転移された方はこちらへどうぞ
「逃げろ、レンヤ!」
俺の名前を呼ぶ声が、耳からじゃなく頭から響いた。
揺れる視界の中、浅黒い肌の小人が棍棒や錆びた短剣を振るいながら狂ったように、駆け出した。血走った目と醜く開かれた口から滴る赤い涎が渇いた地面に落ちた。
燃え盛る松明の炎が照らす土くれの洞窟は、異様なほど息苦しかった。
時間も音もいつになっても戻らない。ただ俺は、殺され、食われる人の姿を見ながら、何一つ動けなかった。
「レンヤ! お前はギルドに戻れ、ここは…………と伝えろ、いいな! ここに…………はある!」
揺り動かされる体が、大きな両開きの扉から外へ吹き飛ばされた。
最後に見た顔を、俺は何故か思い出せなかった。
「……おい、新入り、しっかりしろ。新入り……レンヤ・スカイ」
「あ……すみません、先輩。なんすか?」
ぼうっとしていた俺はかけられた声に顔を上げた。
洞窟、ではなく、少し汚れた白い壁の事務室。長机に調和の取れていないバラバラのソファが数脚。地元民から寄贈された物を適当に合わせているからこその乱雑感だ。
俺は珈琲をあおって少しだけ顔を上げた。
栗色のショートカット、あまりに鋭く冷たい瞳。役所の制服を見に纏った小柄な女性が腕を組みながら立っていた。
彼女の名前はセナ・カロ―シア。僕の直属の先輩でこのギルドの教育係だ。
「ぼうっとしてたから声をかけただけだ。地方のギルドは人手がない分忙しい。町民5000人を私たちだけで捌くのは骨が折れるよな。もう少し休んでろ」
「いや、戻ります。先輩は?」
先輩は指をふたつ立てて口元で前後させるジェスチャーを見せた。
煙草休憩をほんの少しだけ済ませて、俺と先輩はすぐにギルドの受付に戻った。
俺は戦場に出たことないが、平日は朝から晩まで、まさに戦場と言って差し支えない職場だ。
「次の方どうぞ」
「助成金について相談したくて」
利用者が俺の立つカウンターに来ると同時に困りごとが吐露される。
俺達はギルドの職員。ギルドは行政に携わるすべてを包括的に解決するため多くの裁量と権利を与えられている。
与えられ過ぎて仕事も多岐にわたり、知識と経験が何よりも物を言う国家公務員だ。
だからこそ、小さなことから火山の噴火まで困りごとが持ち込まれ、俺はその全てを捌き続けるのが仕事だ。
「ありがとうございます、助かりました」
「いえ。また何かありましたらお気軽に」
一個解決し、事務処理のために一度事務デスクのある島まで下がって処理。終わればもう一度カウンターに戻る。その繰り返し。
「スカイ君、さすがは元帝都のギルドにいただけはある。見事な仕事ぶりだ」
声をかけてきたのは中肉中背の眼鏡の男性。頭髪は僅かにはげかけている妙齢の男性で俺が所属する課の課長。ダグラス・グラウス。
相手にするのは煩わしかったが、年功序列で閉鎖的な空間だ、愛想を持たなければ死ぬ。
「課長や皆さんの足元にはまだまだ及びませんよ。勉強させてもらってます」
「いいねえ、謙虚なのは良いねぇ。良いことだが、自分が偉いと思うなよ、ここにはここの役目と、責任がある。分かってるな、謙虚さと、責任を、持て」
「分かってますよ。それに、俺はここの生活が気に入ってます」
嘘だ。俺は一刻も早く、帝都に戻りたい。こんなところで燻ぶっている暇は、ない。
「よし。今日は帝都から視察が来る。あと、明日か明後日には新人が入る。スカイ君もここでは新人だが、経験豊富だ。教育係に任命しようと考えているから頑張ってくれ。私の、期待を裏切るなよ」
「……はい」
適当に話を合わせておこう。どうせ俺は教育係なんて長く続けるつもりはない。ビジョンはある。既に俺はこのギルドで二番目に案件をこなしている。一つでも大きな案件をクリアすれば帝都に戻ることは確実。
当てもある。ここは田舎だが、田舎だからこそ、制約にがんじがらめになった帝都よりも隙は多く存在する。例えば、ダンジョンだ。ダンジョンの攻略に関われば、俺は帝都へ凱旋できる。
「おい新入り」
「はい、カロ―シアさん」
先輩はカウンターの下に置いた台から降りて、俺を指で呼んだ。
対応中の札をカウンターに置いてから、先輩の元へ足早に向かった。
「お前、ウチの課に来る前、帝都でも同じ課で働いていたな」
「あー、はいそうっすね」
「私は案件を三つ抱えて同時に処理している。お前はここへきてまだ一か月だが、頼めるか?」
「もちろん」
このギルドで最も案件をこなす人間、セナ・カロ―シア。俺は直属の部下として、この一か月彼女の人を捨てたような仕事ぶりを間近で見て来た。ようやく仕事が回ってきたか。
俺はカウンターを変わると、彼女はお立ち台と一緒にデスクの島に下がった。
代わりにカウンターに出た俺は、利用者と目を合わせる。
