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十四話―SHINE ON

 遼はぽかんとして、彼女に視線を注いだ。なぜかこうするしかできない。いずれはこの呪縛から解き放たれる時が来ようと思ってみたものの、今までと明らかに違うなにかに、遼はなんともいえなくなった。

 遼がなにも言えないので、向こうではミキが勝手に大谷愛に事情を説明していた。

「う〜んとね、ぼくが君を殺そうとするんだけど、そこに倉田遼くんっていうニートが割って入るわけ。それでね、ぼくが倉田君に、じゃあおまえ、そんなに大谷さんを助けたかったら、自分で自分を傷つけろよ〜っていうのね。それで、倉田君が傷つけられれば、君は助かる。彼が傷つけなければ、君は助からない。つまり、すべては彼次第ってわけさ」

 ミキが刀身を少し上に上げたので、大谷愛はそれに触れないように後退り、あごを上げた。これを見て遼は、滑らかな曲線を描くワイングラスと、いまにもそれに触れそうというゴツゴツした男の手を思いうかべた。男の手はグラスから僅か一ミリほどのところで、グラスの線をいやらしくなぞっている。妖艶な赤ワインの注がれたそれが、汚らしい指輪だらけの手の力によって軽く握りつぶされる様が、二人の無言のやり取りを見ていると勝手に映し出されていくのがわかる。

「わかったかい?」

 ミキの問いに、彼女は答えない。そして間もなく、刀の白銀の残像が、彼女の頭を通過した。

 突然飛来した衝撃に、驚きを隠しおおせるほどの実力を遼は持ち合わせていなかった。思わず体を前に傾け、なにが起こったのか探ろうとする。まさか、そんな――

「わかったかと聞いているんだ」

 左手に来た激痛に遼がかたつむりになって応戦していると、ミキの声がした。汗が目に入るのも気にせず、遼は見上げるようにテレビを見る。向かって右側にある壁に叩き付けられたらしい大谷愛は、こめかみの辺りを手で押さえていた。ベッドに投げ出された彼女の両足が、小刻みに震えている。だがそれもやがて治まり、次には彼女の激怒した横顔がミキを直視するのが見て取れた。どうやら、いまのはみね打ちだったらしい。切られはしなかったものの、ふっとばされるほどの勢いで殴られたとあってか、傷口を押さえる彼女の手の隙間からじわりと血が滲んできていた。

 いまだに答えない彼女に、ミキがもう一度刀を振りかざした瞬間、遼は叫んでいた。

「やめろ!」

 だが、思い空しく。彼女の頭めがけて振り下ろされた刀の(むね)は、彼女の、頭を防いだ左手首に命中した。ミキの右手にぶら下がっている携帯を通して、彼女の苦悶の叫びが聞こえた。


 いま、悟った。彼は、殺さないと言っただけで、傷つけないとは言っていない。この、絶対に信じられて、そして一番に安心出来た部分が、実はとても残酷な意味合いだったことに、遼はようやく気付いたのだ。

「わかったかと聞いているんだ」

 ミキはもう一度同じことを繰り返した。しかし、彼女は反抗的な態度をとり続ける。この状況で、この相手を前にしてそんなことをやってのける彼女に、遼は感服するしかない。

 そして遼は、大谷愛を心配した。

「ミキ、止めろ!止めてくれ!」

 ミキは聞く耳を持たず、ベッドの上に乗り込んで、右から左へ刀をなぎ払った。彼女が枕の方に吹っ飛ぶ。二人の距離が近くなったせいか、ついに遼の携帯から彼女の体に刀が打ち付けられる音が聞こえ始めた。まるで自分が痛みを感じているような錯覚に陥る。

 おれのせいで彼女が傷つけられている。なんとかして、ミキを止めるんだ。守りたい――

 ミキがベッドの上に携帯を投げた。しかし音は聞こえつづけるし、こちらからの声も届くだろう。

「ミキ、条件を言え!何をすれば彼女は助かる!」

 遼が叫びかけると、予想外の返答が帰ってきた。ミキは切っ先を彼女の首の辺りに差し向けたまま、首だけをぐるりとカメラに向けた。遼はぞくりとして、後ろに飛び退きたくなった。しかし、いろいろな痛みがあって、それはできなかった。

