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四六、不器用なのか

 杉岡は客のいない店内で、ミキシング・グラスに何も入れない状態で、バースプーンを回していた。擦れるような音のみで行われている状況を、碑はカウンターで本を読みながら聞き入れ、レベルの高くなったステアの状態を理解していた。

 最近の杉岡は、客がいない早い時間に、鬼気迫るような表情で、シェイクやステアの勉強をしている。そうかと思えば、店に置いてある本を読み漁るような感じもある。自分の身の丈を知って、自分が何をするべきなのか、しっかりと考えているようである。

 そんな光景を碑は、見ることをしなくても感じ取っていた。

「やっていますか」

 白い扉が開き、若い男女のカップルが顔を覗かせた。

「はい、やっております。どうぞ」

 杉岡がバースプーンを止め、二人をカウンターへと案内した。

 碑は本をたたみ、二人が座ったのちに、カウンターの中へと入った。

 杉岡が出したおしぼりを受け取ると

「ソルティ・ドッグを」

「ジントニックを」

 という注文があった。

「かしこまりました」

 杉岡はそう答えると、ズブロッカとビフィーター・ジンを冷凍庫から取り出し作業台の前に置くと、コリンズ・グラスとオールド・ファッション・グラスを取り出し、後者のグラスには塩をつけた。

 コリンズ・グラスにライムを絞り入れ、ビフィーター・ジンとトニックを入れ、バースプーンでしっかりとあおってジントニックは作られた。塩がつけられたグラスには、ズブロッカとグレープフルーツ・ジュースを入れ、ビルドされた。

 そのカクテルが二人の前へと差し出された。

「ありがとうございます」

 二人は丁寧に挨拶をすると、そのグラスを合わせてから口元へと運んだ。そして二人で他愛のない話をはじめた。碑と杉岡はカウンターの中で、二人を見守っていた。

 そんな中、神代が店内へと入り込んできた。

「いらっしゃいませ」

 ただ客を見ているだけに疲れていたのか、杉岡は嬉しそうな表情を見せて神代を迎え入れ、おしぼりを出した。

「ラム・バックを」

 神代はおしぼりで手を拭きながら杉岡に注文をした。

 碑は、バカルディ・ホワイト・ラムとウィルキンソンのジンジャーエールを準備すると、ライムをカットしはじめた。杉岡はコリンズ・グラスを取り出し、カットされたライムを絞り入れてから氷を入れ、ラムとジンジャーエールの順で注ぐと、バースプーンでそれを仕上げた。

