強風来たる
僕の名前はジャック。
僕の住む町では、僕のことは切り裂きジャックって呼ばれている。
僕の右手には生まれつき長い爪がある。
今よりも僕が小さかった頃、これがあるせいでいじめられてた僕は何度もこの爪を折ろうとした。
でも、岩にぶつけたって、鉄柱にぶつけたって、鋼鉄のハンマーで叩いても折れるどころか、凹むことも歪むこともなかった。
光にかざすと金属のような光沢がギラリと光り、指を動かすとガチャガチャと爪同士がこすれて音を立てる。
硬く、長い、刃物のように刃が付いた僕の5本の指の爪。
これこそが、僕が切り裂きジャックって呼ばれている原因だ。
そんな僕でも、この町では別に忌避されること無く普通に暮らしている。
流石に街中で剥き出しの状態は危ないから、特注の分厚い皮の手袋をしているけど。
実はこの手袋、この町の町長さんから貰ったものだ。
今から数年前、この町にはぐれワイバーンもどきがやってきたことがあった。
ワイバーンもどきは竜種のワイバーンによく似た鳥の仲間で、自分を強く見せるためにワイバーンに似た姿に進化したものだ。
ワイバーンと違うのは、嘴があること、翼がよく見たら羽であること、足が三前趾足であることだ。
とはいえ、いくらもどきといっても大きい体に鋭い爪は一般市民にとって十分に脅威で、子供であれば胴体を足でわしづかみにされて連れ去られることもある。
群れからはぐれたワイバーンもどきは気性が荒いことが多く、町に現れた時も暴れていて、広場で遊んでいた子供たちが襲われかけていた。
まわりの大人たちが近づけずにいたところ、僕はワイバーンもどきの前に飛び出した。
このころは自分の指が刃物として十分すぎるほどの切れ味を理解していたし、自分と同じ年ぐらいの子供が泣きながら親の名前を呼んでいるのを見て我慢していられなかった。
僕が飛び出した時には、ワイバーンもどきの足には僕よりも小さな子供が鷲掴みにされていて、ワイバーンもどきは嘴で僕に攻撃をしてきた。
それを必死にかわしながら振った僕の右手は、ワイバーンもどきの頬をざっくりと切り裂いた。
斬られた衝撃で鳴いたワイバーンもどきの頬からは赤い血が噴き出し、広場の石畳にびしゃりと血が飛び散った。
それが原因で子供を離したワイバーンもどきは、一旦飛び上がると空中で体勢を整えると、真っ直ぐに僕に向かって急降下してきた。
ワイバーンもどきの大きい体を活かした突進はとても強力で、よくて数カ所の骨折、運が悪いと死ぬこともある。
当然、子供の僕がくらえば重症なんてもので済むわけがなく、僕は必死に前転しながら避けた。
その時運が良かったのか、手の刃がワイバーンもどきの右足をざっくりと切り落とされた。
甲高い鳴き声を上げたワイバーンもどきは、僕のことを十分な脅威と見たのか、すぐさまこの町から離れていった。
しばらくしたら、僕はこの町のヒーローになっていた。
この町はそれほど大きな町ではないので、この話題はすぐさま街の隅々にまで知れ渡ったようだった。
それまで僕は刃の爪をもつ危険な子供として、町の人たちに距離を置かれていた。
町長はこの功績を称えて、僕に分厚い皮の手袋を送ってくれた。
僕はこの町の人々に受け入れられることがようやく出来たのだ。
それから僕は、冒険者になった。
理由はすごく単純で、邪魔だと思っていたこの爪が人の役に立つことを知り、もっと皆の役に立ちたいと思ったからだ。
だけど、冒険者になったといってもどこかへ行くこともなく、町の住人が冒険者協同組合に出す依頼をこなす毎日だ。
それは、町の外に出る害獣の駆除だったり、大量の薪を切る仕事だったり、木材の加工の仕事だったりだ。
