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十話―人<後編>

おれは職員室に呼び出されていた。理由は、まあ、知っての通り。でも、目的は違った。おれを呼び出した安西は、

「いじめなんかないんだろう?」と、諭すようなことはしなかった。

そう。おれがいじめられていることを認める、数少ない教師の一人だったのだ。

他の教師の痛い視線を浴びながら、おれは、椅子に座る安西の前に立っていた。安西の机は適度に散らばっていた。そのなかに

「いじめ」についての本が数冊あることに気付いたおれは、無意識のうちにそれから目を離し、床に目をやった。

「さて、と」

安西が改まったように、遼のほうをむいた。机に乗った片腕が、ボールペンをいじくっている。

「遼。お前、なにか先生に隠してることないか?」



「はやく!!刺せッ!突きさせっ!」

 すべてを支えていたはずの柱が折れてしまったようだった。安西は、遼がどれだけの覚悟を持っていたかに気付いていない。壮絶な拒否反応を起こす体に、無理矢理傷をつけようとしたときの遼の目は、間違いなく本物だったのだ。

 遼は呆然として目の前の安西を見つめていた。

「……まだか?おい!まだかっ!」

 安西は血走った目で、ミキの方を振り返った。振り返るときの衝撃が強すぎて、椅子が動いてしまうほどだった。ミキに遼の状態を聞こうというのだろう。

 立ち上がったミキがなにか言ったが、携帯には届かなかった。安西は、ミキが立ち上がっていたことに驚いていた。

「ま、待てっ!じじじ時間は、ま、ままだあるはずだ!アレが早く刺せば――」

 アレ。

「頼むっ!殺さないでくれ!やるならこいつらを……」

 ミキが歩き出すと、寺山がひんひん喚き出した。森口も、この安西の状況を見て少し不安になってきたのか、「てめぇこの野郎!俺を売るな!」と言っていた。鼻血は止まっていなかった。

 しかし、ミキは三人の横を通り過ぎ、まっすぐ携帯のほうへ近づいていった。

 ……まだなにかあるのだろうか?ミキは喋り始めた。


 安西の質問に、しどろもどろになるおれ。もし言ってしまえば、武藤からのいじめはエスカレートする一方だろう。しかし、思い切り、洗いざらい話してしまっても、心が楽になるかもしれない。

「あの……せんぜっ」

 舌をかんだ。じんわりとした血の味が、口の中を広がっていく。後ろにある休憩室から、馬鹿うるさい森口の笑い声が聞こえた。別におれのことを笑っているわけではないのだろうが、それでも恥ずかしかった。安西は笑うだろうか?人と話す時間が長いことなかったため、おれは話す能力というのが下がっていた。

「ゆっくり、話せ。焦らなくていい」

 涙が出るのをこらえようとしたが、勝手に目が潤んでしまっていた。鼻を思い切りすすり、手で涙と鼻水をぬぐう。

「つらかったんだな……話してみろ。誰にも、喋ったりなんかしないから。先生は、おまえのたった一人の味方だ」

 安西の言ってくれることはすべて嬉しかったが、ひとつだけ、訂正しておいた。

「先生……ぼくの味方は、たぶん、もう一人います……」

「なに?そうか……じゃあ、これからはその人と先生が、遼の味方だな。そのうち、そいつも先生に紹介してくれよ」

 おれは泣きながら笑っていた。笑うなんてどのくらい久しぶりだろう。頭をくしゃくしゃに撫でられながら、おれはそんなことを思っていた。


「特別ルールを発表します。<正直に白状した者は、助かります>。以上っ♪」

 奇妙なことを言う。遼はどういうことだと思った。瞬間、ミキがしゃがみこんで、携帯を覆った。映像を見ると、まるで縛り付けられた三人にミキが屈しているようにも見えたが、あくまで立場はその逆だ。そして、遼にしか聞こえないほどの声で、ミキは言った。

