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真 ネザーワールド リヴァイヴ(冥界蘇生) ~混沌と秩序の双刃(そうじん)~  作者: たくみふじ


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第二章 樹海の不協和音(ディスコード) 第二節 最悪の共同戦線

交わるのは殺意のみ。相容れない二人の美学が、世界のバグを叩き潰す!

 その通達は、まるで姿なき死神が突きつけてきた黒い招待状のように、二つの絶対的な「異常」の元へと全く同時に、そして唐突にもたらされた。

 神奈川県横浜市、山手の異国情緒あふれる高級住宅街に建つ北條家。

 二階にある自室の瀟洒しょうしゃなアンティークデスクに向かい、明日の古文の予習という「善良な女子高生としての完璧な日常」を演じていた北條孝子の耳に、突如として耳障りなノイズが飛び込んできた。

 ジジッ……ザザザザッ……。

 音の出処は、部屋の隅にインテリアとして飾られていた、電源のコンセントすら抜いてあるはずの古い真空管ラジオからであった。

「……ガーディ。これは、どういうことですの?」

 孝子は持っていた鼈甲べっこう柄の万年筆をノートの上に静かに置き、極北の氷のように冷ややかな声で虚空に問いかけた。

「へっ。どうやら、どこのドブネズミか存じませんが、私がこの部屋に何重にも張り巡らせていた地獄の霊的結界を強引にすり抜け、空間の電波に直接干渉してきている輩がいやすぜ。ただの人間に出せる業じゃありません」

 孝子の足元に落ちていた濃い影の中から這い出た元・地獄の番人、ガーディが、油断なく周囲にドロドロとした地獄の瘴気を漂わせながら、いつでも主を守れるよう警戒の態勢を取る。彼が独自に嗅ぎ回っていた『神隠し』の黒幕――「アルカディア財団」の尻尾を掴みかけた、まさにその絶妙なタイミングでの干渉であった。

 真空管ラジオから漏れ出すノイズは、次第に一つの音声のようなものに変調し、やがて、機械で合成されたような、性別も年齢も、感情の起伏すらも一切読み取れない不気味な声が部屋に響き始めた。

 時を同じくして、兵庫県神戸市、高清水家の地下ラボラトリー。

 次世代ガジェットの設計コードを猛烈な速度で打ち込みながら、同時に「アルカディア財団」の強固なネットワークの深層へと論理的なハッキングを仕掛けていた詫間亨たくま・とおるの手が、キーボードの上でピタリと止まった。

 ラボの壁面を覆う数十台の大型モニターが、突如として一斉に真っ黒にブラックアウトし、システムへの致命的な不正アクセスを知らせる赤い警告灯がけたたましく明滅を始めたのだ。

「何事なん、亨さん?」

 革張りのソファで難解な海外の哲学書を読んでいた高清水凉子が、不快そうに美しい柳眉をひそめて立ち上がる。

「……信じられません。このラボのメインサーバーは、外部のネットワークから物理的にも論理的にも完全に遮断されているはずです。ハッキングなど絶対に不可能なのに……!」

 亨が信じ難い現象に驚愕の声を上げる中、ブラックアウトした中央の巨大モニターに、白い文字で暗号化されたメッセージが、まるで古いタイプライターで打たれるかのように、カシャッ、カシャッ、と一文字ずつ表示され始めた。

 横浜のラジオから流れる合成音声と、神戸のモニターに表示される文字。

 それは、数百キロの空間を超えて全く同時に届けられた、一言一句違わぬ同じ内容のメッセージであった。

『拝啓、赤き混沌カオス様、青き秩序コスモス様』

「……ほう? わたくしたちの美しい仮面の下の正体を、どこまで知っているのかしら。ずいぶんと面白い趣向ですわね」

 孝子は、ラジオに向かって冷たく、そして獲物をいたぶる前のような妖艶な笑みを浮かべた。

「……何者なん。私の神聖なラボに、土足で踏み込んでくるなんて。ええ度胸しとうやん」

 凉子は、モニターを絶対零度の瞳で鋭く睨みつけ、苛立ちの混じった神戸の言葉を吐き捨てた。

『先日の横浜・本牧埠頭におけるお二方の素晴らしい「演習」、とくと拝見させていただきました。お二方の卓越した能力と、その絶対的な美学の衝突は、我々の期待を遥かに上回るものでした。

