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農耕聖女と皇帝陛下~ともかく家に帰してください~

作者: 西野和歌

「陛下、どうか聖女様をお探しください。陛下ならばわかると、星のお告げがあったのです」


 どうかと地に頭をすりつけると、複数の神官たちが男に懇願した。

 だが、男は直立不動のままに鼻で笑う。


「そのような存在など必要ない」

「ですが陛下! これは天の采配なのです。聖女が陛下ばかりでなく、この世界全てを……」

「うるさい! 黙れ!」


 一喝したその声に、青ざめた神官たちは口をつぐんで震えるばかり。

 皇帝と呼ばれた男は背を向けた。


「俺は自分の手で、欲しいモノを掴む。聖女などいらん」

「そんな! 陛下だけなのです! 聖女様を見つけられるのは……」


 カツカツと足音を立て皇帝は去った。

 神官などの世迷言にかまってる場合ではないのだ。

 今まさにこれから、皇帝は大軍を率いて最後の戦いに向かったのだった。


 *****


 こんな田舎で、皇帝陛下が見れるなんて!

 村を貫く街道は王都に続く。

 長く続く戦乱を治めた陛下が、その道を通過するのだ。


 我が国の若き皇帝バルバロス。

 英雄であり輝く美貌とその実力で、この戦乱を治めたばかり。年頃の乙女なら一目見たいと願うだろう。


 村人全員、陛下たちの隊列を見送るために街道に並んだ。

 沢山の兵隊達が、勇ましく進んでいく。

 ひときわ輝く集団が見えたと同時に、村人全員その場にひれ伏した。

 なぜならば、平民が直接顔をみれる方ではないのだから。

 通過していく足音と砂煙が舞い上がる。

 顔をあげるつもりはなかった。

 けれど、つい小さくクシャミをしてしまう。

 村娘アネッサは、反射的に息を吸うために顔を上げてしまった。

 それが、彼女の人生全てを変えてしまうとは!


 目が合った存在にアネッサは硬直する。

 黒き馬に乗った皇帝陛下その人が、まさに目の前にいたのだから。

 ほんの一瞬。

 その一瞬の視線に反応して、皇帝のアイスブルーの瞳がこちらを向く。

 あまりの壮絶な美貌と威厳に、急いでアネッサは顔を伏せた。


 だから何が起こったか、実はわからなかった。

 雨音より激しい隊列の足並みは停止し、何やら目の前が騒がしくなる。

 身体はガクガクと震え固まった。

 やはり一瞬でも顔を勝手に見たからには、罰せられるのかも知れない。

 芯のある低い声が、頭上から舞いおりる。

 緊張して縮こまるアネッサは、聞き取れなかった。


 ――それが、まさか私の事だなんて――


「顔を上げろ」


 アネッサの前に立つ兵士が、横柄な態度で言った。

 やっと自分だと理解したが、恐怖で動くことができない。


「早くしろ!」


 怒鳴りつけられ、ギュッと目をつぶる。

 すると、別の声がそれを諫めた。


「ああ、いい。わかった」


 ドサリと何かが地に落ちる音、そして小さな体に、その気配が近づいたと同時に……。


「きゃあっ!」

「これは貰う」

「えっ?」


 なぜか片手で軽々と脇に抱えられ、そのまま運ばれる。


「え? え?」

「今よりお前は俺と共にいる。わかったな?」

「えええっ!」


 皇帝の黒き馬に乗せられて、後ろから抱きしめられ捕獲された。

 片方の手で綱を軽く操作すると、ゆっくりと馬は歩みだす。


 その視点の高さから、唖然としながらも無抵抗の村人達、そして両親の姿も目に入った。

 弟が元気に手を振ろうとしたが、急いで母に抱いて抑えられていた。


 何が起こったかわからない。

 どうして私は馬に乗っているの?

