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一五、認めて欲しい 

 杉岡は、ずっと回していたバースプーンを止めた。

 全く来客のない日のカウンターは、いつも以上に練習はできるが、集中力はそれほど続くことはなかった。そんな中でも変わらずに碑は本を読んでいた。いくら暇だとは言っても、ずっと本を読んでいる碑の集中力はどうしたものなのかと、杉岡は疑いを持ってしまうくらいであった。

 だが杉岡が思うほど、碑もそれほど集中は続くものではなかった。途中で背伸びをしてみたり、葉巻を吸ったり、と本を読むという事のなかでも、少しだけ感覚を変えているのである。だからこそ長続きする場合もあった。けれども杉岡には、そんなことがわかるはずもなかった。

「マスター、今日は静かですね」

「そうか、まあいつもの事だろう」 

 杉岡の言葉に、たいした反応もせずに碑は答えた。

 さて、この後に何をしたものか、杉岡は辺りを見回して考えようとしていた。

 音楽が終わり、静寂に満ちたカウンターの中へ碑は入り、レコードを取り換えた。ジョン・コルトレーンの至上の愛の重々しい旋律が店内に流れ始めた時に、白い扉が開いた。

「いらっしゃいませ」

 自らとだけ向き合う時間からの解放を、杉岡は喜ぶかのように声を出した。

「いらっしゃい」

 碑は店内に入ってきた夏木とその彼女である大路へと軽く声をかけた。

 二人は主のいないカウンターの真ん中へと陣取った。できる限りバックバーを見渡すことができるようにという夏木の思いがそこにはあった。

「さて、今日は何にするかい」

 碑は二人に軽く声をかけた。二人は飲む物をあらかじめ決めてきたのか、すぐに口を開いた。

「私はマンハッタンを」

 大路の言葉を耳にして、杉岡はすぐさま材料を用意するべく行動をした。

「ウイスキーサワーをください」

 夏木が続くように注文をした。

「はい」

 と答えると碑はすぐさまカクテルを作り始めた。夏木は相も変わらずに勉強のためなのか、碑の手元ばかりを見ていた。そんな夏木の姿を見慣れている大路はマイペースであった。ある意味夏木の邪魔をしないのである。

「この音楽って、誰の曲ですか」

 聞かれた杉岡は自分の知識では答えられないので、壁に飾ってあるレコードのジャケットを手にした。そして中のライナーノートを取り出して確認をしてから答えた。

「コルトレーンの至上の愛ですね」

「コルトレーンという人なのですね」

 大路はジャズには詳しくないのか、オウム返しした。

 その間に二つのカクテルは出来上がり、カウンターの二人へ差し出された。

 大路は先ほどの質問を忘れたかのように、グラスを手にした。二人はグラスを合わせることなく、軽く杯を上げると、目線を交わしカクテルを口にした。

「ステアでもマスターのカクテルは嫌なアルコール感がないですよね。

 前回のシェイクも驚きましたけど、こんなマンハッタンは今まで飲んだことがないです」

 大路は驚きと喜びの表情を見せた。碑はありがたいという感じで、笑顔を返した。

「やっぱりバーテンダーに取って、技術は大切ですよね」

 夏木もウイスキーサワーを口腔に流し込んでから言った。

「しっかりした物を出そうとしたら、そうなっただけなのだけれどね」

 碑は軽く言った。夏木はそれを謙遜だと受け取った。

「それにしても、バーによって、酒に対する思いは違いますよね。

 この間行ったバーなんかは、ちょっと酷いなって思いました」

 夏木はその光景を脳裏に浮かべたからなのか、少し表情を曇らせてウイスキーサワーを流し込んだ。

「この間って、バックバーに並んでいるウイスキーを頼んだら、あれは売り物じゃないって言われたところのこと……」

 大路がすぐさま反応した。夏木は無言で頷いた。

「僕は今までブローラを飲んだことがなかったのですが、この間行ったバーにあったので、注文したのですよ。そうしたら、そこのマスターにこれは売り物じゃないって言われてしまったのですよ。

 マスターはそういう店はどう思いますか」

 真剣な表情で問いかけてくる夏木に対して、碑は自らの意見を言った。

「そうだな。うちの店は客が見える位置に置いてある酒は、全て提供できるものだから、出さないという事はないけれど、そういう店の話はたまに耳にするなぁ……」

 碑は思い出しながら、更に話を続けた。

「提供できない酒ならば、置かなければいいと俺も思うけれどな……。

 百歩譲って、ショーケースか何かに入れてあるのならば、コレクションという感じで見せる物になるけれど、やっぱりバックバーに置いてある酒が、出せないのはちょっと、と思うよ」

