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四八、ジャズの話

 エロール・ガーナーのコンサート・バイ・ザ・シーが早い時間の、誰もいない店内に軽快に流れていた。

 碑はロメオ&ジュリエッタのチャーチルを咥えて、音楽を聴き入っているようであった。いつもよりも音量が大きいのかと杉岡は思ったが、特にそれを気にすることもせず、ひたすらミキシング・グラスに入れたバースプーンを回していた。

 そんな中、白い扉が開くと、残暑と呼べないくらいの熱気が店内に流れ来た。

「いらっしゃいませ」

 杉岡はバースプーンの回転を止め、入り口に向き直った。

「マスター、相変わらず暇な店だなぁ」

「梶野さん、いらっしゃいませ」

 サングラスを外した梶野に対して、碑は軽く頭を下げた。

「客は来ているのかい、客は」

 そう言いながら梶野はカウンターの真ん中の席を陣取った。

「そうですね、それなりじゃないですか」

 碑はカウンターへ入り、杉野から出されたおしぼりを手にした梶野の前に立った。

「相変わらずマスターが厳しいから客が来ない、のじゃないの」

「厳しくなんかないですよ。普通です」

「だからさあ、その物言いが恐いって思う人がいるのだって」

「そうですかねぇ」

 碑は笑顔で流した。

梶野はサイドバックからモンテクリストのクラブを箱から出して咥えた。

「じゃあハイボールをください」

「かしこまりました」

 碑は答えるとバックバーからバランタインの一七年を取り出した。杉野は一〇オンス・タンブラーを出し、氷を入れると、ソーダを冷蔵庫から準備した。

「お待たせいたしました」

 しっかりと混ぜられたハイボールが梶野の前に出された。それを一口飲むと、梶野は軽いため息をついた。

「やっとまともな酒が飲めたよ」

「どこかで飲んでらっしゃったのですか」

「ああ、会社の連中とね」

 碑の問いに答えると、梶野はため息をついた。

「そうでしたか、それで飲み直しですか」

「そう、行った店が良くなかったからな。

 それにエロール・ガーナーなんてかかるような店じゃなかったし」

 梶野はJBLのスピーカーを見た。

「そう言えば、マスター、このスピーカーってどのくらい使っているの」

「そうですね。もう四〇年くらいになりますかね」

「アンプはサンスイだったよな」

「はい、907です」

 碑は思わずレコードを鳴らしている装置を確認した。

「エロール・ガーナーなら、このアルバムが一番好きだな」

「梶野さんは色々と聞きますからね。前はトリスターノが好きだって言っていましたね」

「そう、あれだけのピアニストはなかなかいない、のじゃないかな」

「他にピアノで好きなアルバムは何でしたっけ」

「色々言ったらキリがないけれどな。

 今頭に思い浮かんだのは、ビル・エヴァンスのポートレートだな。スコット・ラファロが良い味を出しているのだけれど、二五歳で早死にだったからな」

 そう言うと梶野はバランタインへと口つけた。

「ベースですか、私はロン・カーターが好きですけれどね」

「マスターはメジャーどころだな。

 ロン・カーターはウイスキーのCMでも使われていたから、気に入っている人は多いのかもしれないけれどな」

「マイルス曰く、金を任せられるのはロン・カーターだなんて言っていたみたいですから、堅実な人だったみたいですね」

「確かに、堅実だったみたいだな。でも俺はそんなに好きじゃないな」

 梶野はそう言うと、一気にグラスを空けた。

「何かウイスキーをもらおうかな」

「梶野さんの好みだと」

 碑はそう言いながらバックバーから花と動物のリンクウッド一二年を出し、ショット・グラスに注いで梶野の前に差し出した。杉岡がすぐにチェイサー用のグラスを準備するのを見た碑は