 しかも、私を連行するのは皇帝その人だ。


 頭が真っ白になりながら、隊列は進み村を出た。

 出たと同時に皇帝を先頭に、馬の隊列がスピードを上げ風を切って走り出す。


「ひぃぃぃっ!」

「口を閉じていろ、舌を噛むからな」


 なぜか愉快気な皇帝の声を聴きながら、アネッサは必死に馬具に掴まって運ばれていった。

 あれよあれよと気がつけば、城に着くなり彼女は後宮に放り込まれた。


 *****


「いやだー! 帰りたいーっ!」

「はいはい、もういい加減に、ご自身の立場をご理解下さいまし」

「わかんないわよ!」


 切実な小娘の叫びなど、慣れた様子で聞き流される。

 この豪華な後宮にただ一人、アネッサには長くて覚えられない貴族の名まで与えられた。


「アネッサ様、そのような恰好ではなく、陛下のご用意したこちらを身に着けて……」

「そんなヒラヒラの一杯ついた、動き辛そうなのは嫌よ」


 お付きの女官長の指し示すドレスを拒絶するも、あちらもめげない。

 若い女官たちに、幾つもの豪華で色とりどりのドレスを用意させる。


「そろそろ一枚でも着て見せないと、また陛下がドレスの仕立て屋を処罰しようとなさいますよ」

「ううっ……」


 冗談ではなく、陛下ならそうするだろう。

 何せ、慣れぬドレスなど興味がないアネッサの為に、国一番のデザイナーを呼び寄せて仕立てた服が収納部屋に5つ分もあるのだ。

 広い専用の部屋には、花々が咲いたかのような絢爛な一流のドレスが用意されている。

 毎日のように届けられるドレスは、無限に部屋を埋め尽くしていった。


「ドレスだけではございません。陛下より贈られるアクセサリーの数々も身に着けて頂かないと」


 ドレスに負けず劣らず、宝石類も飽きるほどに与えられている。

 本来、そんなものとは無縁の村娘なのだ。

 一度、陛下に与えられたその場で、拒否した事がある。


「私には、そんな物は必要ありません」

「そうか、デザインが気に入らないのか? それとも石が嫌か?」

「豪華すぎます」

「もっと質素な落ち着いたのがいいんだな」

「ですから」

「うむ、この宝石商は不要だな。とっとと処罰して、新しい商人を用意させよう」

「やめてーっ!」


 整った顔で真面目に言う陛下を必死で止めた。

 冗談ではなく、本気なのだ。

 ここに連れて来られて一年目にして、アネッサは嫌でも学ばされた。

 陛下のモットーは『自分の信念を貫き、有言実行』

 豪胆で過激で、自信満々で唯我独尊。


 思い出して遠い目をするアネッサに、女官長は言った。


「そろそろ陛下の求婚をお受け頂けませんか? これほどに尽くされているのですから」

「勝手に連れて来られて、こんな所に監禁されて、どうして好きになれるのよ」

「陛下程素晴らしい殿方はいらっしゃいませんよ、だいたいアネッサ様は……」


 ブツブツと愚痴り出した女官長が面倒になり、今だとばかりにアネッサは私室を飛び出した。

 小さな悲鳴があがり、止める女官たちを無視して走り出す。


 動きやすいワンピースの裾をひるがえし、日の当たる場所を目指す。

 大理石の廊下に足音が響き、広い宮殿の一角にあるお気に入りの場所に辿り着いた。


 そこにあるのは、場違いな畑である。

 村に帰りたい、畑を耕したいと泣きわめくアネッサに陛下が言ったのだ。


「そうか、土いじりが好きなのだな」


 数日後には、本来あった価値のある石像や花で飾られた庭園は、畑となっていた。

 この空間だけが異質であっても、野菜を育てサツマイモやカボチャが既に豊作だ。


 近くに作られた小屋から農具を出して、土を耕し汗をかく。

 いくつかある庭の一つのこの場所は、風もよく通り水場もあった。

 できれば家畜の糞から肥料を作りたいのだが、流石に女官たち全員に反対された。

 一通り作業を終える頃には、近くに女官たちが控え、休憩用のテーブルと椅子が用意されていた。


 彼女たちの職務は完璧だ。

 けれど違う、私が欲しいのはコレじゃない。

 疲れれば土に腰を下ろすし、喉が渇けば紅茶ではなく、水を好きなだけガブ飲みする。


「もしかしたら、陛下に貰って嬉しかったのって、これだけかも」


 ゴロンと近くの草むらに座り込むと、見守る女官たちの悲鳴が響く。

 あえて無視して、アネッサは空を見た。

 村で見ていた色と同じ色。

 澄み渡る青空の青が、陛下の瞳の色と重なって、静かに目を閉じた。


 ――いきなり拉致られたあげく、一目ぼれだから結婚しろだなんて、流石にね?


 夢は夢でも、悪夢のレベルだ。

 皇帝陛下の妻になるという事は、この国の皇后になるという事。

 ただの知識もない田舎者、そんな私に務まるはずもない。

 そう必死で抵抗したら、陛下は即座に実行した。


 唯の村娘は貴族籍を与えられ、地位の問題は解消されてしまう。

 知識がないのは、それから毎日教師がついて、ガッツリと授業を受けさせられていた。


 沢山のドレスもアクセサリーも用意され、食事も全てアネッサ好みに揃えられた。

 過剰加減なく与えられても、余計に気後れするばかり。


 あげく、陛下は皇帝ゆえか、人の機敏に鈍かった。

 同じ人かと思えないレベルの端正な顔。

 比類ない頭脳と運動能力。

 だが人を人として見れない、皇帝バルバロスの人格は破綻していた。

 だからこそ人は「冷酷の覇王」「万能と無情の皇帝」と恐れ敬うのだ。


 皇帝としては最高であっても、夫としては疑問符が浮かぶ。

 少なくともアネッサにとって、皇帝という存在だけならば鑑賞用であって、それ以上でも以下でもなかった。


 村での素朴な生活に満足していたし、畑を耕し家畜の世話も生きがいだった。

 高価な生活は夢見て楽しむものであり、自分がそこにいる姿など想像すらしない。

 なのに今、この国一番の高級な檻にいる。


 深く大きなため息をついた後、憂鬱を吹き飛ばすように立ち上がった。

 やっと大人しくティータイムでも楽しんでくれるのかという期待を裏切り、アネッサは畑に飛び込み野菜を収穫する。

 土だらけになる後宮唯一の主に、女官たちは絶叫した。

 ましてや土まみれの手で顔をふくと、気絶する者まで現れる始末。


 だが見よ、この丸々としたさつまいもの出来栄え。

 唯一の癒しである畑作業に、夢中になってこの国唯一の寵姫は没頭する。

 やがて、一人の女官が歩み出た。


「アネッサ様、どうか私もお手伝いさせて下さいませ」

「服が汚れるわよ?」

「平気ですわ、わたくしの服は他の方より質素ですから」


 アネッサの横に並び、共に芋のツルを力任せに引っ張った。

 彼女はなぜか、この後宮で唯一アネッサの事を理解してくれていた。

 気づけば、二人を残して女官たちの姿はない。

 両手いっぱいに、ホクホクとサツマイモを抱えたアネッサに小さく女官は耳打ちした。


「アネッサ様、今夜が決行の日です」

「や、やっとね」

「お迎えに参ります」


 ギュッと土まみれの芋を抱きしめて、アネッサの服は原色すら留めていなかった。

 それでも笑顔がこぼれてしまう。

 育ちにくい芋種が、この土地のお陰なのか丸々と太って収穫されていた。


「アネッサ様」

「大丈夫よ。きっと皆は私が芋で喜んでいると思ってるもの」

「そうか、そんなに嬉しいか」

「ひぃっ!」


 飛び跳ねた途端に、ドサリと芋が落ちた。

 それを何気に拾う仕草すら目を奪う。

 気づけば、手伝ってくれた女官はゆっくりと後退して離れていく。

 え? 行かないでと手を伸ばしたら、その手を別の大きな手に掴まれた。

 その手の主が、遠慮なく私に顔を近づけてくる。

 自分の顔の価値を理解した上での行動だから、質が悪い。


「何が嬉しい?」

「あ、あんまり顔を近づけないでください」


 胸の動悸を隠しながら、この国の支配者に訴えた。

 距離が縮まり吐息がかかる近距離に、皇帝の顔がある。

 ただでさえ体躯がいいのに、私が怯えるのを楽しむように覆いかぶさってくる。

 それを必死で抵抗しようにも、両手にはサツマイモ。

 万事休すだ。

 金の髪と青い瞳の輝きから逃げるように、アネッサは顔をそむけてジリジリと後ずさった。

 だが、ガシッと腰を片手で抱かれ停止する。


「で、何が嬉しいのか? 俺と会えた事か?」


 普通の女なら目をハートにして、そうだと答えただろう。

 だがアネッサは違う。

 ともかく今は、皇帝に対しては好意より恐怖が勝るのだ。

 突然の拉致の実行犯であり、美しい顔からは本音が読み取れない。

 どうすれば、二人に恋が芽生えるのか?


