四話―いじめっ子
中学生。新しく始まった生活。小学校のころからの友達と一緒になれなくて、一人心細かった。周りは楽しそうに群れて話しているが、おれは人見知りだ。顔は全員知っているやつらばかりだけど、話したことなんてない。すでに思春期に入っていたおれは、無邪気だった自分が小学校から積み上げてきた人間関係、それがないクラスになじめなかった。そんな、クラスの隅っこにいるようなおれを放っておくいじめっ子はいない。
武藤翔。おれをいじめた方々のリーダー格。
正確にいえば、具体的ないじめをしたのはこいつと、こいつの仲間。それ以外は、それを心底楽しそうに見ていたり、哀れな表情を浮かべるだけだ。"ただ一人を除いては"。
やつはおれが登校し、クラスのドアを開けると、決まって窓際の男子の群れから抜け出してきて、おれを蹴る。それが毎日の日課。おれは身を守る、なんてことはしなかった。そうすればもっとひどい目にあうから。腹を蹴られた時は腹を抱え、スネを蹴られた時はスネを押さえてうずくまる。そしてあいつは、そんなおれを指差し、みんなのほうに向きながらこう言うんだ。
「なぁ、こいつ誰?」
クラスに沸く、ドッという笑い声。大人――教師――からすれば、それは暖かな、クラスの団結を示す一つの形なのだろうか。いや、やつらもわかっているはずだ。わかっているのに、なにもいわない。
毎日が同じように過ぎてゆく。授業中は、あいつから指令を出された仲間がおれに様々なことを仕掛けてくる。紙くずを投げるとか、そんなベタで生半可な物じゃない。鉛筆の尖っていない方で背中を思い切り突き刺されたりするのだ。あまりの痛みに思わず声がでる。そんなおれの声と周りのくすりという笑い声に、教師の持つチョークの動きが止まる。
そして、何事もなかったかのようにまた動き始める。
休み時間は、武藤からありとあらゆるプロレス技を一方的にかけられる。ほとんど容赦のないそれは、骨が折れる一歩手前の威力だった。抵抗をすればヤツの仲間がそれをねじふせ、かつ武藤から殴られるというオマケ付き。女子はそんなおれを見て、「きもい」と聞こえるように呟き、武藤を応援していた。給食の時間は武藤の言いつけで、当番全員が、おれにだけ本来もらえるはずの量の半分以下しかいれない。固体で別れているものに関しては、無理矢理その一部をちぎる。そして、いただきますの合図の後、おれの給食は一番大きな容器にひとつにつめこまれるのだ。
その時の教師は、おれの方は見ないようにしていた。
面倒くさいことからは目をそらす。
社会にでてからも役に立ちそうなことを学校の教師達は教えてくれた。いや、教師になれば役に立つのかな。校長だって無駄さ。親が取り合ってくれたけど、対応します、対応します、いうだけいって、結局。
中学一年から三年まで、悪魔のいたずら(いや、神様だろうか。おれは神すら信じていなかったから)か、武藤翔とはずっと一緒だった。下っ端は変われど、リーダーが変わることはなかったのだ。
毎日が暴力。毎日が罵倒。闇を生きるおれは、自殺をしてもおかしくない状況に立たされていた。でも、それを行わなかったその理由。
それはきっと、いや、間違いなく、あの人への想い。これに尽きるだろう。
「次のターゲットは武藤翔だ。君とは中学一年生からの仲だよね?」
テレビに映し出された映像は、薄暗闇に浮かぶ散らかった部屋。一見して人がいないようにも見えるが、ベッドが異様に膨らんでいるのがきっとそれだろう。なにやらもぞもぞと動いている。
遼の頬には涙の通った筋がくっきりと残っている。親友は、もう一度ビニル袋を結んでそのままにしてある。目の届かないところには置きたくないという気持ちと、それと真逆の気持ちは、前者が勝っていた。この悲しみの冷めるころ、新しく湧き上がる憎しみは、間違いなくこの殺人鬼に向けられる。