「梶野さんのチェイサーは炭酸だからな」

 と声をかけた。

 梶野はそのウイスキーを一口飲むと、再びモンテクリストのクラブを口にした。

「俺は葉巻だけれど、昔のミュージシャンは、薬物をやる人が多かったからな。

 そういう時代だったのだろうけれど……」

 梶野はそう言うと煙を宙へと浮かべた。それに対抗するわけではないが、碑も葉巻を口にした。

「レーベルが、うちの方がいいブツがあるからこないか、なんていう時代だったみたいですからね」

「そうだな、人によっては行き詰ったりして手を出す人もいた、みたいだし」

「ジャズじゃないですけれど、ジャニス・ジョップリンなんて薬中で早死にだったみたいですしね」

「ジャニスだけじゃないさ、やっぱりそれだけ蔓延していたった事なのだろう。

 チャーリー・パーカーも早死にだしな」

「チャーリー・パーカーですか、確かにそうだったみたいですね」

 二人の会話に入れず、杉岡は何となく頷くことしかできないでいた。

「ビル・エヴァンスは写真を撮る時に笑顔を見せなかったなんて話があるけれど、歯がボロボロだったからなんていう噂もあったし」

「あまりジャズの人たちの酒の話は聞かないですけれど、ジャニスはサザンカンフォートをステージに準備していたなんていう噂もありますね。

 まあ今のサザンカンフォートは、当時とは度数も味も随分変わってしまっているのでしょうが」

「酒かぁ、どうなのだろうな。

 いや、ビリー・ホリデーはアルコール依存症だったはずだろう」

 思い出すように言ってから、梶野はリンウッドを口にした。

「確かにそうですね。酒とバラの日々なんて曲があるくらいですからね。

 ストレート・ノウ・チェイサーなんて言う曲もありましたね」

 碑は酒を題材にしたジャズの曲名を思い出すように言った。

「セロニアス・モンクかぁ、チェイサーはいらないって、俺は言えないなぁ」

 そう言うと梶野は炭酸を口にした。

「私が好きなストレート・ノウ・チェイサーは、トミー・フラナガンのスーパー・ジャズ・トリオのやつですね」

「フラナガンかぁ、オーヴァシーズとか良かったな」

 梶野は思い出し、納得するように首を数回縦に振った。

「そんな事を言っていると、パド・パウエルが聴きたくなるなぁ」

「クレオパトラでもかけましょうか」

 そんな事を言った時に、梶野の携帯電話が鳴った。

「悪い」

 梶野は軽く手をあげて合図すると、白い扉を出ていった。

「ジャズの話だけでずっと続くなんて、驚きました」

 杉野は梶野の通り抜けた扉を見たまま言葉を出した。

「ああ、あの人はジャズだけじゃなくて、クラシックも詳しいのだけれどな。俺がクラシックに明るくないから、話を合わせてくれているのさ」

 碑はそう言うと、煙を宙へと吐き出した。 

 梶野は電話を済ませると、再び白い扉をくぐった。

「夜になっても外はまだまだ暑いな。

 マスター、悪いけれど呼び出しがかかっちゃったからこれで帰るよ」

 梶野はそう言うと、席へと座り直し、リンクウッドを一気に飲み干し、灰皿に残っているモンテクリストへ火をつけ、一口吸うと、灰皿押し消した。

「かしこまりました。ありがとうございます」

 梶野は会計を済ませると、モンテクリストを数本、カウンターの上に置き、そそくさと店を後にした。

「ジャズの話、全然わかりませんでした」

 杉野はグラスを洗いながら、自らの知識不足を嘆いた。

「まあ知らない事に反応できないのは仕方がないからな。

 けれども、客の話を聞いて、知らない事を聞くために、どうやって話してもらうかはできるだろう」

「話でもらう事ですか」

 杉野は不思議そうな表情を見せた。

「そう、話をしたい人もいるだろうから、それを一方的に話させるのではなく、合いの手をうまく入れながら、話をしてもらうと周りから見ても違うだろう。

 普段人と話をしない老人とか、うっぷんが溜まって周りが見えない人たちは、一方的に話をして、相手から嫌がられる。まあ一方的に話していることも気が付かない状態が良くないのかもしれないが、そうさせないことも対面商売には必要だと思うけれどな。

 まあさっきの話は、お互いに趣味が合うから、そういうやり取りにはならないけれどな」

 碑はカウンターを拭きながら杉岡の言葉に応えた。

「ただ酒を出せばいいのではなく、話し相手としているからこそ、対面商売なのですね」

 杉野は何となく納得する表情を見せた。

「そう、ただ酒を出すだけならば機械にやらせておけばいい。

 けれども、単に相手を持ち上げるだけではなくで、相手を思いやるからこそ、時にはしっかりとした言葉を投げてあげることも大切なのだろうけれどな」

 碑はそう言うと、先ほど梶野が置いて行ったモンテクリストのクラブの一本を杉野に手渡し、自らが一本を咥えた。

 そして二人のクラブに火がつき、紫煙が店内へと舞い上がった。


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