 男女の恋愛のスタート地点にすら立てないのは、皇帝の性格だけでなく、アネッサにも原因はあったかも知れない。

 恋より家畜、話のタネより野菜の種に夢中な生き方だったのだから。

 出会って一年経っても、二人の距離は縮まらなかった。


 歴史ある後宮の一角で、この国の皇帝と、その愛しき寵姫は芋を持って向かい合っていた。

 女官達は完全に逃げて、姿すら見えない。

 なんという事か、いつも邪魔なくらいにいる癖に。

 つまり、誰も助けては貰えないどころか、二人きりなのだ。


「まだ緊張してるお前が可愛いな」

「へ……陛下!」

「なんだ?」

「お、おお、お腹すいてませんか?」

「ん?」


 甘い体勢と雰囲気を打破する為に、アネッサは必死だった。

 皇帝の持つ芋を見つめ、大声で宣言する。


「焼き芋を作りましょう」

「……ほう」


 その内容ではなく、この状況下においても、この女は自分を拒絶するのだ。

 その事に内心、感動した皇帝だが、感情を押し殺す。

 二人がいる昼下がりの後宮の庭には、畑の他にアネッサの好きな果物や花も植えられていた。

 木々はやがてくる冬に備えて、紅く色を染めている。


「葉っぱを集めてくるので、離して下さい」

「……葉っぱ?」

「それに火をつけて、芋を焼くのです」

「ここで?」


 アネッサはためらわず即答した。


「はいっ!」

「……くっ」


 その瞬間、皇帝は片手で顔を覆って上を見上げた。

 こみあげる何かを堪える様な姿だが、今だとアネッサは走り出す。


「どこへ」

「陛下はここで、芋のツルを外しておいて下さい。あと芋の葉っぱも、まとめておいて欲しいです」

「はっ!」


 とうとう我慢ができず、皇帝が破顔した。

 まさか、そのような事を皇帝である自分に指示するとは。

 本当にこの女には、何もかも許してしまう事を皇帝は楽しんでいた。

 この世界において、最高権威である自分に、今何を頼んだ?

 それを考えると、他の者たちの反応すら愉快で仕方ない。

 そんな気持ちにさせるアネッサへ、更に執着していく自分がいた。


 隠れて見守っていた隠密達ですら硬直する。

 その理由は、ただ一つ。

 あの冷酷な我が主が笑ったのだ。

 寵姫の前でだけは、ただの血の通った男の顔で。


 笑いながらも、指先でアネッサを追うように皇帝は指示を出す。

 常に過保護な程に守りをつけている。

 知らぬは本人ばかりだが、この国最高の警備が皇帝の愛の重さの証であった。

 少なくとも皇帝なりの溺愛は、誰しもが認めざるを得ないのだ。

 たとえ寵姫の為に、無茶な命令を下したとしても。


 ある時連れてきた、ただの村娘を皇帝は自らの妃にすると宣言した。

 その娘の為に、放置していた後宮を整えた。

 国中の贅を尽くした調度品や装飾品、芸術家の価値ある品が無数に用意され、庭には美しい噴水と、珍しい花々が植えられた。

 その配置のバランスすら、全て精密に計算されていた。

 一流の教育を受けた女官たちが、ただ一人の村娘の為に尽くす。

 それが、この国の皇帝に選ばれたという特権であり最高の栄誉のはず。

 いや、そうなのだが、選ばれた本人がまったくその価値を理解しようとしなかった。


 パチパチと弾ける火の中に、芋が投入されている。

 棒を突き刺して焼き具合を確認したアネッサは、まずは皇帝に差し出した。


「どうぞ陛下」

「ああ」


 いつの間にか、またワラワラと戻ってきた女官たちが、心配げに遠巻きに見守っている中で、皇帝は棒のまま芋を受け取り見つめていた。

 ある意味、そんな姿すら芸術的な美しさに、流石は陛下とため息が漏れる。

 芸術より食を優先する寵姫アネッサは、笑顔で促した、


「出来立てが一番ですよ。フーフーして噛り付いて下さい」

「フーフー?」


 こうですと、アネッサは自ら実演してみせた。

 子リスのような動きに、皇帝はつい笑みがこぼれてしまう。

 その笑みに、また女官たちが声にならぬ悲鳴をあげた。


 皆あの笑顔を永遠に忘れまいと、心に焼き付け涙目で待機する。

 この国だけでなく、世界を統べる覇王となった皇帝が、芋に噛り付く。

 なんという事だ、またバタンバタンと女官の何人かは気絶して運ばれていった。


「美味しいですか?」


 同じく、泥だらけの服で地べたに座り込み、芋にかぶりついたアネッサは「アチチ」と舌を出す。

 その隣で、彼女に寄り添うように皇帝は無言で食べつくした。


「芋は貧しい田舎の主食で、腹持ちもいいし、体にもいいし、日持ちもいいんです」

「カボチャもか?」

「はい。ツルも煮れば食べれます。不作の時も比較的育ちやすいんです」

「お前は博識だな」

「葉っぱも食べらるし、今みたいに火をたくのにも使えるし、肥料にもなります」

「無駄がないな」


 顎に手をやり、少し思案した皇帝は、その後に国中に、カボチャの栽培と非常食としての備蓄を命じた。

 