 さて、貴女方が現在、それぞれ全く別のアプローチで追っておられる『連続神隠し事件』。その黒幕は、我々も長らく監視対象としていた、非合法の才能収集機関『アルカディア財団』と呼ばれるカルト組織です。

 彼らの目的は、日本中から特異な才能を持つ若者を選別して拉致し、独自の洗脳教育を施した上で、海外の紛争地域や非合法研究機関に『最高級の生体兵器』として高額で転売することにあります。

 彼らの現在のアジトは、静岡県・富士山麓の青木ヶ原樹海に隠された、旧日本軍の巨大な地下要塞。そのセキュリティは、物理的にも、霊的にも極めて強固であり、貴女方お一人の力では、突破は到底不可能でしょう』

「……まあ。随分と、ご親切な解説と忠告ですこと」

 孝子が、小馬鹿にしたように鼻で笑い、万年筆のペン先で机をコツコツと叩く。

「……わざわざご丁寧に教えられへんでも、そんなん私の論理ロジックですぐに割り出せとったわ。それで? あんたらの狙いは何なん?」

 凉子が、モニターに向かって冷ややかに核心を突く。

 見えざる者からの音声と文字が、淀みなく続く。

『そこで、我々から、お二方に一つのご提案があります。

 このアルカディア財団の殲滅任務、貴女方二つのチームに、共同で当たっていただきたい。

 我々が、万全のサポートと内部情報へのアクセスをお約束いたします。成功の暁には、莫大な資金的報酬と、そして……我々『神託オラクル』が独自に所有する、貴女方の「故郷」――地獄の最下層と天界の深淵に関する、極秘の情報アーカイブへのアクセス権を、一つ、お与えしましょう』

「……ッ!」

 その言葉が提示された瞬間、孝子の傍らに立つガーディの影の輪郭が激しく揺らぎ、神戸のラボでタイピングを試みていた亨の手が完全に止まった。

 地獄のアーカイブ。それは、システムの不具合によって反逆し脱獄したガーディのような存在にとっては、地獄の追っ手から完全に逃れ、絶対的な自由を得るための致命的な情報が眠っているかもしれない、喉から手が出るほど欲しい禁断の果実である。

 天界のアーカイブ。そこには、凉子が自ら捨て去った天使養成校の成り立ちや、天界が隠し持っている大いなる欺瞞の深層データ、あるいは彼女自身の失われた記憶の断片が眠っている可能性があった。

『ただし』

 メッセージは、最後の一文を、まるで首筋に氷の刃を突きつけるように冷酷に結んでいた。

『この共同任務を拒否した場合、あるいは、任務中に貴女方が互いに争い、作戦に致命的な支障をきたした場合。

 先日、我々が横浜の本牧埠頭にて極秘裏に記録させていただいた、貴女方の『お遊戯』の完全な映像データ、及び、貴女方の真の身元に関する詳細な分析レポートを、警察当局、マスコミ各社、そして、貴女方が通うそれぞれの『学校』と『ご両親』に、即時、提供させていただきます』

「………………ッ!」

 孝子の美しい顔から、あの余裕に満ちた妖艶な笑みが、完全に消え失せた。黒い瞳の奥に、本物の地獄の業火がどす黒く燃え上がる。

「………………ダボが」

 凉子の完璧な顔が、これまでにないほど強烈な怒りと屈辱によって、微かに引きつった。青い瞳が、モニターを破壊せんばかりの殺意で満たされる。

 それは、逃げ場のない完璧な脅迫であった。

 彼女たちの持つ強大な異能の力ではどうすることもできない、表社会における「お嬢様としての完璧な日常」という、最も脆く、最も守らねばならない弱点を、あまりにも的確に突いた、反吐が出るほど理不尽な脅迫だった。

