面に倒れこんでいた。
遺跡の廊下にともる灯りに照らされた壁の色はどす黒い黒色。
上層部の赤色ではなく、中層部の青色でもなく、下層部の紫色でもない。
この遺跡は一般的には色が黒に近づくほどモンスターが強い階層にいるといわれている。
冒険者の間でもこんな色の報告は無かったけど、最悪最下層に一気に飛ばされてしまったのかもしれない。
「クソッ。最悪だ…。転送系のトラップの中でも一番ヤバい奴だ、これ。生きて帰れるかわからないぞ…」
このトラップは『悪逆皇帝の逆走殺し』と呼ばれる物で、転移系の中でも最も性質が悪いといわれているトラップだ。
その昔、悪逆皇帝と呼ばれた古代帝国の皇帝が趣味で作らせた『皇帝の処刑場』と呼ばれる世界屈指の超危険遺跡の中で、探索に入る冒険者たちに最も恐れられたトラップだ。
生還者は片手で数えるほどしかいないとされていて、生きて帰った人たちはトラウマを負って冒険者を引退したらしい。
トラップオブトラップとも呼ばれる死ぬ確率が最も高いとされるタイプのトラップで、遺跡系の低階層などから一気に最下層まで送り込まれるのが特徴だ。
できることなら一生出会いたくないトラップだったけど、もう四の五の言ってる場合じゃない。
これから何が起ころうと不思議じゃないし、直前に響いた言葉は不吉な言葉を言っていた。
目の前に広がるのはただひたすらに広いホールのような空間で、地下空間であるはずにも関わらず柱の一本も存在しない。
黒々とした闇が奥を見通すことをさせず、ひたすらに不気味な静けさを湛えている。
僕の背後には壁しかなく、ここから生きて帰るには前に進むしかない。
「ははは…。乾いた笑いしかでない…。こんな広い空間で何もないはずがないじゃんか…」
頭の中によぎるのは野良チームを組んでいたときに一度だけ遭遇したモンスターハウスと呼ばれる広い部屋だ。
その時は背後に退路があったから命からがら逃げることができたけど、今回はそれもできそうにない。
僕の背後に退路は無く、ただただ黒くて無機質な壁と絶望が広がるばかりだ。
意を決して一歩踏み出す。
何も起きず、僕はまた一歩踏み出す。
何も起きず、僕の首筋に冷や汗が流れるけど、また一歩踏み出す。
何も起きず、また一歩、そしてまた一歩踏み出すうちに、いつの間にか部屋の中央まで来ていた。
ざらっとした粘ついた空気が動いた気がした。
あと一歩踏み出せば何か致命的な何かが起きそうな気がした。
それでも、僕は帰るために最後の一歩を踏み出した。
部屋の中に静かにあった闇が形をもって動いた気がした。
ずるりと闇が蠢き、渦巻いて形を作っていく。
黒々とした闇が集まり、固まって無数の塊を生み出していく。
そうして作られた闇色の球体からは無数のスケルトン達が姿を現した。
スケルトン達の数は分からない。
前後左右、見渡す限りが無数の骨の海だった。
「冗談きついわ…」
僕が呟くと同時にスケルトン達は一斉に襲い掛かってきた。
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既に倒した数は2000体を超えただろうか、いつ終わるとも知れないスケルトン達の猛攻に僕は精神がすり減っていくのを感じた。
「いつ終わんだよクソがァ!!」
怒鳴っていなければやっていられなかった。
スケルトン達は一体一体は上層部のスケルトン並の弱さだったけど、独特の怨嗟の声と終わりの見えぬ戦いが精神的にきつい。
僕が右手の刃を振れば、防御を考えないスケルトン達は何体も一気に倒れて溶けて消えるけど、それを乗り越えて次のスケルトン達がやってくる。
ひたすらスケルトン達を現れ、切り裂いては現れ、それをまた切り裂いていく。
一つの街の人々が丸々スケルトンに変わったような数の多さだ。
もうすでに何体倒したのか分からない。
まだ骨の海は広がったままだ。
ひたすら切り裂いていく中で、スケルトン達が唐突に動きを止めた。
スケルトン達が止まったことで刃が空を切る。
なぜ止まったのか考えることもなく、僕は刃を杖代わりに息をつく。
まわりのスケルトン達は相変わらず止まったままで僕をじっと見つめている。
ずっと振り回してきた右腕はズキズキとした鈍い痛みを発している。
もう結構限界が近いのだろう、なぜ止まっているのかは分からないけれどこの間に少しでも休ませないと…。
そう思っていると、カラカラという音が聞こえた。
何だと思って顔をあげると、目の前のスケルトンが口をあけて嗤っていた。
その笑い声は周りのスケルトンへと伝わり、やがて広い部屋中に響き渡る大音量となった。
「クッソ!頭が割れるようだ!うるさい…!」
両手で耳をふさいでも、それを通り抜けてなおうるさいスケルトンの笑い声が頭の中に響き渡る。
このままじゃ頭が割れるんじゃないかと思い始めたころ、スケルトンはようやく嗤うのをやめた。
「まだ頭がガンガンする…。一体なんだったんだ…」
顔をあげると信じられない光景が広がっていた。
「おい…。おいおいおいおい!ウソだろぉ!!?!!?」
目の前に無数のスケルトンで造り上げられた巨大なスケルトンがこちらを見下ろしていた。
目の前のスケルトンが僕の背ほどもある巨大な拳を振り上げるのが目に入る。
冗談じゃねぇ!あんなの食らったら一瞬でミンチになる!!