「みんなも食べればいいのに」

「なら国中で一斉に食事をふるまうか?」

「ダメです。陛下のする事は加減がありませんから。前だって鳥が可愛いって言っただけで、国中の鳥を全種類捕縛して鳥小屋を建設されようとしたじゃないですか」

「鳩だけにしただろう?」

「だからって、豪華な屋敷みたいな小屋を建てて、鳩を詰め込もうなんてダメです」


 後宮の一角に突如として建てられた鳥小屋予定の建物は、女官たちの寮として再利用させて貰った。

 食べ終えた棒は、パチパチと燻る焚火に放り込む。


 空はまもなく日が暮れる。

 お腹も満ちたり、今日も一日は退屈で代わり映えのしない一日だった。


「お前の教師たちから、真面目に授業を受けないと苦情があがっているが……()()か?」

「はい、別に村娘の私が貴族様の文化や礼儀なんて……」

「わかった。あいつらは処刑(不要)する」

「だからダメ――っ!!」


 ガバッと隣の皇帝に、必死ですがりついた。

 本当に軽く命を消すだろう。

 彼女たちの命は自分にかかっていると、アネッサは必死に懇願した。


 何が面白いのか、皇帝は声を出して笑った。

 アネッサにとって、皆が言うように皇帝は冷たく感情を出さない鉄面皮の男ではない。

 冷静にして苛烈、容赦なく決断し躊躇なく動く、その一言でこの国全てが覆る。

 優秀で美貌の冷酷な皇帝は、尊敬と畏怖の絶対的支配者として君臨していた。

 そんな皇帝が、ただのちっぽけな娘に問うのだ。


「何が気に入らない?」


 アネッサは何度も繰り返した言葉で訴えた。


「村に返してください」


 だが、答えは決まったものだった。


「ダメだ」

「どうして! 陛下ならもっと素敵な女性が山ほど集まりますよ」

「いらん」


 この皇帝は支配には貪欲だが、個人的欲は皆無に等しい。


「思ったより気に入ってな。手放す気はない」

「何がです」

「こちらの話だ。では行くか」


 サッと立ち上がり、再び自らの最高級の服が汚れるのも気にせず、泥だらけの寵姫を抱えた。

 抵抗するアネッサは、そのまま連行され風呂場にて女官に引き渡され、湯に浸けられた。


「へ、陛下。今夜の共寝はお許しください」

「なぜだ?」

「あの、少し一人で体を休めたいのです。万が一にもイビキをかく可能性もございます」


 ドモりながらも、必死で訴えたが女官たちが否定する。


「いいえ、アネッサ様はいつも静かにお休みでございます」

「自分の体は自分が一番わかってるし! ともかく今日は疲れたので一人にして下さい!」


 皆を振り切るように寝室に走り、バンと音を立て扉を閉めた。

 ドキドキと心臓が鳴る中で、いつ来るかと突撃に備えたが、静かな時間だけが過ぎソロリと部屋の奥のベットに向かう。


「はぁ~良かったぁ」


 大きな安堵の息をつき、ゴロリと横たわってみた。

 天蓋付きのベットの天井が目に入る。

 繊細な細工が施され、伝説の聖女が人々を救う絵が描かれていた。


「聖女様、助けて下さい。陛下は私には優しいんですが、やっぱり私は村に返って呑気に土だけ触っていたいんです」


 いきなり連れて来られ、このベットに押し倒された時に、私は今と同じように聖女様に救いを求めた。


『いやぁーっ! 聖女様助けて! 結婚するまでは綺麗な体でいたいんですーっ!』


 泣きわめいて叫んだ途端に、抑えられていた腕が緩められた。


『そうか……結婚すればいいんだな?』


 思い出して、枕を胸に抱きしめる。

 あれから暇をみてはここを訪れ、ただ横に並んで眠るだけ。


「結婚するまでって約束は、守ってくれているのよねぇ」


 抱きしめていた枕を手放し、外を見た。

 大きなテラス窓は、厚手のビロードカーテンに覆われ光すら隠している。

 畑を手伝ってくれた女官が、今夜迎えに来てくれるはずだ。


 ――陛下に不満があるとすれば、本音がわからない事と、そして私に自由がない事よ――


 ともかく口で語らず行動で圧倒される怒涛の皇帝に、戦場だけでなくアネッサの心もかき乱される。

 物思いにふけるうちに、やがて小さく扉がノックされた。

 そろそろと足音を立てないように扉に向かい、ソッと開く。

 こっそりと入ってきた女官に耳打ちされ、促されるままに部屋を抜け出した。

 暗闇の中、月明かりだけが照らす宮殿を静かに進んでいく。


「こちらへ、登れなければ別のう回路を……」


 背より高い壁を前にして、二人は立ち止まった。

 壁に絡むツタを手で引っ張ると、アネッサはほほ笑んだ。


「このツタは丈夫なツタだから、私や貴方の体重程度なら支えてくれるわよ」

「アネッサ様は、本当に植物や農作物に詳しいですね」

「だって、それが私の全てですもの」


