三話―ゲーム開始
「なかなかいい顔してるね、井川くんは。死顔が」
直立不動の遼は、携帯から聞こえてくるミキの声が聞こえてはいるが、わかってはいなかった。
やつは今、このマンションにいる…
おれを監視しているモニターは…車のなかだろう、やつはいま外だ、こっちがなにしてるかなんてわからない!
遼はおもむろに、携帯に目をやりながら、ゆっくりとキッチンへ足を向けた。そこに、母親が送ってくれた一度も使ってない包丁がある。やつはいま、遼が井川の生首を見た時、どんな反応をするか予想している。遼自身はそれを見たとき、どんな反応をするかなんて皆目見当がつかない。
一歩づつ、一歩づつ…
「どこにいく?」
途端に、遼の動きが止まる。世の中、そんなにうまくはいかないらしい。
「…なにが?」
あえて開きなおってみた。
「居間からどこにいくと言っている。僕がいま外にいるからって、わからないとでも?残りを殺すぞ」
最後のセリフはもう、遼にとって絶対的なものとなっていた。どうあがこうと、こればっかりには抵抗できない。
「別に、どこにも…」
「そうか。まあ、こっちとしてもこれでゲームが終わりじゃつまんないしな。今回は見逃してあげるよ。」
安堵と諦めが、遼の心の中で混ざりあった。
コンコン。
ドアをノックする音が聞こえた時、遼はソファに座りぐったりしていた。正直、親友の生首なんて想像できない。できるわけがないのだ。僕は普通の日常に暮らしてる、普通の人間で、戦争経験者ではない。人を殺すとか、殺されるとか、そんなこととはかけ離れたところで生活していたはずなのに。
この急な環境の変化には、とてもじゃないが、ついていけない。
心の準備をしようと思ってもできないまま、遼は玄関へと重い足取りで進んだ。
「あ、そうだ。念のために言っておくけど、大声はださないでね。不安なら、口になにか詰めとくといい」
その声に反応しないまま、遼はドアを開けた。
一瞬、誰もいないと思った。いや、少なくともミキはいなかった。下に目をやると、ああ、やっぱりだ。
内側から赤く染まったビニル袋が、サッカーボールほどのふくらみをもって、置いてあった。
居間からミキの声が聞こえる。
「とりあえず、それ持って中に戻れ」
思考がついていけない。悲しみとか、驚きとか、恐怖とか、感情がまるでわきあがらない。ただ、口を半開きにしたまま、ビニル袋の端を親指と人差し指で持ち、脱力状態のまま居間へ戻っていった。
「さて、今からきみのなかにある、このゲームに対する疑問をすべて取り除きたいと思う。やり方は簡単だ。その中身をあければいい。現実を自分の手で知り、受け止めるんだ。」
机の上に、新聞、広告、カップ麺、赤色のビニル袋。
口を半開きにしたまま、ゆっくりと、ゆっくりと、ビニル袋に手をかける。これをあければ、普通の日常とはもう会えない。いや、もうずいぶん前に別れてたのかも。ただ気付かなかっただけ。
どちらにせよ、だ。これが僕の運命。
親友は、なにが起こっているのかわからない、という顔をしたまま死んでいた。血で顔が半分ほど浸かっている。遼は、無表情のまま涙を流してる。ようやく、感情が追いついてきた。
ミキは言う。
「さ、次の命令だ」