必死になって横に跳んだ僕のそばで、拳が叩きつけられた。
まるで爆弾のようだった。
叩きつけられた拳は、拳を形作るスケルトン達を粉々にし、弾けた骨片が刃となって僕を襲う。
ぬるりとした感触が頬を伝い、手でぬぐってみるとそれは自分の血だった。
どうやら今の攻撃で弾けた骨片で頬をきったらしい。
じくじくとした痛みが認めたくもない現実を叩きつけ、頬を伝った血液が地面へと落ちて黒い染みを作る。
「いやいやいや…。あんなんどうやって戦えってんだよ…。無茶苦茶だろ…」
巨大スケルトンはよく見た感じ上半身のみのようで、その場から動きそうにないけど、あの圧倒的リーチからは逃げられそうにない。
よしんばあのリーチ外に逃げられたとしても這ってでも追いかけてきそうだ。
それでも、希望があるとすれば巨体ゆえに動作が遅いのと、攻撃が分かりやすいことだろうか。
もちろん一撃でもくらってしまえばぐしゃぐしゃに潰されてしまうので気を抜けないことに変わりはないが。
そして、それから何度も攻撃をよけては骨片によって細かい傷をたくさん作っていったけど、気づけたことがあった。
どうやら攻撃のよって砕けた骨は回収されてないようで、徐々にだけど巨体を形作るスケルトンの数が減っているということだ。
巨大さは現れた時とはほとんど変わりはないけど、最初のころより密度が薄くなり、スケルトン達の隙間が少しずつ大きくなっている。
巨体を維持できなくなるまで攻撃を繰り返してきそうだ気配はあるけど、それを悠長に待っている時間は僕にはない。
細かい傷でも、血が流れて行ったせいで徐々に体力が落ちてきているのが分かる。
このままいけば、おそらくは僕のほうが先に倒れてしまうだろう。
危機感だけがひたすらに募っていく。
それからまたしばらく攻撃をよけ、次の攻撃のために顔をあげた時だった。
大きくなったスケルトンの隙間にまるで血のように赤く輝く何かが見えた。
それが弱点なのか、何なのかは分からなかったけれど、僕にはそれが活路に見えた。
スケルトンの巨大な胸の中に輝くそれにたどり着くには巨大スケルトンに接近しなければならない。
そうすれば視界が狭まり、巨大スケルトンが繰り出す攻撃も見えなくなる。
それでも、僕はそれを叩くことに決めた。
流れて行った血で気だるさを明確に感じる僕に、後は無い。
いちかばちかに掛けるのだ。
ここでよけ続けても消耗して死ぬのは目に見えている。
分の悪い賭けはきらいじゃない。
巨大スケルトンに駆ける僕に巨大な腕が迫るけど、それをなんとかよけて走り続ける。
弾けた骨片が背中を切り裂くのを感じながら、それでも走り抜ける。
赤く輝くそれの位置は高く、僕がいくら跳ぼうとも届きそうにない。
僕は待つ。
巨大スケルトンの攻撃を。
巨大スケルトンが動き、胸の下にいる僕に巨大な拳を振るうのに合わせて僕は跳んだ。
眼下を通り過ぎる拳にぞわりと寒気を感じるけど、その腕に下りる。
腕を構成するスケルトン達が僕をつかもうと腕を伸ばすけど、僕は一体のスケルトンの頭を踏み砕いてさらに高く跳ぶ。
跳びこむ先で、赤く輝くそれを守るようにスケルトン達が動き、僕の体へと骨の腕を伸ばす。
「邪魔だぁぁぁぁあああああああああ!!!」
気合一閃。
残る力を振り絞り、スケルトン達を僕の右手の刃が斬り飛ばす。
「砕けろぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおお!」
伸ばした僕の右腕は確かにそれに突き刺さり、ビキッという音をさせてそれを粉々に砕いた。
死力を尽くした攻撃を放ち、意識がもうろうとする中、僕の体は落下し始める。
ちらりと下を見ると、スケルトンがいた。
僕の体はスケルトンの上へと落ちて行った。