稼ぎは正直なところ、あまり多いとは言えない。
だけど、この町で暮らしていくには事足りる程度にはあったし、何より町の住人から感謝の言葉がもらえるのが嬉しかった。
ご飯の材料の買い出しに出かければ、お店の人には多少値引きしてもらえたりもするし、散歩に出かければ近所の子供たちにじゃれ付かれることもあった。
数年前の事件が無ければ、今の僕は無かっただろうし、きっと僕は今でも町の片隅でひっそりと暮らしていただろう。
僕は今の暮らしに満足していた。
人の幸せの役に立つことが、僕の幸せだった。
人々に受け入れられていると実感することで、僕は自分が生きているんだと実感することができた。
だけど
僕の日常はある日突然に、がらがらと音を立てて崩れ去った。
隣の『エグザイア皇国』が、この国『ダイダロス王国』に対してプレッシャーをかけているということは風に乗ってこの町にも広まっていた。
特にこの町は小さいとはいえ、皇国との境界にそこそこ近く、そういった話に敏感にならざるを得なかったというのもあった。
皇国が王国に対してプレッシャーを掛けてきているのには理由があった。
皇国と王国の境界線の役割を果たしているのが、フォーリアン山脈と呼ばれる中ぐらいの高度の山脈だ。
この山脈が実は鉱山だったのだ。
それも『グロリウス鉱石』という希少な物で、生成すると与えられた魔力を十数倍に増幅し、出力するというとんでもない物だ。
軍事的に見てこれはとても魅力的なもので、これがあれば国力が格段にあがるとまで言われていて、どの国でも喉から手が出るほどに欲しいものだ。
それが国境線で見つかり、どちらの国もまずは所有権を主張した。
山脈がただの名義上であってもどちらかのものであれば良かったのだけど、国境制定時にこの山脈を空白地帯としていた。
領地が接していると小競り合いが多くなるということもあり、二国の間で緩衝地帯としてこの山脈を利用するというのが制定時の理由だった。
まずはそこにとりあえずといえ、陣取ったのがダイダロス王国。
それに対して、領有権が無いのに陣取るのはおかしいという名分を掲げて兵をあげたのがエグザイア皇国。
二国はにらみ合いの状態で数カ月が経過、それが現在のはずだった。
夜遅くにも関わらず外が騒がしく、僕は暗く狭い部屋の中で目を覚ました。
大通りに面しているわけでもない僕の部屋にまで外の喧騒が聞こえてくる。
とりあえず、口の中が乾いていた僕は枕元の水差しから水を飲む。
何かが変な気がする僕は、おぼつかない足取りで扉まで歩き、古くて建てつけが悪く音を立てる気の扉を押し開けた。
ぶわっと頬を撫でた風は、とてもとても熱かった。
目の前に飛び込んできた景色は、夕暮れでもないのにオレンジ色に染め上げられていた。
聞こえてきた音は建物の焼ける音と、逃げ回る人々の悲鳴だった。
周りから漂ってきた匂いは、色々なモノが焦げるイヤなものだった。
僕の口の中は、さっき水を飲んだばかりのはずなのにカラカラに乾いていった。
「ジャック君!逃げろ!皇国が、皇国が攻めてきたんだ!このままじゃ死んじまうぞー!!」
呆然とする僕を見つけた近所の肉屋の親父さんが叫びながら家族と逃げていく。
意味が分からなかった。
皇国がなぜここにいて、なぜこの町を襲っているのかが分からなかった。
ただ分かったのは、確実に炎が迫ってきていることだけだった。
部屋に急いでもどった僕は、少ないお金と最低限の装備を身に纏い、ふたたび家の外に飛び出した。
予想以上に炎が近くまで迫っていた。
煙もかなり蔓延している。
視界は周りの炎で明るすぎるせいで極端に狭まる。