「そうですよね」

 夏木は思い出して腹がたったのか、語気を少しだけ強めた。

「何だか、コレクターって嫌な感じですよね」

 杉岡が間に入った。夏木もそう感じているのか、頷いた。だが碑の意見は違った。

「いや、コレクターはそんな事はしないよ。

 よくコレクターは商品を三つ買うなんていう話があるけれど、一つは使う物、一つは眺める物、最後は保管する物ってな。

 だから本当のコレクターは、これ見よがしに誰かに見せつけることはしないと思うよ。だって、そのコレクションは自らが楽しむ物だからな」

 碑は過去にきたコレクターの客の事を思い出しながら答えた。

「じゃあコレクターじゃないとして、何のために提供しない酒をバックバーに置くのですか」

 杉岡が新たに浮かんだ疑問を口にした。碑は少しだけ考えてから言葉を出した。

「その人がどのような気持ちで置いているかわからないけれど、ただ自慢したいだけなのだろうな」

「うちにはこんな酒がありますってですか」

 碑の言葉を打ち返したのは夏木であった。碑は頷き返した。

「入手できるくらいすごい店だって言いたいのかな……。

 でもすごい店であれば、わざわざそんな事をやらなくても、客はわかるだろうからな。

 何だろうな」

 碑は自分の感覚で頭をフル回転させても、理解は及ばなかった。

「すごい店って、来店している客が言わないから、自分で言うってことなのですかね。

 誰も認めてくれないから、あからさまにして、褒めてもらいたいだけなのかもしれませんね」

 思わず大路が口を挟んだ。

「確かにそうなのかもしれないな。承認欲求とも違うのかもしれないし……。

 まあいくら考えても俺には理解できないな」

 碑は理解の及ばない、見たこともない他人を想像した。自分であれば提供ができない物をバックバーに置く意味がわからない。そんなスペースがあるのならば、もっと楽しめる酒をそこに鎮座させたい。そんな事を想いながら、思わず葉巻に手を伸ばした。

「マスター、あそこに置いてある酒は、リキュールですか」

 大路はマンハッタンを飲み終えると、碑に尋ねてきた。どれを示しているのだろうか、碑はバックバーを振り返った。

「ウイスキーみたいな緑の瓶の」

 大路の一押しで碑はボトルが特定できた。それを手に取り、カウンターの上に置いた。

「これはストーン・ジンジャー・ワインと言って、生姜のリキュールだよ」

「緑の瓶だったし、ウイスキーの瓶のような形だったから、何でリキュールのところにあるのだろうと思ったのですよ」

 大路は目の前に出されたボトルを見て、興味津々であった。

「これはどうやって使うことが多いのですか」

「ソーダなどで割ってもいいけれども、ウイスキーと合わせるのもいいよ」

 碑は簡単に説明をした。

「ウイスキーと合うのですか」

「そう、ウイスキー・マックというカクテルが」

「じゃあそれをください」

 注文を受け、碑はオールド・ファッション・グラスに氷を入れ、ブレンデッド・スコッチ・ウイスキーのネビス・デューとジンジャー・ワインを入れ、ビルドで作った物を大路の前に差し出した。カクテルの色を見てから、大路はグラスを口元へと運んだ。

「本当だ、ウイスキーに生姜って合うのですね。しかもリキュールだから結構甘さもありますね」

「そう、俺も結構好きなカクテルなんだ」

 碑は大路の笑顔に釣られるように頬を緩めた。そんな大路の表情を見ることもなく、夏木はバックバーへ目を移していた。そこには先ほどから目星をつけたボトルが存在しているようであった。それを見越して、碑は誘い水をかけた。

「夏木はどうする」

 背中を押され、意を決するように夏木は言葉を出した。

「そこに置いてあるボトルはブローラですか」

先ほど飲めなかったと話していたシングル・モルト・ウイスキーである。碑はすっと、まだ封の切れていないボトルを取り出し、夏木の前へと出した。

「コニッサーズ・チョイスのブローラですよね」

 真剣な眼差しは、もう客ではなくバーテンダーの眼をしていた。

「そうだよ」

 前に行ったバーで提供してもらえなかったブローラを目の前に興奮しているようであるが、夏木はどうしたものかと悩んでいるようであった。

碑は軽く背中を押した。

「どうする、これでいいのか」

「はい、でも封切していないのですよね」

 夏木の悩みは、閉鎖蒸留所という貴重なボトルを、自らが封切して良いものなのか迷っているようであった。碑はまだ注文をされていないボトルの封をおもむろに切った。夏木は、あっという驚きの声を思わずあげた。

「バックバーに置いてあるボトルは全部売り物だって言っただろう。

 誰かが封を切らなければ飲むことはできないのだから」

「じゃあお願いします」

 夏木はある意味引き下がることはできなかった。

それを受け碑はショット・グラスにブローラを注いだ。夏木は恐縮するように頭を軽く下げた。

「はい、お待たせ」

 夏木は出されたグラスを手に取り、香りを嗅ぎ、ゆっくりと液体を口腔へと流した。含んだブローラをもったいないと考えているのか、無駄にしないように、口の中に数秒残し、惜しむように飲み込んだ。

「は~」

 思わずため息が漏れた。大路は夏木が喜んでいる姿を見て、笑顔を見せた。

「酒は飲んでなんぼ、これは俺の考えだけれども、楽しく飲めれば良いの、じゃないか」

 碑は、レコードを止め、コルトレーンの至上の愛を、先ほどよりも音量を少し大きくして頭から流し始めた。

 飲んでもらってはじめて酒の、それを置いているバーの存在価値がある。碑はそんな事を考えながら、葉巻の煙を宙へと飛ばした。


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