十一話―二回戦終了
助ける意味?知らないよ、そんなの。だって、助けたくないんだもの。
あぁ……本当に気持ち悪いや、こいつら。今までさんざんなことしてきた人間に、命ごいなんてするか、普通?……あいつはそれが人間だ、なんて言ってるけど、おれはそう思わない。怪物だよ。外見ばかりを強く見せて、本当は弱いのに、それを体のうちに押し込んで隠そうとするずる賢い怪物。
でも、今はその弱い部分が剥き出しになってるんだよね。いい響きを持たせれば、正直になったってこと。正直に生きるって、もっと素晴らしいことだと思ってたのに。全然素晴らしく見えない。醜い。
うわっ唾飛ばすなよ、気持ち悪いな。
……でも、やっぱり人間かも。人が生きてるのは、死にたくないからだよな。
だって、もし、「なんで生きてるの?」なんて聞かれたら、「死にたくないから」って答えるだろ。ひねくれた答えなんか、強がるための道具でしかないし。大切な人を守るためとか、本当に漫画の世界でしか通用しない。
そう考えると、こいつらだって全然、普通の人間なんだよ。俺だって同じような状況になったら、ああいう行動を取るかもしれない。人をどん底に突き落とすような真実はあいにく持ち合わせていないけど、生きるためにできることなら、なんでもしようとするだろう。
で、おれは実際そんな状況にいるわけじゃなくて。逆って言っていいかわかんないけど、とにかくそいつらを助ける立場にいる。助ける、なんて、本当に自惚れた表現。おれには無理だ。さっきまでのおれは、ただ虚勢を張っていただけなのかな。悔しいよ。今のおれのしていることは、こいつらと同じタイプの人間がすることと、同じなのだから。
他人のために命をはれるって、素晴らしい。だからおれは、素晴らしくない。
妙に哲学的な思考を巡らす遼の部屋の時計は、確実に時を刻み続けている。無気力状態の遼はあぐらをかいて、見殺しというビジョンを少し先の未来に見ていた。
「うん、うん、安西先生はあと少しかな。頑張ってね。校長先生は、量で言えばちょっとだけ安西先生に劣ってるぞ。あと少しだから、頑張って。森口先生は、スタートが遅かった分、やっぱり出遅れちゃってるね。でも、今からでも十分巻き返しは効くぞ。さぁ、みんなで生き残るんだ!」
ミキの言っている声が聞こえる。三人はそれに触発されるように、告白の勢いを増した。小学生の授業を見れば、これと似たようなものもあるかもしれない。ミキは、リズムよく頭を小刻みに動かしている。
ミキの言っていることは嘘だ。彼は今回で初めて、遼を騙した。この三人の姿を遼に見せるために、ミキは嘘をついたというのだろうか。すっかりだまされてしまった三人は、残酷な事実を次々さらけ出し、遼の心を傷つけた。遼の決心を鈍らせ、いまや消滅させる直前まで追い詰めた。三人の死ぬのも、時間の問題。
ミキはきっと、いまの遼をみてほくそ笑んでいるだろう。遼は今一度、自分を奮い立たせた理由を思い返してみた。
「……あいつに、負けたくないから?だから、おれは、自分の身を傷つけたの?」
汚物にまみれたような三人を見つめ、言う。
「武藤は助けられて、なんでこいつらは助けることができない?同じようなものじゃないか。同じ、おれの嫌いな人間。なのに、なぜ?」
理由を考え、そしてそれは、自然に遼の口からこぼれ出ていく。
「答えは……そう。勢いかな。あの時は勢いがあった。触発されてすぐ後だったから……勢いに任せて、やれたんだ」
当時に残った、あてつけの疑惑。一つの亀裂を元に、遼は自分にあった強さを否定していった。
「勢いもあったし、それに……親指の爪。それだけだ。たった、それだけ。傷つけたのがそれだけの部分なのに、よくもまぁ、あんな得意げに……」
自分は弱いのか。