 どうせ自らの手から抜けだした田舎の娘など、陛下はすぐに忘れてくれるだろう。

 今は物珍しさから、執着しているだけのはず。

 だって、「惚れた」や、「気に入った」はあっても、愛してるは一言としてないのだから。


 何も考えず、ただ太陽を浴びて作物の実りを喜ぶ日々。

 家畜たちが甘え、乳を搾りチーズに加工する。

 あの日々よ再びと、ツタを軽くよじ登り塀を超えた。

 女官もなぜか慣れた手つきで、同じく塀の外に辿り着く。

 一年ぶりの後宮の塀の外だが、まだまだ皇帝の敷地内で油断できない。


「広い、広すぎる……」

「そりゃあ、世界を統一された皇帝陛下ですもの」

「やっぱり、私なんかがいる世界じゃないわ」


 大きな城を見上げ、そこにいるだろう美貌を思い出す。

 心でサヨナラを告げて、用意されていた荷物用の馬車に乗り込んだ。

 荷台にうつ伏せになり布をかぶせられ、さらにその上を藁で覆う。

 ガタガタと車輪を軋ませて、難なく馬車は脱出に成功した。


 連れて行かれたのは、街のはずれの小さな教会。

 大勢の神官たちが、腰を低くしてアネッサを迎え入れた。


「おおおーっ! やっと……やっと我らの聖女様が!」

「はい?」


 唖然とするアネッサに、共に来た女官が説明した。


「先の大戦の時にお告げがあったのです。世界の平和の為に聖女様が覚醒すると」

「凄い! 聖女様が!」


 無邪気に喜ぶアネッサに、女官は膝をついた。


「皇帝陛下が見つけ出した貴方様こそ、聖女様なのです」

「ええっ! 違うわよ! ちゃんと探さないとダメですよ陛下!」

「いいや、お前だアネッサ」


 ビクンと大きく跳ねたアネッサの耳に、聞き覚えのある声が響いた。

 正面の扉が開け放たれ、大量の兵士がなだれ込む。

 慌てる神官たちを取り押さえ、威風堂々と現れたのは、夜の闇すら打ち払う皇帝の姿。

 硬直するアネッサに皇帝は、一歩一歩と近づいてくる。

 カツンカツンと、夜の教会に足音が響く。


「聖女なんぞ俺は必要ないんだ」

「で、ですよね。だから私は違いますよね?」


 必死で否定するアネッサの声を、抑えられた神官が絶叫して正す。


「作物の育ち具合と、土の変化は聖女様の奇跡でございます!」

「まさか、後宮の畑の土が特別なんですよね?」

「さあ? 適当に床の石を剥いで作らせただけだな」

「うそーっ!」


 季節違いの野菜が丸々と育つのも、豊作なのも、虫すら寄せ付けないのも、後宮の土が特別だと思っていた。

 育つのが嬉しいのと、好きな作物の種が手に入るので、夢中で色々と作ってしまった。

 そういえばと、タラタラと背中に汗が流れる。


 目の前に迫った皇帝が静かに告げた。


「村でも、お前はどの家畜も懐かせることができたそうだな」

「み、みんな良い子達だったので……」

「どんな暴れ馬も、お前の前では静かになる。私の愛馬ですら手懐けられるとは」

「あ……あの子は人参より、実は大根が好きなのと、藁で体を擦る時は声をちゃんとかければいいんです」


 畑作業をする時は、必ず晴れていたのも偶然だし、他にも色々と言われたがアネッサにとってはこじつけだ。

 ありえるはずもない、自分はただの村娘なのだから。


「まあ、お前が聖女と思い込んだ教会の者たちは、こうやって愚かな誘拐を実行してくれた。感謝するアネッサ」

「ほえ?」

「教会は俺とは別の権力を持っていてな。そろそろ抑え込みたいと思っていたんだ」


 つまり、利用するために見逃されただけらしい。

 ガッチリと捕獲されたアネッサは、そのまま横抱きに皇帝に運び出される。


「あのっ、あの」

「なんだ」

「聖女なんて、あの人たちの勘違いですよね」


 皇帝は歩みを止めて、ジッとアネッサを見た。

 見つめられた瞳に見惚れたアネッサは、ハッと我に返り目を背けた。

 その仕草に皇帝はクスリと笑う。


「どうでもいい。俺にとって、お前は特別だ」


 本当なら見逃してやるはずだったがなと、小さくつぶやかれた。

 素直に聖女を差し出していたら、どうなっていただろう?


 教会はここぞとばかりに、戦争が終結したのは聖女の力だと、より権威を高めたはずだ。

 人の信仰というものは抑える事が叶わず、それを盲目する者たちが王家より信仰に傾くのは許しがたい事だった。

 人と争うなという綺麗ごとだけの教会に、自らの戦果を譲る気は毛頭ないのだ。


 必死で逃げ出そうとする聖女を抱いたまま馬車に乗り込んだ。

 家に帰せと訴える彼女に、なぜか目が離せなくなったのはいつからか。

 最初は、そんなつもりはなかったのだ。

 後宮で保護をして、教会を処理したあとは村に返してやってもいい。もしくは、そのまま後宮で暮らしたいなら好きにすればいい。そう思っていたのに。

 