「これ、嘘だから♪彼らに言っちゃだめだよ?」

 ミキは早々と立ち上がると、優雅な足取りで教壇に戻り、先程の姿勢をとった。

「正直に……」

「助かる……?」

 向こうの三人の様子が変わった。安西は黙り、三人は気まずそうに下を向いた。遼にはどういうことかわからなかったが、不吉な感じは受けた。

「し、しかし……ばれてしまうのは……」

 寺山だ。

 ミキは、大げさに、大声で寺山に言った。

「なにをいまさら、です。それに、ばれたところで、知るのはごく少数です。さぁ皆さん、助かりたければ、彼にすべてを」

 寺山はミキの言葉をいいように受け取ったようだった。ゆっくりと顔を上げると、画面越しに遼と寺山の目が合った。

 その目に映っていたもの。遼はすぐに目を逸らした。寺山が口を開いた。

「わ、わたしは――」


 おれは安西に、じぶんがいじめられていることを話した。泣きながら、何度もつっかえながら、それでも話しつづけた。最初は気になっていた周りの視線も、気にならなくなっていた。

 すべてを話し終えた時、安西は立ち上がって、おれのかたに優しく腕を回してきた。

「よく話してくれた……。でも、いじめをなくすとなると、やはり一筋縄じゃいかなくなるんだ。それはわかるな?」

 おれは安西を見上げる。

「先生と、遼がさっき話してくれた子。二人がおまえの味方だ。つらい時は、先生とその子を思い出してくれ。そうすれば、いじめなんかへっちゃらだ。耐えられる。そうだろう?」

 おれはその時、無意識のうちに頷いてしまったが、どうなのだろう。安西の下した結論は、本当に正しかったのだろうか。俺自身に武藤と戦う勇気がなかったので、そういう結論になるのはやむを得なかった、とすれば簡単だが。しかし、これでは結局、なんの解決にもなっていないんじゃないか。

 そして次の日。

 そうだ。思い出した。



 いじめがエスカレートしたのだ。武藤の「おまえ、ちくったろ?」の一言を皮切りに。



「わ、わたしは、武藤らの、アレに対するいじめに、加担していた!」

 叫んだのは、寺山ではなく安西だった。とても早口で、言い終わった時には、安堵の微笑さえ漏れていた。

「そう。そう。おれは、こいつの味方をするふりをしながら、実は武藤と組んでいた。毎日がつまらなくて、刺激が欲しかった。最高だった。朝から昼までいじめられてきたこいつが、放課後になると街灯にむらがる虫けらのようにわたしに駆け寄ってくる。一所懸命に同情する芝居をしたが、内心腹がよじれるほど笑っていたよ。このことを森口に話していた時に、偶然校長に聞かれて――」

 寺山が自分の番だ、とでもいうように、安西をにらみつけながら言った。

「わたしは、それを聞いて、面白そうだと思ったよ。わたしも、その仲間に入れてもらった。だ、だから、武藤と倉田を三年間一緒のクラスにするという計画にも、大賛成だった――」

 驚愕の事実。

 ありきたりな表現だが、遼の気持ちを表すには、これが一番適当だった。心臓と体のあちこちとを繋ぐ太い血管がブチブチとちぎれていくように、遼は心もおかしくなり始めていく気がした。

 二人は競うようにして、隠されていた真実を吐き出していった。中には、遼ですら覚えていないこともあった。自分が助かるために、脳みそをフル稼働させているのだろう。目を開き、汗だくの顔に不気味な笑みを携えて、どのくらい喋れば助かるのかという焦りと、もう結構なこと喋ったんじゃないかという満足感の間で揺らぐ二匹の怪物は、それでもなおカメラとミキを交互に見ながら、口を休めることはしなかった。