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どれくらい時間がたったのか分からないけれど、僕は目を覚ました。
体中は節々まで痛いし、乾いた血はパリパリとしていて、体を動かすたびにパラパラと落ちていく。
それでも僕は生きていた。
「周りにはもうスケルトンはいないみたいだな…。しばらくはスケルトンはみたくないなぁ…」
大の字で寝転がったまま僕は周りを見渡して一息をついた。
まわりにはもう何も無かったようだし、なにより体が疲れきっていて動きそうになかった。
今の僕なら上層部の雑魚にもあっさりやられてしまう自信があったけど、それでも動けそうになかった。
目を閉じてちょっと眠ってみようかなんてことを思っていると、瞼をとじていても分かるほどの光が目の前にあるのを感じた。
目をあけてみると、どうやらこの原因の光る球のようだった。
「おいおい…、勘弁してくれよ…。もう体うごかんぞ…」
一瞬で凍りつくが、どうもそうではないようだ。
光る球はただそこに浮かんでいるだけだった。
≪見事。しかと汝の力見せてもらった。狂える亡者は安らかなる眠りについた。大いなる試練を乗り越えし汝に更なる力を授けよう≫
どうやらこの光輝く球が言うにはあれが試練だったようだ。
とんでもない話だ。
何が何やら分からないうちに僕は死にかけた…。
それでも力をくれてやるというのなら貰ってやろう。
これだけ死ぬ思いをしたわけだし、貰えるものは全部貰ってやろう。
≪我が力は汝と共に≫
そして、眩しい光が僕を覆うと僕はまた気を失った。
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気がつくと、僕はまだあのホールに寝ているようだった。
体には今まで以上の力が漲っているのを感じるし、体中の傷もすべて癒えているようだったけど、後頭部がずきずきと痛い。
まぁこんな固い床に転がっていれば頭もいたくなるだろう。
お腹に力を込めて体を起こし立ち上がれば、このホールに漂っていた黒々とした闇は消え去っているようだった。
まわりに少し灯りもあるようで、スケルトン共と戦った時とはまるで印象が違う。
とはいえ、こんなところに長居はしたくない。
部屋を見渡せば結構豪華な扉が一つだけ見つかったので、いそいそとそこへと向かう。
さすがにもう何もないだろう…。
扉をあけるとそこには威圧感のある防具が置いてあった。
黒々とした金属で出来た手甲と脚甲、胸当てだ。
ほかには特に何もないようだ。
「いや、こんだけ苦労して金銀財宝があるわけじゃないのかよ…」
けっこうガッカリしながらも、とりあえずはそれらを拾い上げ、入ってきた方とは逆にある扉を押しあける。
そこには淡い光を放つ魔法陣がしかれている。
冒険者として蓄えた知識の中のものと照らし合わせると、それはどうも転移用の魔法陣に見える。
「…いやいや、さすがにもう何もないだろ。ほかに道も何もないし…」
一瞬固まり嫌なイメージを想像してしまうけど、ぶんぶんと頭をふり嫌なイメージを追い出す。
それでも恐る恐る魔法陣の中へと入り、どきどきとしながら発動するのを待つ。
そしてしばらくした後、僕は別のフロアへと転移していた。
「え、中層じゃなくて下層なの…?」
僕が転移した先は壁の色が紫の小部屋。
つまりは下層だった。
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やっと上層部へと戻ってきた。
下層の途中で冒険者らしき数人のチームと出くわしたが、なぜか悲鳴をあげて逃げられた。
まったく意味がわからなかったが、何か理由があったのだろう。
もう上層部の中でも表層間近だ。