「ハァ?」

 それは、不良生徒が教師に向かってする、馬鹿にするような返事に似ていた。遼が目を丸くする時には、すでにミキの首は大谷愛のほうに向いていた。乱された髪と傷つけられた手首の隙間から、彼女の鋭い眼光がミキに向けられているであろうことは容易に推測できる。だが、それだけではどうにもならないのがつらいところだ。

 今度は蹴りだった。といっても、遼は天井の一角から見ているに過ぎないので、足はローブに隠れて見えないままだった。刀から足への突然の切り替えに、大谷愛は反応できなかった。鋭い一撃が彼女の腹部に入る。あえぐような咳。ミキが蹴りを入れたままどかそうとしないので、頭を守っていた両手がミキの足を掴んだ。

 そして、頭部へ振り下ろされる一撃。直後、彼女はぐったりとして、気絶まではいかなくとも、動けなくなったようだった。4人組バンドの描かれた大きなポスターに、軽く血が散っている。髪が顔に降り注いでいるため、表情は確認できない。

「さて、さて、さて……」

 ミキがベッドから緩やかに降りた。

「やる気は、あるのかい」

 先程の問い。そして、少しの間もなく遼は答えていた。

「おまえを許さない」

 ミキが刀をコンポに振りかざした。女性シンガーの明るい歌声が不吉な機械音に変わり、そして止んだ。

「勝手にどうぞ♪許さないだけで、なにもできないくせに」

 ミキが再びベッドを向いた。また彼女がやられる、と身構えたが、ミキは携帯を拾っただけだった。そしてまた、安西たちの時のような、遼にしか聞こえない程度の声量で、ぼそりと遼に呟いた。そして、短く言い終えると、ミキは声を元の大きさに戻した。

「……以上だ。時間は、10分やろう」

 遼は生唾を飲み込む。ミキは小机の上にある小物をどかして、彼女の方を向いて座った。

 あまりにひどすぎる現実。突きつけられた事実を撤回するのは、ブタに羽が生えることほど無理なことだ。

 すると、彼女が動いた。ミキがなにかする、と遼は落ち着かない顔になったが、ミキは何もしない。彼女が手探りで落ちていた携帯を手にとるのを黙って見ていた。

 そして、彼女は言った。


――――


「倉田君ってさぁ、好きな子いるの?」

 彼女と同じクラスになったのは、中学最後の年だった。一、二年の時、なぜ自殺しなかったのかといえば、それは皮肉ながら安西のおかげにある。偽りの上に成り立った彼の親切に、おれは見事にはめられていたのだ。

「えっ……いや、あの……」

 やつらの最大の誤算をいうなら、彼女を武藤とおれのいるクラスに入れてしまったことだろう。それほど、彼女がおれと武藤らに与えた影響はすごかった。

「やっぱりいるでしょ。中学生だしさ。思春期だよ、思春期?」

 彼らの楽しみは、あの年だけ半減していただろう。

「い、いないよ。……お、大谷さんは?」

「いるわけないでしょ。下らない」

 おれという存在と堂々話すことは、小学中学高校、はたまた社会において、村八分に繋がることは確実だ。それができるというのだから、ぼくは彼女に感服するしかない。それは昼休みの廊下での会話だった。窓を全開にしてかぜを受けていた。そばでは似合わない化粧をした同じクラスの女生徒二人が、話すふりをして聞き耳を立てているのが分かる。

「でも、さっき思春期だって……」

「わたしは関係ない。たまには、思春期からはみ出すような例外もいるよ。でしょ?」

 おれは黙ってうなずく。すでに彼女のことしか考えられなくなっていたおれには、きつい一報だった。しかし、自分の気持ちを表に出すなんてこと出来ないから、それ以上傷つくこともなかった。