「お待たせいたしました」

 神代は差し出されたラム・バックを飲むと、何も言わずに珍しく煙草を手にした。

「神代さんって煙草を吸われるんでしたっけ」

 杉岡は今まで見たことのない光景が気になって尋ねた。

「本当にたまにな……今日はそんな気分だったのだ」

 神代は昔から変わらぬ白い一〇本入りのケースをカウンターに置くと、ライターで火をつけた。碑が吸っているような葉巻とは異なる香りが宙へと舞った。

 神代は杉岡と他愛のない話をしながら、ちょくちょくとラム・バックへと口をつけた。

「さて、次はどうしようかな」

 神代はグラスを空にすると、バックバーを眺めた。

「たまにはブッシュミルズでも飲むか」

「ブッシュミルズですか、飲み方はどうしましょう」

「そうだな、まだまだ外は暑いし、ロックかな」

 その言葉に碑は、オールド・ファッション・グラスを準備して、カウンターを見渡した。

 神代の前に入店したカップルのグラスが目に留まった。いや先ほどから随分と気にしていたのだが、そろそろかな、と碑は考えていた。

 杉岡は、ブッシュミルズのスタンダードを氷の上に流すと、神代へと差し出した。その後チェイサーを用意することも忘れなかった。

「あの、そろそろ飲み終えた方が良いかもしれないですね」

 碑はチェイサーの出された神代の存在を気にもせず、カップルへと声をかけた。

 いきなり言われた言葉の意味が分からずに、カップルは唖然とした表情を碑へと向けた。

「グラスの中の氷がかなり溶けてしまっているので、水っぽくなってしまいますから、もう飲まれた方が良いと思います」

 碑は先ほどの言葉をかみ砕くかのように伝えた。

「そうですか」

 男は不機嫌そうな眼光を碑に向けた。

「はい、私たちバーテンダーは美味しく飲んでいただけるようにと考えています。

 これ以上の時間が経ちますと、どんなに頑張って作ったとしても、美味しさは無くなってしまうでしょうから」

 碑はそういうと、軽く頭を下げた。

「別に俺たちがどう飲もうと勝手でしょう。

 何だか気分悪いなぁ」

 男は頭をかいた。女も男と同じように、嫌そうな表情を碑へと向けた。

「まあいいや、会計して」

 男はぶっきらぼうに言葉を吐いた。

「かしこまりました」

 碑は答え、会計伝票を出すと、カップルはそれを済ませて早々と店内をあとにした。

「ありがとうございました」

 碑は頭を下げて二人を見送ると、カウンターを片付けた。

「マスター、吸うかい」

 神代は白い箱の中から、煙草を一本、取りやすい状態にして碑へと向けた。

「いや、煙草は」

 碑はそう答えると、キャンドルライトを取り出し、火を灯した。今の碑の気持ちを代弁してなのか、その煙はモヤモヤとしているようにも思えた。

「まあ、マスター、一杯やりなよ」

 神代は煙草に火をつけてから、碑に声をかけた。

「ありがとうございます。ではいただきます」

 碑はそう答えるとバックバーを眺めた。そしてラガヴァーリンの一六年を手にし、ショット・グラスへと注いだ。それをカウンターの上に置くと、神代の隣へと移動した。

「お疲れ」

 神代はオールド・ファッション・グラスを軽く持ち上げた。碑も習うようにしてグラスを小さく掲げると、それに口をつけた。

「正論を言ったとしても、それを聞き入れない人間っているからな」

 先ほどのカップルを思い出したように神代は言った。

「そうですね、まあ向こうからしたら、酒を味わいに来ているというよりも、何となく居場所を求めているだけだから、どうでも良いのかもしれませんが……」

「その場での目的意識はないのだろうな」

「そうですね。取りあえず客さえ入ればいいという店もあったりするので、一杯で数時間居てもいいと思われたりもするのでしょうね」

「せめて酒の状態を考えると二〇分くらいで一杯を終わらせないとなぁ」

 神代はそう言うと、再びブッシュミルズを口にした。

「自分たちの権利だけを主張して、相手の事を考えない人間が増えたのかもしれないな。

 飲み終えたら帰るとかできない人間も見ることがあるしな」

 神代はどこかで見たことのある光景を思い出して言った。

「そうですね。まあうちは暇な店だから仕方ないのかもしれないですけれど、次に来た方がそれで店に入れない状況などは、あって欲しくないですからね」

 碑は自虐を答えた。

「粋な客は減っているのかもしれないな……。

 寂しい世の中だ」

 神代は呟くと、紫煙を宙へと振り撒いた。碑もそれに続くように煙を宙へと浮かべた。

「気遣いは、ネットとかで教えてくれないからな」

「そんなことはないと思いますが」

 神代の言葉に杉岡が反論した。神代は杉岡の次の言葉を待つように、ブッシュミルズを口にした。

「今はネットで何でも調べられますから、教えてくれないという事はないと思いますよ」

「そうか、でもな、ネットは知りたいことは教えてくれるが、向こうから教えてくれるという事はないのだよ。

 しかも使う側が利用方法を知らないと、しっかりとした情報ではなく、フェイクニュースを掴んでしまう場合もある」

 そう言われて杉岡は反論する言葉がすぐには出てこなかった。

「学校の先生とかのように、向こうから発信する、という事は確かにないなぁ」

 碑はそう言うと、ラガヴァーリンを口元へと運んだ。

 杉岡は、確かにと頷いてしまった。

「便利になったのだか、それとも悪くなったのだか、良くわからない時代になっちまったな。

 ある種、今の時代の方が、そんな物に流されて、逆に生きるのが不器用になっている気がしないでもないなぁ」

 思わず神代が呟いた。

「まあ、昔は不器用も楽しさだったのでしょうが、タイパだコスパだと言っている方が実際にはそれができていないように思えて、その不器用さも楽しめていない気がしますけれどね」

 碑が続いた。

「自分たちで考えないって、そうなるのだろうな」

 碑の言葉に、神代はブッシュミルズを飲み干し

「ビー&ビーでももらうか」

 と杉岡に注文をした。

「かしこまりました」

 杉岡はそう答えると、リキュール・グラスを取り出し、カミュとベネディクティンDOMをバックバーから作業台の前に出した。

 碑はカウンターの中へ入ると、終わったレコードを外し、ウイントン・ケリーのアット・ミットナイトを流しはじめた。

 杉岡はその間に、ベネディクティンを注いだ上に、ブランデーをフロートして神代へと差し出した。

 神代はそれを一口飲むと、新しい煙草へと火を灯した。


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