 寂れた村を通過した時に、彼女に目がいったのは偶然だ。

 小さなクシャミをして唖然とこちらを見つめる少女。

 栄養状態も悪いのか、小柄な体。粗末な服を着て、目だけはイキイキと輝く。

 なのに自分が釘付けになったのだ。

 ああコレだと。神官どもが言っていた事は事実だった。

『陛下のみ見つけられるのです』

 この自分が教会にいいように使われるのは許せない。

 そのまま少女を抱き上げて、城に連れ帰った。


 ほつれた髪は綺麗に結い上げ、とび色の瞳に映える高価な服も与えた。

 貧相な体のために最高の食事を用意して、女が喜ぶ宝石も溢れるほどに贈りつけた。


 なのに、この女はどれ一つも迷惑そうにするばかりで喜びはしなかった。

 世界の全てを支配した男が、ただの村娘一人も満足させられない。

 その事実が、皇帝の心に火をつけたのだ。


 皆が止めるのも無視して、後宮を整え彼女を押し倒した。

 喜ぶと心から疑っていなかった。

 なのに泣いたのだ。

 しかも、自ら聖女に救いを求めて。

 その滑稽さに笑ってしまった。

 彼女にではなく、自らの行動と結果にだ。

 気づかざる得なかった。

 己の価値すらわからぬ女に、この自分が夢中にさせられている。

 しかも、初めて迫った女に拒絶されたのだ。

 涙を流す姿に獣の心を抑え込み、以後は共に寝るだけのままごとのような日々。

 この俺が……と苦笑する。

 無駄な我慢すら心地よくなっているのだから、重症だ。


 馬車は城に戻るかと思われたが、なぜか違う場所に辿り着いた。

 暗がりからも、そこは皇帝にふさわしい豪華な屋敷だと伺い知れた。


「ここは?」

「別荘だ。深夜だし、ここに泊る」


 二人は身を守る少数の護衛のみを引き連れて、場所もわからぬ屋敷で一夜を過ごす。

 大きなベットの上で、必死にアネッサは互いの間に筒状に丸めたシーツで間を分けた。


「陛下の方だけ少し広くしたんで、こっちに来ないでって、ああっ! せっかく作ったのに!」


 シーツは投げ捨てられ、グイッと体を抱きこまれる。

 抵抗してもムダなのは、その厚い胸板に顔をうずめて即悟った。


「疲れたな、寝ろ」


 頭を優しく撫でられながら、その心地よさにアネッサは素直に眠りについてしまった。

 脱走は失敗してしまったけれど、なんとか罰せられることは免れそうだ。

 良かった……なんて、甘く考え夢の中に導かれた寵姫と、その寝顔を飽きずに見つめる皇帝の夜はすぐに明けた。


 目覚めた二人は、再び馬車に揺られていく。

 どこに向かうかわからないが、窓から眺める景色は次第にのどかな景色に変わっていった。


「窓から入る風が気持ちいいですね、陛下!」

「そうか」


 無邪気に喜ぶアネッサの脳内には、既に脱走した件は消えていた。

 久しぶりの外の空気、しかも大好きな自然を満喫する。

 その呑気さに、皇帝は内心苦笑した。本来なら死罪でもおかしくないのだ。

 森を抜け、やがて開けた場所に見覚えがありアネッサは驚きに包まれた。


「えっ? ええっ? もしかして、嘘っ!」


 確かに見覚えがある場所のはずなのに、以前と違う変貌を遂げた村。

 いや、既に村から町と化した故郷にアネッサは目をこする。

 粗末な家並みが、立派なレンガ造りに建て替えられて道も整備されていた。

 活気も以前とは比べ物にならず、どうも他村からの移住者も合併されているらしい。


 商売が行われ、なのにいまだに畑作業は盛んで、立派な裏道をのんぴりと羊が通過する。

 着ている服すら、以前のままの者と、都会風の流行を取り入れた者たちが交じり合う。

 そんな彼らも馬車の紋章をみるなり、その場に伏せていく。


「ここ、もしかして、私の村ですか?」

「そうだ」

「私が帰りたいって言ったから?」


 横に並んだ皇帝は、アネッサの腰を引き寄せ、頬に口づけをする。


「少しは嬉しいか?」

「はい」


 照れながらアネッサは素直に喜ぶ。

 やっと、やっと帰ってこれたのだ。

 馬車はアネッサの生家の前で停止した。

 ここが最終目的地だと、馬車の扉が従者によって恭しく開かれた。


 目を輝かせたアネッサの前に、会いたくて仕方なかった両親や弟の姿が目に入る。

 ボロボロだった家が、ちょっとした屋敷並みの大きさに建て替えられていた。

 建物には家畜小屋も増設され、なぜか噴水まで設置されている。


 ひれ伏す家族に、皇帝は軽く手で合図をする。

 恐る恐る顔をあげる家族に、馬車から飛び降りたアネッサは飛びついた。


「お父さん! お母さん! ラビィ!」

「アネッサ! ああっ、顔をよく見せておくれ」

「綺麗になって……本当にアネッサなのね」


 久方ぶりの再会に、アネッサの目には涙が浮かぶ。


「ねーちゃん、いいタイミングで帰ってきたよ。子牛が生まれだんだ」

「そうなのラビィ」

「また前みたいに祝福してくれよ。そうしたら元気に育つからさ」


 ニコニコと鼻をすすった弟が小屋に誘導していく。

 なぜかぞろぞろと家族だけでなく、皇帝や護衛もついてきたが気にしない事にした。

 アネッサは浮かれた気持ちで、生まれた子牛の頭を撫でた。


 おびえもせず、むしろ穏やかな顔つきになった子牛は、ヨロヨロだった脚を元気に動かし母牛の元に戻っていく。

 家族がパチパチと拍手してくれて、ついつい照れるアネッサだった。


「祝福?」


 少し不機嫌そうな気配を感じたアネッサは、ビクリと口元を震わせた。

 なぜかわからないが、機嫌をそこねた皇帝の機嫌をとるために、アネッサは必死に考えた。


「あっ、ラビィ! 子馬は?」

「ああ、ねーちゃんが嫁に行く前に可愛がってたロククはこっちだよ」

「ロクク?」

「はい陛下! ねーちゃんが名づけたんです」

「ほう、どうしてその名にした?」


 突然問われて、慌てて答えた。


「あっ、何か思いついたんです。意味はないんですけど」

「古い聖なる言葉で、健やかにという意味だ」

「凄いです、物知りなんですね陛下」

「……そうだな。他にも名づけたのか?」

「はい、アウググやムイシュや、響きが良くて他になさそうな名前です」