 彼女たちはここで初めて、明確に気づかされたのだ。「神託オラクル」という、得体の知れない絶対的な第三者の掌の上で、自分たちが無様に踊らされていたことに。

 あの横浜での衝突も、引き分けに終わった激突も、すべてはこの「共同任務」という本番のためのデータ収集であり、彼女たちの首に絶対に外れない鎖を繋ぐための「口実作り」に過ぎなかったのだ。

「……ガーディ」

 孝子は、机の上に置いてあった高級な万年筆を、ギリッ、と不快な音を立てて真っ二つにへし折った。インクが真っ白なノートに血のように飛び散る。

「あの得体の知れないブローカーに、返信をなさい。その『美しくない』血の通わない堕天使と、一時的に手を組んでさしあげます、と。……お父様とお母様の、あの間の抜けた、でも温かい笑顔が絶望に歪むのを見るのは、わたくし以外の者がやってはならない至高の芸術ですもの。他人の汚い手で壊されるなど、万死に値しますわ。……ただし、わたくしは、わたくしのやり方で『お稽古』するだけですわよ」

「……亨さん」

 凉子は、クリスタルテーブルの上に並べていたチェスの白のクイーンを、指先で強く弾き飛ばした。駒は硬い壁に激突し、乾いた音を立てて粉々に砕け散る。

「『神託』に、返事しといてや。その『下品で野蛮なネズミ』と、一時的に共同歩調を取るって。……私の完璧な秩序であるこの日常のシステムを、こんな得体の知れないバグに崩されるなんて、論理的に絶対許容できへん。……ただし、私は私の『美学』に従って、非論理的な悪を徹底的に排除するだけやわ」

 二人の少女殺し屋は、互いへの強烈な殺意と、細胞の隅々まで染み渡るような嫌悪感を、心の奥底にある分厚い鋼鉄の箱の中に無理やり押し込めた。

 この宇宙で最も憎むべき最悪の相手と、一時的な、しかし、あまりにも危険で不快な共同戦線を張ることを、事実上強制されたのだ。

神託オラクル』が仕掛けた、新たなる死の遊戯盤ボードが、今、静かに、そして残酷にその幕を開けた。


 深夜、午前一時。

 静岡県、富士山麓。その広大な裾野に広がる青木ヶ原樹海は、古来より人々が足を踏み入れることを拒んできた、日本有数の禁足地である。

 夜ともなれば、月光さえも分厚い葉群に完全に遮られ、鬱蒼うっそうと生い茂る木々はまるで亡者の手のように天に向かってねじれ曲がっている。方位磁石を狂わせる強力な磁場と、一度迷い込めば二度と生きては出られないという都市伝説が、この森を外界から完全に隔離していた。

 その樹海の入り口、国道から僅かに外れた場所に放置された、廃墟となった不気味なドライブインの駐車場。そこに、一台の黒いワンボックスカーが、エンジン音もタイヤの摩擦音も一切立てずに、まるで闇の中を滑るようにして姿を現した。

 未来的なデザインのその車は、亨が開発した完全なるステルス機能を搭載した移動ラボラトリーであり、闇そのものが凝縮されたかのような異様な静けさを放っていた。

「――凉子様。指定された現地座標に到着しました。気温、摂氏六度。湿度九十五パーセント。……そして」

 運転席で、ダッシュボードの無数のモニターと計器類を監視していた詫間亨が、ひどく険しい声で報告を続ける。

「霊的ノイズ、極めて強し。私のデータベースにある天使養成校の基準で分類するなら、カテゴリーD……『深淵級』の重度汚染地域です。物理的な磁場異常だけでなく、この森全体が巨大な呪詛の坩堝るつぼとなっています」

