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四四、プロの割合

「カクテルってこんなにおいしかったのですね」

 カウンターに座る女性客はホワイト・レディを飲み干して、杉岡に話しかけた。

「いつもはカクテルを飲まれないのですか」

「いえ、そんな事ないのですが、こんなにあっという間に飲んでしまったことがなかったので、おいしいと進んでしまうのだなって」

「そうでしたか、それならば良かったです」

 杉岡は自らが作ったカクテルを褒められて上機嫌の笑みを見せた。

 そんな中、神代が店内へと入ってきた。

「いらっしゃいませ」

 碑は神代におしぼりを差し出した。

「取りあえず喉が渇いたから、ドッグズ・ノーズをもらおうかな」

 神代の表情は、夏独特の湿度を不快に思ってのもののように思えた。

「かしこまりました」

 碑はビール・グラスを取り出し、ビフィーター・ジンを四五ミリ注ぎ、そこにサッポロ・ラガーを注いだ。そしてバースプーンで軽く混ぜられたグラスは、神代の前へと置かれた。

「お待たせいたしました」

 神代は出されたグラスを口元へと運んだ。

「ああ、このジンの華やかな香りがたまらないなぁ」

 喉を潤した神代は、生き返るような表情を見せた。

「お盆はいつも通り、実家に帰られるのですか」

「そう、こんな時くらいに行かないと、墓の掃除とかもしてやれないからね」

 神代はそう言うと、再びカクテルに口をつけて、軽い吐息を漏らした。

「締めに、甘いカクテルをと思っているのですが」

 女が杉岡に声をかけた。杉岡は甘いカクテルを数点、頭の中に思い描き、その中の一つを口にした。

「もしよろしければ、ゴールデンキャディラックなどはいかがでしょうか」

「ゴールデンキャディラックですか」

 女は聞いたことのないカクテル名を繰り返すように言った。

「はい、ガリアーノ、ホワイト・カカオ、生クリームを使ったカクテルです。

 ガリアーノはバニラのリキュールなので、締めには良いと思います」

 自信を持って進める杉岡を信頼して

「いいですね。ではそれをお願いします」

 と女は楽しみな表情を見せて、カクテルを待った。

 杉岡は冷やしたカクテル・グラスを出し、シェイクしたカクテルを注いだ。

 女は、一口飲むと、思わず笑顔を見せた。

「おいしいです。これはデザートですね」

「そうですね。食事も甘い物で締めることがあるでしょうから、カクテルもそのような感じで締めるのはありだと思います」

 女は杉岡の言葉に頷き、再びゴールデンキャディラックに口をつけた。

 それをあっと言う間に飲み干すと、女は会計を済ませて店を出て行った。

「杉岡のカクテルも上達したのか」

 洗い物をはじめようとした杉岡に、神代がいつもの席から声をかけた。

「どうでしょうか、でも喜んでもらえていると感じることは多くなりました」

 照れ笑いを見せ杉岡は答えた。

「そうか、じゃあ俺も喜ばせてもらおうかな」

 そう言うと神代は、残りのドッグズ・ノーズを一気に飲み干した。

「いかがいたしましょう」

 杉岡が神代に伺いを立てている間に、碑はカクテル・グラスを準備し、氷を入れて冷やし始めた。

「そうだな、じゃあダイキリをもらおうか」

「かしこまりました」

 碑はその間に、バカルディ・ホワイトと、レモン・ジュース、粉糖を用意した。

 杉岡はシェイカーに入れた氷を洗い、カクテル・グラスを神代の前に準備して、レシピ通りに材料を入れ、小気味良くシェイクを始めた。

 神代が期待するようにカクテル・グラスを眺めていると、杉岡が液体でそれを満たした。

「お待たせいたしました。ダイキリです」

 神代の前に、ダイキリが差し出された。

 無言で神代がグラスを掴み、液体を口腔へと流しこんだ。

 杉岡は緊張した面持ちで神代の言葉を待った。

「うぬぼれたか、それともたまたまか」

 神代の言葉を耳にした杉岡は、思わず背筋を伸ばした。

「えっ、おいしくなかったですか」

 神代は再び評価を求める杉岡に対して、一度頷くと、カクテル・グラスを杉岡へと押し返した。そして飲んでみろと、軽く顎で合図をした。