 つばをまきちらす二匹の傍らに、影の薄くなった人物がいた。森口である。カッパ頭の頭頂部には、塩辛い水がたまっていた。表情はあおざめている。じょじょに、このゲームの信憑性が、この男にも分かってきたのだ。証明したのは折れた鼻だった。テレビの企画なら、普通ここまではしないし、やってしまったらやってしまったで、すぐにでも番組の責任者が教室のドアを開けて入ってくることだろう。しかし、それがないというのだから、これは犯罪かな、というのが、冷静になって導き出した森口の結論だった。さらに、このミキという男の存在感たるや、形容するにも恐ろしいものがある。しかし、あえて形容するならば、それは絶対的存在、というほかならないだろう。この男にはしっかりとした考えがあって、それはだれにも害することは出来ないし、また、屈折させることもできない。自分のしていることに、まったく後ろめたさを感じていない点から、森口は、ミキのしようとしていることを信じ、そして恐怖するのだった。絶対的な存在感を見せる人間など、後にも先にも見たことがない。

 森口はいまにも吐きそうな顔をしていたが、それが徐々に、フッフといった笑い顔へと変わっていった。人をなめきったような、癇に障る顔でカメラを見つめるが、隣の二人の叫びが、自分の言いたいことをすべて飲み込んでしまう。森口は声を、二人よりも勝る、どでかい音量にして叫んだ。

「黙ってろ!」

 二人は黙った。正確にいうと、黙らせたのは、森口から飛んできた血液だった。血が、二人の勢いを、一瞬だけ油断させた。その隙に、森口は言う。

「おい、倉田。武藤におまえをいじめるようにけしかけたのはな、俺だよ」

 遼の呼吸が無意識に止まる。他の二匹が、それぐらいの告白でいい気になるなとでもいうように、再び叫びだした。

 二人の朗読する「いじめ加担日誌」に真新しいこともなかったので(これもまた悲しいことだが)遼は森口の言うことへ耳を傾けた。まだ先程の話の続きだった。

「倉田遼っていう、マゾのドM野郎がいるから、ちょっと相手してやってくれないか、っていったらよ、次の日にゃあ、てめぇのこと殴り飛ばしてくれてたぜ。ありゃ、気分よかった」

「おれがおまえをひと目見たときにむかついてなけりゃ、おまえはいじめられることもなかったんだぜ。ま、あくまで仮定の話だけどな。どっちにしても、てめぇみたいに見てるだけでむかつくやつは、おれがいなくてもいじめられてた。そう思うだろ?」

「おれも暇だった。刺激がほしかった。安西とおれで盗聴器を隠し持って、おまえがクラス中から罵倒されるのを録音しては、爆笑してたもんさ。あ、もちろん、おまえが安西に慰められてる時もだ。おまえ泣くんだもん。気持ち悪いったらありゃしねぇ。ま、笑ったけどな」

「自殺させなかっただけ、よかったと思えよ。いじめられる側にも、いくらでも問題はあるんだ」

 聞いていくうちに、安西の本性を知り、悲しみに暮れていた遼の心が、怒りへと変換されていった。どちらもよくない感情だとわかってはいるが、歯止めが利かない。怒りが過ぎて、耳が遠くなってしまったように思えた。やつらの声が聞こえない。叫びつづける三人を見て、ブルブルと体が震え、殺してやりたいという衝動が沸く。

 憤怒に満ちた目つきで、画面の三人を見る。

 そして、ふと思った。

 こいつらは、いったいなんなのだろう。

 その答えは、両腕を翼のように開ききったミキから聞けた。三人にも負けない、凄まじい声だった。だが、必死な三匹はそんなことに気付いていないようだ。音の聞こえなくなった遼の鼓膜に、ミキの声だけが不自然に響く。

「どうだい、倉田遼!!これが人間だよ!自身の生への異常なまでの執着は、人を見るも無残な醜い化け物へ化してしまう!どんな人間だって、掘り進めればこんなもの!他人を思いやる気持ちなどあるわけがない!

 わかったか?君の助けようとする人間など、所詮はこんなものなんだ。助けたってなにもでやしない。出るのは自分の血と、安上がりな感謝の言葉。なぁ、おい。そろそろ逃げたらどうだい?君の固めた決意なんて、少し突付けばボロボロと崩れ落ちてしまう程度のものだ。人間らしく、面倒くさいことからは、逃げてしまえ」

 遼自身そうしたかったが、まだ体のどこかで、逃げようとする自分を止めるなにかがあるのに気付き、心を揺らすのだった。

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