 後部座席で、純白の特殊戦闘用ボディスーツに着替えた高清水凉子は、その報告を聞き、心底不愉快そうに、その優雅な顔を歪めた。

「ほんま、反吐が出そうやわ。これほどまでに非論理的で『美しくない』場所が、この国の象徴である聖なる富士の麓に存在してるなんて、日本のバグやん」

 彼女の耳に装着された超高性能な真珠の補聴器は、樹海の奥深くから反響してくる、常人には決して聞こえない無数の魂の呻き声、自殺者たちの後悔の念、そしてドロドロとした絶望の残響を「不快なノイズ」として拾い上げ、彼女の研ぎ澄まされた精神をチクチクとさいなんでいた。

「亨さん。例の、目障りな『共同作業者』は来とうの?」

「予定時刻です。恐らくは、もう……」

 亨が言い終わるよりも早く、ワンボックスカーのヘッドライトが照らす先のドライブインの廃屋の壁。その濃い闇が、まるで巨大なアメーバのようにボコボコとうごめき始めた。

 その影が、ありえないほどに縦に引き伸ばされ、やがて二つの人影となって三次元の世界へと実体化した。

 一人は、影そのもので織り上げられたような、長身痩躯の執事。ガーディ。

 そしてもう一人、その執事に守られるようにして闇の中から歩み出てきたのは、黒いゴシック調の分厚いドレスコートに身を包んだ、北條孝子であった。

「ごきげんよう。ずいぶんと、物々しくて無粋なお出迎えやね」

 車のスライドドアが音もなく開き、凉子が純白のブーツを泥の地面に下ろしながら、氷のような声で先制の挨拶を放つ。

「まあ、ごきげんよう。わたくし、あなた様のようなお高く止まった『天』の方とは、てっきり、光り輝く清潔な場所でしかお会いできないものとばかり思っておりましたわ。このような、血と絶望の匂いが染み付いた陰鬱な森が、実はお好みでしたの?」

 孝子が、扇子で口元を隠し、挑発的な視線を送る。

「あんたこそ。その漆黒の出で立ち、まるで童話に出てくる森に棲む醜い魔女みたいやわ。地獄の泥水がお似合いのネズミさんには、この薄汚い舞台がぴったりやけど」

 凉子は、伊達眼鏡の奥の青い瞳を細め、孝子を頭の先から爪先まで値踏みするように見つめ返した。

 二人の少女の視線が、虚空で激しくぶつかり合い、見えない火花を散らす。

 一方は、全てを一瞬で「浄化」しようとする青い殺意を。もう一方は、相手をじわじわと「なぶり」殺そうとする赤い愉悦を。

 互いの信奉する美学が、この宇宙で最も相容れない不協和音であることを、二人は顔を合わせた瞬間に改めて、絶望的なまでに理解していた。

「――さて、無意味な茶番はそこまでにしましょう」

 亨が、防弾チョッキを着用した姿で運転席から降り立ち、分厚い軍用仕様のタブレットを起動させた。

「我々に残された時間は多くありません。これは、『神託オラクル』から送られてきた、『アルカディア財団』の富士地下要塞の、各種データから推測される推定見取り図です」

 亨がタブレットを操作すると、空中に青白いホログラムが投影され、樹海の地下深くに広がる、まるで巨大な蟻の巣のような複雑怪奇な施設の全貌が映し出された。

「……ふん」

 ガーディが、その精緻なホログラム地図を、影に覆われた顔で冷ややかに一瞥し、鼻で笑った。

「紙の上のお遊びにございまするな、ネズミの旦那。そのような物理的な『道』のデータなど、この呪われた森の中では、もはや何の意味もなしやせんぜ」

「何ですと?」

 亨が、初めてその冷静な執事のような仮面を崩し、ガーディを鋭く睨みつけた。

「我が地獄の『目』が、既にこの森の全域を『視て』おりやす。この青木ヶ原樹海そのものが、アルカディア財団が構築した巨大な霊的結界に他ならねえ。物理的なトラップはもとより、侵入者の魂を惑わせ、発狂させ、幻覚を見せて自死へと追いやる、悪趣味極まりない『霊的トラップ』が、無数に仕掛けられておりまする。……あんたのその立派な地図に載っている『入り口』など、一歩踏み入れた瞬間に、地獄の亡者に魂を引き裂かれ、自我を失うだけの、ただの『餌場』にすぎやせん」

