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管制塔との通信、必要最小限度の会話、それ以外、帰路には何もなかった。二機のハチクマが先行して着陸、続いて二機ずつ、ユサ組、ハスミ組と着陸した。昼前の基地はまだ朝の余韻を残していて、滑走路は日をてらてらと浴びて暖かく、キャノピーを開けても冷気は漂っていなかった。小春日和だ。
機体を降りても、誰も口を利かなかった。格納庫脇でユサが何かを蹴ったようだったが、イライは自機を見上げていたので、音しか聞こえなかった。ヌノベが寄ってきた。
「首尾は」
「生きてたよ」
短く答え、イライは牽引車に引かれていく自分の戦闘機をエプロンで見送った。
「ユサさん、荒れてるみたいだ」
「全滅したからだよ」
「全滅?」
「あとは、あちらさんに聞いてくれ」
イライは少し離れて駐機した二機のハチクマを指し、ヌノベがそちらを向いて振り返らぬうちにエプロンを立ち去った。
待機所に入ると、全員の目がこちらを向く。ユサの姿はもうなかった。純粋培養の彼があれほど感情を露呈するのも珍しい。初めてイライはユサに好感を持った。撃ち墜とされて平然としていられるパイロットなどいるはずがない。それが模擬戦でならなおさらだ。なぜなら、殺されていながら生きているからだ。死人として生きるのだ。まして今日は四対二だった。Ⅴ型のノスリが、Ⅵ型の配備のおかげで名ばかりの「最新鋭機」とはいえ、前線基地で敵と対峙してきた自分たちが、たった二機の新型に撃墜された。これで屈辱を感じなければ、嘘だ。
イライはいつもの窓際の席に座り、煙草を一本だけ喫った。わずかな休憩ならば許されるはずだ。このあと、自分たちを待っているのは、さらなる恥の上塗りだ。デブリーフィングの時間は知らされていた。
「イライ」
声をかけてきたのはウエズだった。一緒に飛んだことはほとんどないパイロットで、以前は偵察機に乗っていたこともあるというおかしな経歴の男だった。
「全滅したそうじゃないか」
イライは無視した。
「気の毒に」
煙草はまずかった。うまいはずがない。
「女に墜とされた感想はどうだ」
「ウエズ、その辺にしておけ」
鋭い声が飛ぶ。イライは声の方角を向かなかった。声を荒げたのはチナミだった。
「お前も飛んでみればよかったんだ」
チナミはマグカップを片手にしていた。湯気を立てるマグカップの中身は、きっとミルクだ。チナミは待機所でコーヒーを飲まず、いつもホットミルクを好んでいた。
「きのうハスミには話したが」
チナミが歩み寄る。
「あのスピードにはついて行けない。ノスリでは」
「イライ、ついて行けなかったのか」
「だから墜とされたんだ」
イライは灰を叩き落とし、答えた。
「高度は」
チナミが訊く。
「二万と少し。いや、もう少し低かったか」
「どうやってやられた」
「これからデブリーフィングだ」
「教えてくれてもよさそうなものだ」
ウエズが割って入る。胸ポケットから煙草を抜いて、火をつけながら。
「教えてどうする」
イライ。
「知りたいんだ。悪いかな」
「ハチクマは味方機だ。知ってどうになる」
「俺も知りたいが」
チナミはマグカップを両手で包み込むように持つ。暖かそうだ。今日は空が澄んでいる分、空気が冷たい気がする。
「一緒に飛んだときはどうだったんだ。きのう」
イライはチナミを向く。
「格闘戦になれば負けないような気がした。だが、徒競走ではだめだ。ついて行けないというのは本当だろう。こっちとあっちでは巡航速度が違いすぎる」
「お前、どこまで迎えに行った」
煙草が短くなっていく。フィルターまで煙になったら、デブリーフィングに赴くとしよう。
「きのうの話をしているのか」
「そうだ」
「ウエズ、聞きたいか」
「イライが話してくれないんじゃ、あんたに聞くしかないかもしれない」
ウエズは鼻を鳴らす。
「俺は空中戦をやったわけじゃないが」
チナミがイライの隣に腰を下ろした。ソファが沈む。
「あのヨノイって奴より、ウィングマンの方が軽快そうだった。迷いがなかった。飛び方に」
ユウ?
「考えて飛ぶタイプじゃない、そう思った。俺は。俺とセムラが奴らを見つけて、まずすれ違った」
チナミはマグカップをサイドテーブルに置き、右手を離陸させた。同時に左手も上昇。
「こうやって、向かい合うような感じだな」
チナミの左手がややバンクを取りながら、右手に近づく。どうやら左手がハチクマのようだ。
「ロールは鈍く見えた。そのかわり、スピードが違う。一瞬で、」
チナミは両手を胸の前で素早く交差させる。
「すれ違った」
「速度差は」
ウエズが聞く。彼の煙草も灰が長い。
「さあ。こっちは三〇〇ちょい、あっちは四〇〇は出ていただろうから、直交したわけでもないが速かった。目がついて行かなかったよ」
「それで」
「こっちは一気に、」
右手が急ロールする。ノスリが得意とする急反転だ。
「こうやってロールして、ちょっとだけ高度を捨てて、追いかけた」
イライは煙草をもみ消した。ウエズが気づいて、自分の煙草の灰をトレイに落す。
「追いつくのに五分以上かかった。それも向こうが速度を落して」
「迎えに行ったんだろう、お前らは」
イライは腰を浮かす。もう時間だ。
「まあ、俺の印象としては」
チナミも立ち上がる。
「軽さだけだな。こっちの武器は。ほかはだめだと感じたよ。……イライ、その通りだったか」
イライは返事をせず、後ろ手に手を振り、出口に向かった。
「後ろから撃たれたんじゃないだろうな」
チナミの声が、言葉どおり、イライの背を撃つ。
「イライ」
ウエズの声も追ってくる。
「ユサに訊け」
イライはそういうと、煙草臭い待機所を出た。
廊下は、窓がないぶん、さらに寒く感じた。
怒鳴りたい衝動をこらえるのが、いまのイライの精一杯の自制だった。