「ね、倉田君って、よく耐えられるよね」

 話が急に切り替わったのはわかったが、それがなんについてなのかは、追求すべきところだ。

「な、なにが?」

「いじめだよ、い・じ・め」

 彼女はなんでも単刀直入に言う。しかし、言われた方はそれほど傷つかない。それはきっと、非難めいたものも、同情めいたものもないからだろうとおれは思っていた。

「あぁ……うん。安西先生とかいるし。あと……」

 おれがちらりと大谷愛をみる。彼女はおれのことなど見ずに、風に目を細めながら景色を眺めていた。顔を赤らめて、おれは視線を元に戻す。

「安西……?あぁ、あれね。わたし、どうも好きになれない。な〜んか、作ってる感じがすんだよね」

「そんなことない。あの人はいい人だ」

 少しむっとしたおれが、今度は怒った表情で彼女を見た。すると彼女もおれのことを見ていた。目を丸くして、なんだか驚いているようだ。目が合ったことで怒りが勝手に退散し、顔を赤らめたおれは視線を元に戻す。

 少し沈黙が続いた後、どぎまぎするおれの心境とは裏腹な声がした。

「そういうとこ、いいと思う。信じてるんだね。すごいよ」

 今度はおれが目を丸くして彼女を見た。笑っている。今度は顔を赤らめても、視線を元に戻せなかった。

「安西に憧れてるの?」

 その問いに、おれは答える。

「ううん……そういうんじゃなくて。それに……」

 口篭もるおれを、彼女は急かす。

「なに?他に憧れてる人がいるとか?だれ誰?」

 図星。そして、自分でもよくわからないまま、彼女を一心に見つめた。言葉にせずとも、思いは伝わった。

「え……わたし?」

 おれは、なぜか申し訳なさそうに、そして体の赴くままに、こっくりと首を縦に振った。彼女は顔を赤らめた。

 そしてまた沈黙。隣にいた二人が、きもいよね〜とかいいながら遠ざかっていった。彼女はそれを一向に気にすることもなく、駐輪場の広がる下のほうを見つめていた。おれはそれを見て、彼女に対する尊敬をさらに増す。

 やがて、五時限目の始まりのチャイムがなった。生徒達の動きがあわただしくなり、両端に見える階段の角からちらほらと教師の姿が見えてくる。

 武藤たちの笑いあう声が聞こえ、夢のような現実から引き戻されるのを覚悟したおれは、そっとそこから離れた。

「倉田君」

 おれがふりかえる。そこには、風にゆれる髪をさせるがままにした、大谷愛という絶対的な存在があった。日光に照らされた彼女は、おれの目にだけは、輝いて見えた。

 そして、彼女は言った。



「わたしが、あなたの上で輝きつづける」




―――――



「わたしが、あなたの上で輝きつづける」

 あの日に言われた言葉を、遼はもう一度聞かされた。そして、それでようやく決心がついた。

「わたしが死んでも、わたしは死なない。あなたの上で、ずっと輝き続けるよ。だから、絶対に自分を傷つけないで。どこをどうするのか、まだわかんないけどさ。それがどういうものでも、絶対に傷つけちゃだめ」

 遼は笑みを浮かべる。ゲロまみれの戦場に浮ぶ、それは綺麗な花だった。

「遼は強いよ。昔からそう。わたし、思うの。他人の助力なんかでどうにかなるほど、いじめは甘くないんだって。最後に必要なのは、自分の力なんだって。だからわたし、あなたが凄いと思った。わたし、こんな大層なこと言ってるけど、遼に憧れてたんだ。絶望だらけの二年間をあなたが耐え抜いたというだけで、わたしはあなたを尊敬する。そしていま、あなたはこんな恐ろしいことと逃げずに戦っている。これがどういうことかわかる?あなたが強いってこと!」


「だからわたし……あなたが好き。あの時から……」


 突然の告白に、遼はうろたえなかった。

「おれも好きだ。だから、大谷さんを守る。あのさ、条件だけど、もう聞かされてるんだ」

「え……?」

 画面に映る彼女は微動だにしなかったが、しっかり感情は伝わってきた。不安でいて、焦りも含まれている。


「おれが、死ぬことだ」

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