長い赤髪。シトリンを思わせるような綺麗な黄色い双眸と卵型の顔。色白で、思わず見惚れてしまう程美しい少女。俺とあまり変わらない歳。纏っているのは黒い聖衣服。ああ、間違いない。
彼女は、別の世界からここに来た。
「初めまして。本日担当させていただきます、レンヤ・スカイです」
「あの、私……」
少女はどこかおどおどとした様子で落ち着きがな、不安な様子なのが見て取れた。
俺は書類を纏めてカウンターを出た。
彼女にゆっくりと近づいて、手でカウンターの横にある丸机と椅子を手で指す。
「あちらでお話ししましょうか」
椅子に座らせると、力が抜けたように背もたれに体重を預けていた。相当、緊張していたようだ。その上、疲労もしている。ただ、こちらもお役所だ、ここで生きていくなら、やらなきゃいけないことがいくつかある。
「前の世界での記憶は、ありますか?」
「……その、何も、覚えてなくて……」
「なるほど。これから、新しい市民権の発行のため、あなたにいくつか質問します。混乱されているかと思いますし、疲れていると思いますが、答えていただけますか」
「はい……」
「ではここに、お名前をご記入ください。この世界での、お名前です」
「この世界、での?」
「はい。私たちにとって前の世界での名前は正直どうでもよくて、新たにこの世界で生きていくあなたのお名前を教えていただきたいだけなんです。せっかくの新生活なので。教会で洗礼を受けたなら、言葉や文字も分かるはずです」
どういう仕組みか、この世界に来る別世界の人間は教会を経由してくる。その過程で、この世界のあらゆる文字、言葉を理解している。俺も四ヶ国語を話せるが、彼らの足元にも及ばない。
少女が渡した紙に書いた名前は、アスハだけだった。
「お名前だけでよろしいのですか?」
「ダメ、ですか?」
「いいえ。結婚された場合は相手の姓が。相手もない場合はおふたりで新しくお考え下さい。次に、本籍をこの町、レンドアに指定にさせていただきまして、後日市民カードを発行いたします。その他注意事項はこちらと、数日間の生活費です」
渡したのは書類一式と、金貨の入った袋。表面には翼を広げた鳥と麦の刻印が押されている。
「ご質問は、ありますか」
「……どうしたら、帰ることが出来ますか?」
当然の質問だった。当然の願いだった。不安と混乱、精神的な負荷は推して余りある。
だからこそ、僕らの課の職員は全員、傾聴力を養う研修を定期的に受けている。
いくら、周りが忙しかろうと、どれだけ仕事が押していようと、僕らは利用者に寄り添う存在だ。最初に出会うのが聖職者なら、最初にこの世界を教えるのが俺たちだ。
俺は書類をまとめた袋に捺された刻印を指さした。
「この町の東に、仮設都市、オリオンがあります。私たちに出来るのはここまでですが……オリオンには転移者、そして転生者がいます。というか、オリオンは転移者たちの居場所です。そこは長い間、戻る方法、帰還の魔法を研究しているとのことです」
「長い間って、どのくらいですか?」
「私が知る限りでは50年」
「そんな……」
「こう言っては何ですが、あなた方転移者は歳を取りません。長いでしょうが、きっと願いは叶います。それにここギルドは、あなたの悩みを解決することができる唯一の場所です」
「唯一……」
「今日はもう休んだ方がいい。私がオリオンまで送ります。カロ―シアさん、彼女を仮設都市まで送っても?」
「その方が良い」
許可を取って、ギルドを出ると日が照っていた。日傘を差そうとするが、彼女は火の前に出て、目を閉じた。この世界を感じ取るように、何か、恣意的なものを感じて俺はしばらくの間傍で待っていた。
「街は遠いですか?」
「すぐそこです。転移者の方がギルドを利用しやすいように近くに建てられたのです」
「ギルドって、スカイさんがいたあのお役所みたいな」
「そうです。行政システム全てを担う場所。資料に書いてありますし、シンプルなので分かりやすいと思いますよ。他にも、警備や国防、公共の安全を守るウォッチ。そして法の下にギルドとウォッチに裁くための裁量権、また自身を含めて三機関を裁く力を持つバランス」
「……その三つが、国の運営を回しているってことですか」
「その通り。ただ、アスハさんたち転移者が使えるのはギルドの一部だけです」
「どうして、ですか?」
「歴史です。そして住み分け。仮設都市が出来る前、つまり50年前、確執があったのです。争いが起き、苦肉の策として、我々ギルドが転移者たちへのサービスを請け負いました」
「争いが……」
「ここが国境。この先が、オリオンです。私はオリオンのある機関との盟約でこれ以上は入れません。ですが、私は同時に転移者を助けると盟約を交わしています。どうか、お困りごとがあればギルドに」
「ありがとうございます」
「ようこそ、ギルド、異世界転移課へ」