 杉岡は恐る恐る、自らの作ったカクテルを口元へと運んだ。

 絶品ではないが、そこまで変なカクテルではない。そう思った時、碑が杉岡の置いたグラスを盗んで口をつけた。

 杉岡は神代と同じような意見であったらと、恐る恐る、碑の反応を待った。

「杉岡、お前の中でこのダイキリは何点だ」

「えーと……」

 碑の言葉に杉岡は考えてから、少しだけ厳しく採点したつもりで答えた。

「六〇点くらいですか」

 神代は、素直な奴だと、思わず顔を崩した。

「いいか杉岡、絶品のカクテルや、思わず最上の物ができてしまった。

 それを味の評価として一〇割の物だとした時に、俺たちプロの人間は、普段から七割から八割の味の物を確実に出していかなければならないのだ。

 六〇点なんって言うものは、プロならば出してはならない。もしもプロじゃなく、素人が友達に出すのならば別だけれどな」

 杉岡に向けられた碑の厳しいまなざしが、痛く感じられた。

「まあ、そこいらのバーテンダーモドキよりはいい味になっているかもしれないが、オーセンティックや、ちゃんとしたバーの看板を出している店としては、少しお粗末だったな」

 神代はだいぶ減っているダイキリを、一気に飲み干すと、グラスを返した。

「マスター、ダイキリを」

 神代は碑に同じカクテルを注文した。

 碑はすぐさまカクテルを作り、神代へと差し出した。

 神代は何も言わずにダイキリを一口飲むと、杉岡の前にグラスを出した。

 飲めという事なのだろう。そう解釈した杉岡は、カクテル・グラスを口元へと運んだ。いつもと変わらぬ碑のカクテルの味である。そこには安心感という文字がついているようであった。それに比べると、自分のカクテルの振れ幅は、碑が言った七から八割に達しているようには思えなかった。

「まだ修行という、甘えることのできる状態だからいいのだろうが、プロの仕事がちゃんとできるようにならないと、本当の客はついてこないぞ」

 厳しい神代の言葉に杉岡は、恥ずかしさを覚え、無言で頷くことしかできなかった。


 碑は客のいなくなった店内に、マイルス・デイヴィスのクッキンを流した。

「このクッキンの他に、ワーキン、リラクシン、スティーミンとマイルス・デイヴィスのマラソンセッションと呼ばれる作品があるのだけれど、知っているか……」

「いえ」

 杉岡が答えると、碑はカウンターに座り、葉巻をふかしながら話を始めた。杉岡は拭き終えたグラスを棚にしまい碑の前に立った。

「レーベルを移動したいマイルスが、版権の残っている四枚のアルバムを、二日間で仕上げたというものなのだが、いつでも最高のパフォーマンができる状態にしているからこそ、それが可能だったのだろうな。

 バーテンダーもそうでなければならない。

俺が甘いのかもしれないが、さっきも言ったように、最低でも七割、八割の商品を常には出せる状態にしておかなければならない。

 ちゃんと俺がお前に言わなければいけなかったのにな……」

 碑は、神代に言わせてしまった事を後悔し、申し訳なさそうに言った。

「とんでもないです。

一度認められたと、勝手に私が、その後の自分を振り返らなかったことが原因ですから……まだまだしっかりと勉強をやらなければならない事を今日は痛感させられました」

 杉岡はカウンターの中で、碑に対して申し訳ない気持ちで、思い切り頭を下げた。

 碑は押しかけ弟子に恵まれたと、勝手ながら思い、宙に煙を舞わせた。

「杉岡、一緒に飲むか」

 そう言うとカウンターの中へと入り、一本のボトルを手に取った。

 そしてショット・グラスに注ぎ、客席へと戻った。

 碑のグラスと、もう一つのグラスは、客席に近い位置に置かれている。それを察し、杉岡はすぐに並ぶようにカウンターに座ると、グラスを手にした。

「俺も、まだまだ美味いカクテルが作れるように精進しないとな」

 碑はそういうと、グラスを軽く掲げ、口元へと運んだ。

「マスターが精進する前に、私ももっと頑張ります」

 杉岡はウイスキーを口腔へと流し、ボトルを見た。

 そこには、ダラス・デューという名前が書かれていた。


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