「今回はどうだ。目、指、耳……どれも無理だ。自分で自分を傷つけるなんて、普通じゃできない。そのくせ、用意だけはしっかり怠らない。なんだ、この包丁とシャーペンは。これでおれは、なにをする気だった」
今が普通じゃない状況というのは遼にもわかっているのに、遼はそこだけ否定しなかった。
「助けないし、助けなくていい。だって、それが人間だから。おれは普通だよ。普通の人間。だから、助けなくてもいいんだ」
無理に納得しようとするが、心のどこかで、一生懸命に遼を食い止めようとするなにかがあった。
「……いじめを受けるような人間は、全員、弱いんだ。おれは弱い」
心臓に冷水を流し込まれるような感覚に陥った遼は、その冷水を流し込んだのが自分であるということをわかっていた。正義を。勇気を。自ら冷水に溺れさせていく。
「君はね。本当に、誰からも愛されてないんだよ」
嘘だ。叫んでみても、自信のないことは声の響きでわかる。ミキの言うことを信じる必要などないのに、遼の心はむしろそれを欲しているようだった。
遼は、自分の崩壊していくのがわかっていた。
他人という存在を信じられなくなった。ならばと、遼は考える。あの子はどうだろうか。彼女も安西と同じように、武藤と手を組んでいたのだろうか。一緒になって、おれのことを笑っていたのだろうか。そうでないと信じたい。言ってしまえば、遼にとっての最後の砦はあの子なのだ。
しかし、それも無駄に終わった。いいことを思い浮かべようとして、いい気分になった試しがない。悪あがきだ。どうせあの子も武藤とグルだったということで、遼はそのことを勝手に片付けてしまった。
そんな調子で、彼らの命があと十分と迫った時だった。三人はもうすべてのネタが出尽くしたのか、あ〜だのう〜だの、まだまだひねれば出せるものと頑張っていた。
思考を停止した遼の傍ら、ミキの叫ぶのが聞こえた。
「よ〜し、よし。もういいよ。はい、みんな合格。よくぞ遼君を追い詰めてくれました」
途端に口をつぐみ、にやつく顔を見合わせて、ミキのほうを振り返る三人。
「じゃ、じゃあ……」
だれがそう言ったのか遼にはわからないが、ミキはそれを、ちょっと黙ってねと言って制した。
遼はとりわけ反応するわけでもなく、ただ黙って画面の下のほうを見つめていた。むしろ、見ているようで、実はなにも見ていなかったとしたほうが正しい。
「倉田遼。薄っぺらい善意の持ち主。君の強さなんて、所詮はこんなものだったね。君は最低の人間だよ。死んでしまったほうがいいんじゃないか。ほら、そこの包丁で。できないこともないだろう。君はもう、自分が一番ぐずだってわかってるはずだ」
そうかもしれない。なんだか、ミキに言われるとたちまちそんな気がしてくる。目線が包丁へいった。
「しかし、待て。君が死んでしまっては、この人たちが助からないよ。どうせ死ぬなら――うるさいなぁ、嘘だよ、嘘――どうせ死ぬなら、この三人を助けてから逝ったらどうだい。君など比べ物にもならない、救うに値する素晴らしい方たちさ。そうだろ?ぐず」
なるほど。ぐずにはぐずらしい、世のため人のためにできることがあるじゃないか。これまでは死への恐怖で自分を傷つけることなどできなかったが、いまは違う。死を恐れる必要がないのだ。おれは死ぬべき人間なんだ。死にいく途中で、人を三人助けてなにが悪い。
「まぁ、君もよくやったよ。よく強がってた。君みたいな人間の行き着く先は、いつでも、ここなんだ」
――あとのことは、目覚めるまでほとんど覚えていない。覚えているとすれば、気付けば包丁へ手が伸びていたことと、グニュだのバリバリだのシュッシュッだの、およそ体の内にしか聞こえない背中のむず痒くなるような効果音ばかり。
痛みのあまり、気絶してしまったらしい。彼らは、助かったのかな。