会議の夢
『それで――』
『――すべきだ!』
『しかし……』
――まただ。またこの夢だ……。
男には一つ、どうにも気がかりな悩みがあった。最近、なぜだか知らないが“会議”の夢ばかりを見るのだ。
無機質な長机を囲んで、数人が議題について話し合っている。だが、誰の顔もぼやけていてはっきりとは見えない。輪郭が曖昧で、声こそ聞こえてくるものの、内容は靄がかかったように不明瞭で、意味がまるで掴めない。
自分もその一人としてそこに座っている。ただし、発言はおろか、立ち上がることすらできない。まるで喉に釘でも刺さったかのように動かせないのだ。
もちろん、夢の中なのだから、さほどおかしいことではないのかもしれない。だが、こうも頻繁に同じ夢を見るとなると、何か意味があるような気がしてならなかった。
男は会社勤めではあるが、会議に出たことなど一度もなかった。上からの命令が一方的に降ってくるだけ。小さな会社で、もしかすると、会議というもの自体が存在していないのかもしれない。
――ということは、おれは会議に憧れているのか?
男は自問し、すぐに首を横に振った。馬鹿馬鹿しい。そんな幼稚な願望があるわけがない。だが、夢は無意識を映すものと聞いたことがある。ならば、心のどこかで何かを求めていることは否定しきれないか……。
――大勢で話し合いたい……何かを決めたい。そんな欲求があるのか?
男は記憶をたどってみたが、特に悩みは思い浮かばなかった。この夢のこと以外には。
『何をためらっている――だぞ!』
『そうだ、もう――』
『確かにな……』
――いや、あったな。
今の会社のことだ。典型的なブラック企業。慢性的な人手不足に加え、当然のように課せられる長時間残業。上司の恫喝や理不尽な命令。泊まり込みの業務はもはや日常茶飯事。
意を決して改善を提案したこともあったが、返ってきたのはまず舌打ち。上司は決まり文句のようにこう言って、聞く耳など持たない。『俺が若い頃はもっとがむしゃらに働いてた』と。
筒状に丸めた資料で頭を小突かれ、怒鳴りつけられれば、ただ項垂れて引き下がるしかなかった。昔のトラウマが疼き、逆らう気が起きないのだ。
辞めたい気持ちはある。だが、行くあてがない。資格もなければ学ぶ時間も、転職活動する気力も残っていない。毎日にしがみつくだけで精いっぱいだった。
その堂々巡りが、少しずつ精神を蝕んでいったのだろう。思い返せば、最近は数分間、記憶が飛ぶこともあった。最後にまともに眠れた日はいつだったのか、もう思い出せない。
『しかし、彼のことも――』
『もう限界なんだ! 我々――』
――もはや常態化し、感覚が麻痺していたが、悩みはこれだったんだな。だが、それとこの会議の夢がどう繋がるというのか……おっ?
『仕方ないな』
『では、全員一致ということで』
どうやら意見がまとまったらしい。これは初めての展開だ。まあ、目覚めるたびに忘れているだけで、以前にもこういうことがあったのかもしれないが……。そう、どうせ今回も同じだろう。目覚めれば霧のように消えてしまうのだ。何も変わらない。変わるはずがない……。
そう思い、男がふっと息をついた、その瞬間だった。全員が一斉にこちらを振り返った。
そして、口を開く。
『君は首だ』
『君は首だ』
『君は首だ』
『君は首だ』
『君は首だ』
『君は首だ』
男は笑った。なるほど、これがおれの望みだったのかもしれない、と。
「……まずは、私からだな」
目を覚ました男は、重たい体を起こしベッドから離れると、窓際へ歩み寄った。
夜の名残がかすかに漂うた空が、ゆっくりと朝焼けに染まり始めている。新聞配達のバイクの音が、遠くから響いていた。
男は深く息を吐き、呟いた。
「やっと終わった。……いや、始まる」
上司が出勤したら、真っ先にこう言うのだ。「この仕事を辞める」と。
それも会議で決まったことだ。主人格を追放し、他の人格たちが交代でこの人生を担っていくというのも……。