意気揚々とマーカーの示す先に進み、入口へと向かう。
明るい入口がようやく見え、僕は随分と久しぶりな気がする遺跡入口に戻ってきた。
しかし、僕が表層部に現れた途端に悲鳴が響き渡る。
まぁ、僕の右手には刃がぶら下がっているとはいえ少し失礼じゃないだろうか…。
少しだけへこんでいると、僕の肩に誰かの手が置かれた。
振り返ってみると、心底驚いたというような顔をしている門番だ。
「お前…本当にジャックか…?」
「いや、そうだけど…。なにこの状況…?」
「…何ってお前…お前もう一週間以上も遺跡から帰ってきてなかったじゃねぇか。ソロでしかも一週間。お前いったい何やってたんだ…?お前もう死んだことになってるぞ…」
衝撃の事実に固まるが、門番が困惑した表情を言っている意味が分からない。
僕にとっては、1日もしくは2日ほどだと思っていたのに一週間以上たっているらしい。
気を失ってからかなり長い時間経過したのだろうか。
そこに驚くが、死亡扱いになっているというのも驚きだ…。
「は…え…?死亡扱い…?僕が…?本当に?」
無言で掲示板をさす門番の先を見れば、そこには今月の死亡扱いリストが張り出されている。
つかつかと歩み寄って、じっくりと見ていけば確かにそこのジャックと名前が書かれてあった。
ちなみに【使用していた武器】の欄に『右手に生えている刃』と書かれているのが、ほかの人が『斧』『剣』などと書かれている中で浮いている。
「うわ…本当に死亡したことになってるじゃん…。これってすぐに取り消せる?」
「いや、お前…。それどころじゃねぇだろ…。お前死んだってことになってから大変だったんだぞ。お前の妹だったか?が遺跡に入るってもうそりゃ揉めてだな…。あぁ、そうだ。お前下層あたりでどっかの野良チームに出会ったろ。そいつらの報告受けて、一応ほかのやつに呼びにいかせたからもう少ししたらお前の妹くるぞ」
…そりゃそうだ…。
僕が死亡した扱いになって心配性のあのアイシャがだまっている筈がない。
遺跡内で仕方なかったとはいえ、無断で一泊しただけで不安だったと泣いたアイシャが、僕が死亡した扱いになって我慢が出来る筈がない。
アイシャには心配かけたからしっかりと謝らないとな…。
「兄さんッ…!」
遺跡の入り口の方へと目を向けるとアイシャが震えながら立っていた。
アイシャのあとから入ってきた顔見知りの門番も死人が立っているのを見たかのように驚いた表情をしている。
「アイシャか…」
僕が言葉を発するやいなや、アイシャは僕の方へと向かって駆け出してくる。
僕の胸に勢いよく飛び込んできたアイシャを優しく受け止めると、腕の中でアイシャはふるふると震えていて、俯いたままの顔からは表情をうかがうことは出来ない。
「兄さんッ!兄さんはっ…!兄さんは私がどれだけ心配したとおもっているんですかっ!でかけたままずっと戻ってこなかった兄さんをどれだけ心配したと思っているんですかっ!一週間たって…兄さんが死んだって言われた時の私が分かりますかっ…!すごく…つらかったんですから…!また…また…私は独りになったんだって…すごくつらかったんですっ…。もう…もう私の前から消えないでください…!私には他に誰にもいないの…。お願いだから一人にしないで…」
ボロボロになった胸当てを伝って、ぽたりぽたりと落ちていく雫が遺跡の床に染みていく。
この腕に伝わってくる小さな温もりを放つアイシャを、こんなにも苦しめてしまったのかと僕は心苦しくなる。
「ごめんな、アイシャ。大丈夫、ちゃんと帰ってきたよ」
「嫌です…許しません…兄さんはひどいです…。絶対に許さないんですから…」
ただ震えて涙するアイシャの小さな頭に手を乗せ、さらさらとした栗色の髪をゆっくりとなで続けた。