「まあ、ないだろうな」


 やはり聖女なのだ。

 本人が無意識で付けた名は、今では一部の者だけが知る古代の聖なる言葉の羅列。

 健やか、幸運、長生きと、それぞれの願いがこめられた言葉の名であった。



 弟の様子を見るに、聖女とは気づかれなくても、何かしらの幸運を授ける力が姉にはあると理解しているらしい。

 両親の態度を見ても、以前から当然の認識なんだろう。


 子馬は成長し立派な成馬となり、広い放牧場を走り回っていた。

 アネッサの姿が見えただけで、その馬だけでなく他の動物たちも集まってくる。

 それが特別な事などと思わないアネッサは、嬉し気に皇帝に紹介していく。

 あれがああで、こうでと自慢げに伝える必死さに、皇帝は笑みがこぼれた。


 弱った家畜には、手づからアネッサが餌を与えるだけで元気になっていく。

 家畜用の藁を抱えて、積み上げていくアネッサ。

 その藁が拾い上げられた途端に、色を変え家畜たちがモリモリと食べ始める。

 嬉しげにそれを見つめて、イキイキと皇帝の存在すら忘れて無我夢中で働いていた。

 そんなアネッサの傍には気配を消して護衛すら遠ざけ、ただ一人見守る皇帝がそこにいた。


 その後も無意識なアネッサの能力が発揮されていく。

 ご機嫌のアネッサは、元は村だった外れの井戸に手をかざす。


「こうやって、この村の井戸たちはお願いすると、水が湧いてくるんです」

「それは誰がしてもか?」

「だと思うんですけど……確かに私以外は、こんなおまじない信じてないかも? ほら沸いてきました」


 ゴポゴポと水音がなり、豊かな水源に満たされた井戸を見て、アネッサは笑う。


「もう村じゃなくなったからこそ、沢山の人の為に宜しくね、水の精霊さん」

「精霊なんかいるのか?」

「ふふっ、あくまで私が勝手に想像しているだけです」

「なら、いるんだろうな」


 流石に認めざるを得ない皇帝は、そのままアネッサの手首を掴む。

 歩みも軽く、畑に向かおうとしていたアネッサの体は強引に引き止められた。


「あのっ、あっちに行きたいんですけど……てか、まだお帰りにならなんですか?」

「帰りたいのか?」

「陛下は帰った方がいいと思います」


 そして、今までありがとうございましたと、一応は礼を告げようとした。

 この故郷の発展は、間違いなく皇帝のおかげだからだ。

 だが最後まで言い切る前に、また抱き上げられ運ばれる。


「なんでっ、いつも運ばれるんですか!」

「この方が速い」


 そのまま、家族がいる家の方向に向かうので、アネッサは恥ずかしながらも抵抗をやめた。

 まもなくこんな目に合うのも最後だと思うと、勘違いだと思うが寂しくも感じてしまう。

 両親の前に立ち、アネッサはいつ降ろされるかと待っていた。


「では、帰る」

「この度はお越しいただき、本当に感謝致します陛下」

「娘の顔も見れて安心しました」


 あれ? と違和感を感じ始めるアネッサを置き去りに話は進む。


「どうか、これからも娘を宜しくお願いします」

「娘もこれだけ愛されて、本当に幸せです」

「ねーちゃん、いいお嫁さんになれよ」


 黙って頷く皇帝の肩に担がれながら、アネッサは目を丸くしていた。

 なぜか当たり前に笑顔で見送る家族に向けて、アネッサは叫んだ。


「どうしてーっ!」

「よし、帰ろう」


 そのまま馬車に乗せられて、あれよあれよと動き出す。

 窓から顔を出して、家族に助けを求めようとした。

 だが、家族は満面の笑顔でニコニコと大手を振っていた。


「だからなんでぇーっ!」

「安心しろ、幸せにする」


 涙を流して両親はより深く頭を下げ、弟ですら飛び跳ね歓喜していた。

 遠くなっていく家族と自分の温度差に、アネッサの思考は停止する。


 そしてカタカタと馬車は帰路に向かう。

 行きと同じ別荘にて宿泊となったが、建物に入った途端にアネッサは走り出し、寝室に鍵をかけ閉じこもった。

 一人静かに頭を整理したかったのだ。

 念のために、扉の前にズルズルと椅子を運んで封鎖した。


 部屋に添え付けのシャワーを浴びる。

 クローゼットから、簡単な寝巻のローブを取り出した。

 広い部屋にあるテーブルセットには、水差しと果物も置かれている。

 つまり、朝まで立てこもるのに問題はない。


 グラスに一杯水を入れ、あえてゆっくり飲み干した。

 やっと一息ついた気がする。

 一体何が起こったのか……考えてもわからない。


 見たのは豊かになった故郷と、陛下と共に幸せになれという家族の笑顔。

 懐かしさと嬉しさで浮かれていたが、今になって違和感を思い出す。

 陛下がずっと傍にいるのはいつもの事だが、故郷での私をずっと観察されていた気がする。

 それはなぜ? どうして? 思い当たるのは一つだけ。


「私が聖女? まさか……ね?」


 ないないと答えを出して、広いベットで横になる。

 今日は色々あった。

 久しぶりの動物たちとの触れ合いや、懐かしい井戸や畑も手入れできた。


「そうか! 陛下はヤギの乳しぼりを一緒にしたかったのかも!」

「なぜ、そうなる」

「きゃあああーっ!!」


 ビクンと大きく体を跳ねて、アネッサは転がっていたベットから飛び起きた。

 テラス窓を背に月明かりの下、皇帝が部屋にゆっくりと入ってくる。

 その姿すら、絵画の神降臨のワンシーンのように華麗で美しく心奪われてしまう。

 夜空の星すら従えたかのように、その輝きを失わない美貌は当たり前に閉じられた部屋に侵入した。

 やっと我に返ったアネッサは、部屋の隅に逃げていく。


 口元に薄笑いを浮かべ、皇帝はベットに腰かけた。

 アネッサは扉を邪魔する椅子を背に、自ら退路を断った事を後悔する。


「な、ななな、なんで」

「どうした?」

「どこから」


 皇帝は無言でテラスを指さすが、ここは二階である。

 皇帝が二階までよじ登った? ツタもロープもないのに?

 じっと見つめるアネッサは、そういえばと思い出す。


(この人、確か戦場でも前線に出るくらいに強いのよね。だったら二階程度は簡単に攻略できるのかしら)