「仲、なんてないさ・・・」
遼は携帯に向かって話し掛ける。
「仲は仲さ。君達はいじめる、いじめられる、という仲だった」
「・・・」
「携帯に充電コードを繋げ。バッテリーが途中で切れても困るしね」
遼は言われたとおりにした。テーブルまでコードが届かなかったので、床に携帯を置く。
「よし、よくできた!・・・それでだな、いま、武藤君がなにしてるかわかる?」
遼は映像に目をやる。いまだにもぞもぞしているベッドの上、よく見れば布団から手やら足やらが飛び出している。薄暗くてよくわからないが、これは・・・。
「そろそろフィニッシュじゃないのかな」
四本の手、四本の足。細い腕と、太い腕。細い足と、太い足。女の手足と、男の手足。つまりは、そういうことなのだ。
次にベッドの上の二人は規則的に上下に揺れだした。布団がずれ落ち、男の背中半分が露出する。女の腕が、その背中へ回された。女の喘ぎ声が聞こえてくるかと思うほど、男を求めるその腕が妙にリアルだった。そして、ミキの言うとおり、"フィニッシュ"をした。
「ふ〜む・・・立ってるか?倉田遼?」
この状況にふさわしからず、遼のは立派に立っていた。親友を包む紅いビニル袋へ視線をそらし、自己嫌悪に陥る。
「そんなわけないだろ。さぁ、さっさと命令しろよ。」
命令、という言葉をいったとき、違和感があった。
おれが、こいつを助ける?
ベッドの上の動きが止まった。いや、完全に止まったわけではない。呼吸のリズムで布団が少しだけ浮き沈みしている。そして、少しずつ男と女は折り重なっていった。
「あ、背中見えてるのが武藤君ね。女のほうは、君に言ってもわからないな。武藤君の中学とか高校からの知り合いじゃないから。ナンパってやつ。名前言おうか?彼女の」
「別に・・・」
「いいか。わかった」
どこまでもマイペースなミキ。
「彼が憎いか?倉田遼?」
憎いさ。今でも殺してやりたいほどに。少しずつ、少しずつ、おれの味わった苦しみを与えながら殺してやりたい。
「・・・おれがこいつを助ける、とでも?」
「さぁ。助けたくなけりゃ、見殺しにすればいい。その辺の自由は、きみにある。」
誰が助けるか。こいつの殺されるところなら、100回でも200回でもみてやりたいところさ。
「ま、とりあえずは、命令だな。」
今回は、例え命令の内容が髪の毛を一本抜く、でもそれに従うことはないだろう。
「今回は軽めにしておこう。右足親指の爪を剥げ。」
薄暗い部屋のなか、男の方がベッドから抜け出てきた。全裸だろうが、電気がついていないのですべては見えない。女のほうは、顔だけ布団からでているのが確認できる。
「時間は、10分くらいかな、うん。はい、スタート」
とても軽いスタートを切った。"例題"に比べれば、こんなもの。遼はソファに座ったまま、ミキのいうことを冷静に聞いていた。
「ふ〜む。倉田遼。先程までとは打って変わって冷静だね。もっと慌てたりはしないの?お前がなにもしないと、人が死ぬんだぞ。」
「殺人鬼にそんなこといわれたくはない。」
良心が痛まない。楽しそうに語るミキ。映像は、男がキッチンへ移動したのに合わせて切り替わった。台所の電気をつけ、その光を浴びた男の裸体があらわになる。たくましい肉体に、金色の混じった黒髪。鼻と唇と耳に穴が開けられ、そのさまはまさしく不良そのものだ。冷蔵庫から2リットルの水が入ったペットボトルを取り出し、ラッパ飲みしている。4年後の武藤翔が、そこにいた。
ゲームの第一回戦。ひぶたは切って落とされたのだ。