ゴブリン最強
「あなたは……スカイ、さん、ですか? その格好は」
「仕組み上、俺が今日ここにいることは知られちゃまずいんです。それより逃げますよ」
彼女の手を引こうとしたが、彼女は動かなかった。
最悪を想定しなければいけない俺としては彼女だけでも生還してもらう必要がある。
何を持ってここにいるのか俺に察する力も、余裕もない。
だったら、心の整理がつくまでのほんの一瞬だけでも、作る――
「キシャシャ」
ゴブリンが鈍を持ってこちらにやって来ると同時に剣を振るった。
武器までは用意できていない俺は剣ではなく、剣を支える腕に二の腕を挟んで受けきる……切れない。
馬鹿力に腕ごと体の重心がへし曲がった。これが、モンスターの力か。
倒されると同時に受け身、回転、起き上がり様に脇腹へ一撃。体勢を立て直すと同時にもう一撃。立つと同時に腹を強蹴り。
倒れない。顔面に対してラッシュ。遅い攻撃を避けつつ腕を捻って剣を落とさせ、拾った鈍で何度も何度も斬り付ける。
なのに、俺の願いは一切届かなかった。どれだけの攻撃を与えても、ゴブリンは立ち上がり、その波は徐々に、確かに、大きくなっていく。
俺じゃ……こいつに……戦うことが出来ないってのか。
「スカイさん!」
アスハさんは短剣を抜くと同時にゴブリンに刺しこんだ。
たった一撃。細腕から放たれた、その腕と同じくらい小さな剣が……ゴブリンの肌を傷つけた。
俺が何度、幾つも重ねた攻撃を物ともしなかったゴブリンが、たった一撃でよろめいた。
これが……俺たちと、転移者の差だっていうのか。
「話は後です、今はここを抜け出しましょう」
しかし、ゴブリンたちは松明を投げ捨てて、俺たちの退路を完全にふさいだ。
地面にオイルを捨てて更に延焼させた……待て、この炎。
ズキっと、頭に重い痛みが走った。何かが、呼び起こされそうになっていた。
クソ……この炎……そうだ、俺は、前に帝都のダンジョンで……。
「スカイさん、逃げてください、私は大丈夫です」
「大丈夫? このくそったれな状況を大丈夫ですって? それこそ大丈夫じゃない証拠に見えて仕方がないんですがね」
「聞いてください。オリオンで話を聞きました。帰還の方法は恐らくあるけれど、ダンジョンは100年以上攻略されていない事と……50年前の大戦のことを、聞きました」
そう。ダンジョンは発見されたのが最近と言うだけで、存在自体はもっと前からだ。長い間、攻略の糸口すら見つかっていない。
その上で、50年前、仮設都市オリオンが出来るまでに至った大戦が起きた。酷い物だったと聞く。
戦いは、帝国ウォッチと転移者で行われた。
この鬼気迫る中、ゴブリンを短剣出牽制しつつ、アスハさんは口を開いた。
「転移者の生活費を帝国人の税金で賄うのはおかしい。かと言って、放っておくと力を持つ転移者が盗賊になりかねないから仕方がない、と。ただ、帝国人として生きるのは転移者の権利を奪うからと、一緒に働くことが出来ず、事実転移者も帝国人として生きるのを拒んだ。帝国にあった法や権利が受けられない以上、転移者は経済活動が出来ず……両社は激突した」
「その通りですが、今はそれどころじゃありません。逃げることだけを考えてください」
「でも、光明もあった。転移者はモンスターやダンジョン攻略の鍵になる。だからこそギルドに転移者たちを監視するための裁量権を与えた。輝石をはじめとした開発は大きく帝国人の生活に寄与した。ただ、大戦の恐怖は人々の心に深く影を落としたままだった」
「だからそうですけど――」
「私たち転移者は、忌み嫌われた部外者なんですよね。私、この世界で生きていけない……記憶もなくて、怖いんです。もしかしたら、帰る必要があるのかも、そんなものはないのかも、何もわからなくて怖いんです」
当然の恐怖の吐露に、俺は何も言えなかった。
転移者は、来た瞬間からオリオン以外の味方がいない。
記憶がない人間も決して少なくはない。逆に、記憶を持つ者は帰還のためにダンジョン攻略に勤しむことも多い。
逆に、エンドールさんのように、転移者と帝国人の間を取り持つように動き、円卓会議として政治に寄与する人間もいる。
転移者として生きるか、元の世界の人間として帰還を目指すかは自由だ。
「怖いのは当たり前です。怖くていいんです。だから、選べるときに選んでください。最初に言いましたよね、新しい人生だと。困ったことがあれば、俺たちがいると」
心の不安も、生活の不安も、誰かがすぐに理解できるわけがない。
理解できてもそいつを信じる用意が相手にあるとは限らない。だからこそ、俺たちは存在する。
「歓迎します。ようこそ、異世界転移課へ。これがあなたへの初仕事。ご無事にお家へ送り届けます」
「……何故、そこまで……」
「俺も記憶がないんです。過去にダンジョンで仲間をすべて失って、だから、めちゃめちゃ怖いんです。俺は友人の顔も友人との記憶も……ずっとお世話にいなっていた転移者のことも、何もかも忘れちまった、忘れちゃいけないことも、全部。だけど、ここに来て思い出しそうになった。一歩踏み出さないと、恐怖と話も出来やしないことに気付きました」
アスハさんの手を握った。
「あんたが怖いっていうんなら、せめて恐怖と話すための一歩目は一緒に歩きます。だからも二度と、諦めないでください、生きることを、この世界を!」
ゴブリンが大量に飛び掛かって来る。
一応、アスハさんを警戒していたようだが……陣形組みが済んだようだ。
こいつらは十分戦うことができる頭がある小賢しい連中だ。
しかし……アスハさんは片手を掲げると、赤い炎がカーテンのように立ち上った。
魔力操作……こんなに大規模な。すごいな……素質がある。
「分かりました、スカイさん」
カーテンを割り、何倍にも増幅された炎がそのままゴブリンたちに覆いかぶさった。
炎が小鬼を炙り、逃げるための道が開かれた。
アスハさんはゆっくりと俺を向いた。
「この世界で生きます。記憶を取り戻しながら、助けてくれますか?」
「もちろ……アスハさん!」
体を後ろへ遠ざける。襲い来る凶刃を背中で受けた。
人体で一番防御力が高いのが背中だ。しかし相手が悪い。ゴブリンの棍棒を背中に受け、骨が砕け散る音と、呼吸が完全に止まった。尋常じゃない痛みに意識が一瞬で刈り取られる。
倒れかけた中で、俺の心臓はあまりにも遅れて拍動した。
まだ、だ。
ギリギリ踏ん張る。今俺が、倒れちゃいけない。これ以上、彼女を不安にさせちゃ、いけないんだ。
「意識が……大丈夫、ですか……」
「スカイさん! 今すぐ、病院へ連れて行きます、待っててください!」
虚ろの中で消えかけた意識はぎりぎり彼女の体温で覚醒に導かれた。
燃え盛る炎で出来た道を突っ切りながら、俺は燃え盛り、逃げ惑うゴブリンを見た。思わず中指を立てたくなった。立てたくなって気付いた。手の指が全部折れていた。
最悪な状況に声も出ない笑いで笑った。何とかアスハさんがダンジョンから脱出した頃には完全に意識が途絶えていた。