それでも僕は走る。
長年暮らしてきた僕の体は、まわりが炎に包まれて分からなくなっても街の出口へと進んでくれる。
急に体が何かにあたった。
短い悲鳴に相手が人だと思った僕が左手を伸ばすと、ちょうど相手の腕を掴むことが出来た。
顔を近づけてよく見ると、なんのことはない近所の女の子の一人のアイシャだった。
ただし、表情は涙と鼻水でぐちゃぐちゃで普段の活発で明るい姿は見る影もない。
「ジャックお兄ちゃん…!そっちダメ!パパもママも!槍が!私なんとか逃げたの!でも、殺されて!パパとママが!」
どうしたの?と尋ねると僕のことが分かったのか、ぐしゃぐしゃの表情のまま僕に抱きつきながらそう言った。
相当混乱しているようだった。
言葉が言葉になっていない。
だけど、アイシャの両親に何か良くないことが起きたのは間違いないだろう。
僕が記憶を頼りに周りに目を向けると、開けた広場があった。
炎からは距離があるようで、火の手はそこまで迫ってはいない。
僕はアイシャの手を引っ張り、その広場の中央付近の簡単な作りの木のベンチに座らせた。
「アイシャちゃん。僕も何がなんだかよくわからないんだ。何がどうなったのか教えてくれる?」
僕がしゃがみこみ、目線をアイシャと同じ高さに合わせて、なでながら聞くとようやくしゃべってくれた。
所々混乱しているせいで分かりにくい部分もあったけど、まとめると『炎に驚いて家族で逃げた』『逃げた先の村の東の出入り口に兵士がいた』『その兵に両親を殺された』ということだった。
村の東の出入り口のずっと先にはフォーリアン山脈があり、東の出入り口にいたという兵士はたぶん皇国の兵士。
肉屋の親父さんが言っていたことを考えると、まず間違いじゃないはずだ。
改めて目の前のアイシャを見る。
服は煤で汚れていたし、ところどころに赤い染みが見える。
靴は片方が無くなっていて、小さな擦り傷が何カ所にもできている。
途中で転んだのか、ひじとひざも痛々しく擦りむいている。
ボロボロと大粒の涙を流して泣いているさまはとても痛々しい。
僕の心の中で激しい怒りが渦巻くのを感じた。
ぐらぐらと沸騰するような激しい怒りが全身に行き渡り、小刻みに震えて爪同士がカチャカチャと音を立てる。
ギチギチと音を立てて、僕の爪がより鋭く、長くなっていくのが分かる。
怒りに震える体を押さえつけ、今にも手袋を突き破らんとする爪に気を付けながらアイシャを背負う。
逃げるにしても、町の出入り口はどこも兵が抑えているだろう。
僕は東門に向うことにした。
アイシャの両親がまだいきているかもしれないという限りなく薄い希望にかけて。
背中のアイシャは極度の緊張からか、いつのまにか気を失ってしまっていた。
今無理に起こしてしまうよりはいいだろうと思い、僕は優しくなるべく揺らさないように気を付けながら走る。
出入り口の方に近づけば近づくほど、嫌な光景が目に入ってきた。
炎に巻かれて焼けてしまった人や、皇国兵に切られたのか、血だまりに沈む人、首が無い人もいた。
そんな光景を見るたびに右手がギチギチと音を立てる。
途方もつかないほどの怒りが僕の心の中を支配していた。
出入り口に着いたとき、そこには信じられない光景が広がっていた。
出入り口の少し開けた広場には大勢の死体が散らばっていた。
老若男女ほとんどの町の住人達が無残に切り殺されていた。
眼前には下卑た表情で婦女子を凌辱する兵士たちが何人もいる。
彼らの慰み者にされているのはこの町でも美少女、美女と言われる女性たちで、彼女らとは僕も話をしたことがあった。