「ヤギは高い場所も得意なんです」

「何の話だ?」

「いえ、陛下が戦場で強い人だったのを思い出しました」


 暗闇の部屋で二人きりの会話にしては、色気も何もない。

 だがアネッサは本気だった。

 面白そうに、ベッドに横になった皇帝は、自らの寝巻をはだけさせる。

 鍛えられた胸板から、盛り上がった筋肉がチラリと見えているが、アネッサはそれ所ではない。

 大抵の者ならば、この時点で皇帝の魅力の虜になっているはずだが、鈍すぎる聖女には通じなかった。


「ところで、お前は俺の名を覚えているか?」

「ふえっ?」


 気づいたアネッサは、アワワと焦る。

 流石にそれを見て、皇帝は声を上げて笑い出す。

 なんとか思い出そうとするアネッサだが、焦ってなかなか思い出せない。

 国民の一人として、皇帝の名を忘れるのはダメすぎる。

 いや、ダメなのはアネッサだけなのだが、この一年は延々と逃げ回り陛下としか呼んでいないのだ。


「バ……バル」

「バル?」

「バルバロゥーサ」

「惜しい」

「バルリルヴィー」

「遠ざかった」

「んーんー、バル……」


 ポンポンと横になった自らの横を叩いて、皇帝はアネッサを呼び寄せた。

 夢中で名を思い出そうとするアネッサは、無防備に皇帝の傍に腰を下ろした。

 先ほどまでの警戒心と正反対の無防備さに、皇帝は苦笑するしかない。


「教えてやろう、バルバロスだ」

「あっ、そうだったそうだった」


 手をポンと叩いて喜ぶアネッサは、やっと今の自分の現状を把握する。

 腰に手を回され、そのままグイッと力づぐて並ぶように抱きしめられた。


「ひゃあっ!」

「約束は守る。ちゃんと夫婦になってからだ」

「そ……そうですよ」

「では、結婚するな? アネッサ」


 低く囁かれ、アネッサは硬直した。

 後ろ抱きにされ、耳元でバルバロスの切ない声が届く。


「お前の故郷を首都にすればいいか? それとも国全てを畑に変えればいいのか?」

「だめだめだめ!」

「俺にはわからん。どうすれば、お前が手に入る」

「ほ、本当に……」


 ゴクリと唾をのみ、アネッサは勇気を出した。

 小刻みに震える手を握りしめ、ずっと心に秘めた言葉を投げかける。


「本当に私が、す……好きなら、どうしてちゃんと言ってくれないんですか?」


 ガタガタと震えるのは、相手が皇帝だからではない。

 ただの男性として意識したからこそ、生まれて初めての告白なのだ。


「き……嫌いじゃないんです。陛下なりに、私の事を考えてくれたというのは理解しています。だけど」

「だけど?」

「いつも大げさだし強引で、でも突然で確かに私もビックリして。ううん……わかってるんです。私が怖いだけだって」

「何が怖い?」

「陛下の唯一になる事です」


 だから逃げたかった。同じ村人なら、もっと簡単に好きになれたかもしれない。

 でも、豪華な宮殿や貴族の身分、宝石も重くてドレスのレースは破れそうで怖くて仕方なかった。

 そういう気持ちをわかって欲しかった。


 ホロホロと耐えていた心がこぼれだす。


「気に入ったって、好きとは違うと思うんです。あと、あと私が聖女だから結婚するんですか?」


 聖女って何? きっと間違いに違いない。

 アネッサにとっての聖女は、昔から伝わる聖なる救いの女神である。

 土に汚れ家畜を追い回す自分が、そんな聖なる存在であるはずもない。


 全身を背後から包み込まれ、温かい体温が伝わってくる。

 まるで泣くなというように、頭を撫でられた。


「愛している、アネッサ」

「……っ」

「聖女だから保護の為に後宮に閉じ込めた。お前は教会に狙われていたからな」

「私は違うのに」

「あいつらがどう思うかが問題でな。俺としてはどっちでもいい、むしろ聖女なんて存在だけなら不要だ」

「ですよね、私なんか聖女なはずないです」


 なんとか冷静さをアネッサは取り戻していく。


「お前が土が好きだというなら、好きに畑を耕せばいいし、家畜を飼育していい」

「故郷に時々帰りたいです」

「やはり首都移転だな」

「それはやめて下さい」

「国民には、必ず作物を作るか、家畜飼育を義務づけ……」

「だから、ダメです……って、なんで笑ってるんですか!」


 今度はバルバロスが声を殺して体を震わせた。

 なんと可愛らしい生き物か。この女は、皇帝である自分の提案全てを即座に否定してのけたのだ。

 この女だけだ。

 全ての人間が平伏する中で、特別なのはアネッサのみ。


 孤高に戦い血を流し、一切の情も切り捨て覇者の道を生きてきた。

 誰もが畏怖と敬意を持って、視線すら合わせない日々。

 何も感じず、ただ目的を達成した後に待っていたのは色のない世界。

 そんな中で、アネッサだけが光を放つのだ。


「よし決めた。教会を潰すのも考えたが利用しよう」

「いきなり何ですか?」

「お前の教えとやらを広めるのに利用する」


 わしゃわしゃと頭をかき混ぜられて、眠れと促される。

 結局は答えを貰えないままに、アネッサは疲れと共に眠りについた。


 城に戻り皇帝が命令したのは、教会より聖女の存在を国民に広める事だった。

 喜び勇んだ教会は、すぐに後悔する事になる。


「聖女は農作物と家畜の命の尊さを重んじるらしい」

「はい、それはお優しい心で」

「それを普及させよ。聖女の教えこそが大事なのだろう?」

「は?」


 神の教えと共に、各教会には畑を作り家畜の飼育を義務づけられた。

 彼らは拒むこともできず、聖女から差し入れられる種を丹念に育てていく。


 そして、後宮では今日も元気に女官たちの制止を振り切りアネッサはクワで耕す。

 昼過ぎから挙式のドレスの打ち合わせだったが、アネッサは放棄した。

 自分のような田舎娘に、どれが一番なんてわかるはずもない。

 ならば、ブロに任せればいいのだと作業着代わりのワンピースに着替えて、畑に飛び出したのが先ほどの話。


 貰った宝石の大半は、福祉や復興関連に寄付をした。ついでにドレスも売り飛ばしたかったが、女官たちに泣いて止められた。


「うふふっ、今日も頑張って育ってね」


 アネッサが作った種芋は品種改良がされ、庶民たちの胃袋を満たしていく。

 アネッサが手掛けた作物は種となり、それは別の者たちが育てても大量の収穫の奇跡をもたらした。

 どこかの地方で飢饉が起こっても、まずはアネッサ作成の食糧が送られ、そして皇帝視察という名で聖女が訪れるのだ。


「ここの土は元気がないわね。うん、あの枯れた草をかき集めて下さい」


 本人は呑気に田舎の知識を実行しているだけなのだが、アネッサの祝福を受けた土を一つかみでも混ぜるだけで、やせた土は豊富な土に早変わりしていく。

 本人は自覚なく、人々を救い癒していった。


「俺の妻になるからこそ、こうやって遠征が可能なんだが理解しているか?」

「色々な所に来れて、新しい作物や花や動物がいて、とっても楽しいです」

「そうか、ならいい」


 相変わらず、愛してるの一言も不器用な皇帝はなかなか言えない。

 だが無自覚ながら、ひたすらアネッサを溺愛している姿は、国民全員が温かく見守っていた。


「何か私のためにする時は、一言教えてくださいね」

「わかった」

「陛下はいつも、加減がわかんないんだもん」


 水やりをしながら、土だらけの聖女は笑う。

 また沢山の野菜が豊作だったので、故郷に持って行かなくては。


 噴水の代わりに井戸があり、豊かな水が汲み上げられる。

 食糧難からの争いの種は、アネッサによって取り払われた。

 今では支配された地域すら、アネッサの作る作物や家畜の力に救われている。

 それゆえに、支配する世界の全てが聖女を称え崇拝していた。


「陛下、あっちのバケツを持ってきてくれませんか?」


 皇帝を顎で使う無自覚な聖女に、いつものように女官たちが泡をふく。

 だが、当の皇帝であり、式を迎える夫は立ち上がる。


「まもなく妻になるのに、夫の名も呼べないのか?」

「え……ええっと、バルバロス……様?」


 満面の笑みで皇帝は笑った。


「お前の願いなら何だって叶えてやるアネッサ」

「バケツ持ってきて欲しいだけです」

「ああ、国中の金物屋に特別性のバケツを開発させ……」

「だから、あっちに置いてる普通のバケツでいいんです!」


 言われたとおりに、水の入った重いバケツを軽々と運ぶ皇帝は、土まみれの妻の顔を濡らしたハンカチで綺麗にしてやった。

 

 後宮の畑は拡張され、井戸や小さな道具小屋、そして草を焼く焼却炉まで設備されていく。

 嘆く女官長は、もう何度寝込んだかわからない。

 以前に逃亡を手伝った女官は、アネッサの願いにより、以後も女官として畑仕事の手伝いに駆り出されていた。

 いつかのように、焚火の中から芋を取り出す。

 大きな芋を半分に割って、フーフーと冷ましたアネッサは隣に寄り添う夫に手渡した。


「はいどうぞ陛下……じゃなかった。バルバロス様」

「年中芋がとれるなんぞ、ここだけだな。そしてどんな高級料理より、この芋が美味い」


 世界を支配し恐れられた皇帝は、後宮の奥でのみ笑顔を見せる。

 共に並ぶ妻であり聖女アネッサと共に、穏やかな日々は過ぎていく。

 この皇帝が支配する時代は平穏が続き、以後も聖女の種は引き継がれ人々の救いとなった。




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