「……霊的トラップ、だと?」

 亨の額に、冷たい汗が滲んだ。彼のテクノロジーは、あくまで物理法則や電子ネットワークに基づくものである。人間の情念や魂に直接干渉する、超常的な呪術や霊的防御の概念は、彼の完璧な論理ロジックの専門外であった。

「まあ、怖い。そんなおぞましい場所に、わたくしたちを案内しろだなんて。『神託』とやらも、本当に人が悪くて腹立たしいですわね」

 孝子が、わざとらしく口元に手を当て、楽しそうに目を細めた。

「……分かったわ」

 凉子が、その孝子の態度を、氷の刃のような冷たい視線で射抜いた。

「……ほんま、反吐が出そうやわ。つまり、こういうことやろ? あんたの下品な『目』で、その非論理的な呪詛の罠を回避して、私の『論理』でレーザーや地雷みたいな物理セキュリティを突破する。……それ以外にこのバグだらけの森を突破する効率的なルートはないみたいやね」

「あら。ようやく、ご自分の計算だけでは何もできない無力さをお認めになりましたの? 堕天使様」

「違うわ。あんたみたいな非論理的で野蛮な『混沌』の力に頼らなあかん、この絶望的な状況そのものを、心の底から呪っとうだけや、地獄のネズミさん。……背中見せたら、即座に雷でデリートしたるから、せいぜい気いつけや」

「同感ですわ。わたくしも、あなた様のような血の通わない偽善のお人形と手をつなぐなど、どんな地獄の責め苦よりも不快ですのよ。……背中を見せたら、千枚通しでその綺麗な首筋を串刺しにしてさしあげますわ」

 二人の少女は、互いへの隠しきれない殺意と嫌悪感を、薄氷のような危うい笑顔と冷たい瞳の下に隠したまま、ついに歩みを進めた。

 鬱蒼と茂る木々が、まるで侵入者を飲み込もうとするかのように、ざわわ、と不気味な音を立てて揺れる。

 彼女たちは、絶対的な不協和音を奏でながら、狂気と絶望が待ち受ける青木ヶ原樹海の深い深い闇の中へと、その第一歩を同時に踏み出したのである。

 青木ヶ原樹海は、侵入者を完膚なきまでに拒絶する、天然の巨大要塞であった。

 方位磁石は全く役に立たず、GPSの電波も、地中に大量に含まれる磁鉄鉱と、財団が意図的に張った強力な妨害電波によって、完全に無意味と化していた。

「――凉子様。前方、五十メートル。三時の方向に、肉眼では不可視の高出力レーザーネット。五時の方向に、感圧式の対人地雷が密集しています。そして……」

 亨の声が、凉子の耳元の補聴器から、極めて冷静に、しかし緊張感を持って響き渡る。凉子の伊達眼鏡には、サーマル映像と超音波探知によってマッピングされた、物理的な罠の配置図が、青いグリッド線としてリアルタイムで表示されていた。

「……分かっとうよ」

 凉子は、まるで舞踏会でワルツを踊るかのように、その致死的な罠と罠の間のわずか数センチの隙間を、完璧な体重移動とステップで、枯れ葉を踏む音一つ立てずにすり抜けていく。