彼女らの口から出る声は、普段の美しい声ではなく、怨嗟の声や、悲鳴、泣き声、絶望の暗く悲しい声だ。
「おい、また来たぞ。お前ちょっとあれ殺してこいよ。俺この子で遊ぶので手一杯だからよぉ」
「隊長ばっかりかわいい子独占してずるいっすよぉ。あとで俺にもその子マワしてくださいよ!」
隊長と呼ばれた男に命令された皇国兵の一人が、今まで凌辱していた女子の首を掻っ切って地面に投げ捨てる。
声もなく絶望の内に殺された女性の顔には、炎に照らされた幾筋もの涙のあとが浮かんでいる。
倒れて力を失って半開きになった口からは、真っ赤な液体がどろりとあふれ出た。
もう、限界だった。
背中のアイシャをゆっくり地面に下ろし終わった時には、既に皮の手袋を刃がつきやぶっていた。
怒りにまかせて手袋を引き抜くと、刃にひっかかりボロボロになってしまった。
せっかく貰った物なのにと心が少しばかり痛むけど、それはすぐになくなる。
目の前には皇国兵の男が長剣を振り上げて、狂気をその目に宿しながら迫りくる。
ぐらぐらと噴火寸前だった感情が嘘にように静かで、相手の動きがコマ送りのようにゆっくりと目に映る。
振りおろされる剣に合わせて、僕は五指を突きだして腕を切り落とす。
制御を失った剣がどこかへと飛んでいき、腕から噴き出してきた血が僕の服にびしゃりとかかる。
皇国兵の野太い悲鳴が真っ赤な町に響き渡る。
それに気づいたのか、後ろの方で構わず凌辱をしていた男たちが女性を殴り飛ばし、剣を抜いて襲い掛かってくる。
そんな動きも全てが遅く見えた。
ゆっくりと進む時間の中で僕は走り出し、先頭にいた男の頭をすれ違いざまに切り落とし、その後ろにいた男の胴体を斜めに切り裂く。
左右から同時に襲ってくる男たちの攻撃を半身になって躱し、その場でくるりと回って二人の胴体を水平に切り裂く。
深く切り裂いた腹部からは、腹圧で臓器が溢れだした。
炎に照らされてテラテラとぬめった光を放つ臓器はとてもきれいなピンク色をしていた。
「お前!こんなことしてタダで済むと思ってんのか!?あぁ!?俺たちは皇国の兵士だぞ!てめぇみてなガキなんざ」
見方を一気に殺されて動揺し始めた隊長らしき男の声がとてもうるさい。
男が正眼に構えていた剣を跳ね上げさせ、ガラ空きになった胴体に何度も切りつける。
一回切り裂いては腹から内臓が飛び出し、一回切り裂いては内臓が飛び散り、一回切り裂いては空っぽになった腹に大穴があいた。
白目をむいて倒れた男はもの凄い表情だったけど、見たくもなかった僕はぐしゃりとその顔を踏みつぶした。
凌辱されていた女性たちの下へと駆け寄ると、そのほとんどが既に息を引き取っていた。
それは無残に殺された人もいれば、自分で喉に刃物を突き刺した人もいた。
かろうじて生きている人に駆け寄れば、その人は殺してほしいと僕に頼んだ。
僕がそんなことは出来ないというと、彼女らは僕の爪を掴み、自分の体へと突き刺した。
刃を伝わってくる肉を裂く感触が、妙に生々しかった。
そして、僕の幸せだった日常は皇国の手によって崩され、真っ赤に燃え盛る炎の中であっけなく燃えて消えた。
ゆるりゆるりと書いていきます。私生活もあるので、のんびりと気軽に。
終着点も決めていますが、設定には余裕をもたせて、過程も変更が効きやすい物にしています。そして、一人称でやっていきます。
ぬるいようですが、あまり批判的な感想は書かないでください。書くとしても『あれって~~だったけど、~~にした方がいいかもしれないよ』という風な改善案のようにしていただけると嬉しいです。
誤字脱字も物語に致命的なダメージを与えるもの以外は基本無視していきます。
ご容赦ください。