 一方、孝子は、その数メートル後ろを、まるで昼下がりの公園を散歩でもするかのように、悠然とした足取りで歩いていた。

「――お嬢様。左手、捻じ曲がった太い木の幹の陰に『嘆き』の呪詛が仕掛けられておりやす。右手、苔の生えた岩の下に『誘い』の結界が。どちらも、触れれば魂魄こんぱくに直接作用し、発狂させる、悪趣味極まりない代物にございますぜ」

 ガーディの声は、孝子の脳髄に、直接低く響いていた。彼の地獄の「目」は、レーザーや地雷といった物理的な罠など意にも介さず、この森にドロドロと渦巻く、霊的な「歪み」と「悪意」の配置だけを正確に捉えていた。

「まあ、面倒ですこと。こんな小細工ばかりして、本当に姑息な連中」

 孝子は、ドレスコートの懐から氷のように冷たい千枚通しを取り出すと、その切っ先を、呪詛が仕掛けられた木の幹に向かって、無造作に、しかし正確に突き立てた。

 ジュウウウッ!

 地獄の鉱石が、財団の霊的な結界に触れた瞬間、まるで強酸が金属を溶かすかのように激しく反応し、赤い煙を上げながら呪詛そのものを瞬時に焼き切っていく。

 天の論理が物理を制し、地獄の混沌が呪詛を喰らう。

 それは、本来ならば決して交わることのない、水と油のような二つの力であった。だが、今この瞬間だけ、二人の天才的な戦闘センスと、「相手よりも自分の能力の方が上であると証明したい」という強烈な対抗意識が、その二つの相反する力を、恐るべき効率で同期させていたのである。

「……あら?」

 トラップを次々と無効化しながら進んでいた孝子の動きが、ふと止まった。

 彼女は、今自分が焼き切った呪詛のさらに奥、樹海の最も深い最深部の地底から、何か途方もなく巨大なものを感じ取った。

「ガーディ。今、何かの気配が……」

「ハッ。間違いございませぬ。これは……同族の匂い。しかし、我らのような脱獄囚とは次元が異なる……冥府の底に鎮座すべき、本物の『地獄の番人』の気配にございますぜ!」

 ガーディの声が、かつてないほどに微かに震えていた。

 その時、前方を歩いていた凉子もまた、ピタリと歩みを止めていた。

「亨さん。今、補聴器が未知の周波数帯の、異常な高エネルギー反応をキャッチしたわ。これ……電子的でも物理的な熱源でもない。空間そのものが苦痛に泣き叫んどるみたいな、凄まじいノイズや」

『――凉子様、直ちに警戒レベルを最大に! それは恐らく、地獄の番人……! 天使養成校の禁忌データにあった、冥府の秩序を司る、高位の霊的概念体です! なぜ、あのような神話クラスのモノが、人間が作った財団の要塞に!?』

 二つのチームの間に、氷のように冷たい緊張が走った。

 この作戦は、単なるカルト教団の掃討などではない。その背後には、地獄そのものが、何らかの形で深く関与している。『神託オラクル』は、最初からこの事実を知った上で、彼女たちをこの死地に放り込んだのだ。

「……ふふふ。ますます、面白くなってまいりましたわね」

 孝子の漆黒の瞳が、狂気的な赤い光を帯びて妖しく輝いた。

「……ダボが。美しくないモノは、相手が地獄の番人やろうと、全て浄化するまでやわ」

 凉子の青い瞳が、絶対零度の冷酷な光を帯びて凍てついた。

 互いの獲物への、そして、互いへの殺意を、さらに鋭く深く研ぎ澄ませながら、四人は、ついに樹海の最奥深くに隠された、旧日本軍の地下要塞の、苔むし、重厚な鋼鉄の扉が閉ざされた入り口へとたどり着いたのである。

X(Twitter)では脚本版などもつぶやいています。

https://x.com/TakumiFuji2025

 決して交わらない「混沌」と「秩序」が奏でる、狂気と美学のダークファンタジー。神すら震える極上の不協和音ディスコードを、とくと味わいなさいませ!

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