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二章 少女たちの思い出

 思えばあれが初恋だった。そう気づいたのは随分後のことだ。

 あの日、私が知らない方の『お茶会』が大騒動だったことは言うまでもない。何せ、主役が突然消え失せたのだ。

 つまり、私たちのお茶会に現れた彼こそ、我らがクレール王国が君主たるフランシス・ド・ルクレールが第一子、その翌月盛大に執り行われた立太子の儀にて王太子となった、フレデリク・ド・ルクレールその人である。立太子の議を終えた彼の肖像画を見たのはそれから数年後のことになったが、子供ながらにあれがとても大変なことだったと理解した時は遅ればせながら青ざめた。

 当然ながらにその時にはもう、周囲の大人たちはそんなこともあったなんて思い出話にしてしまえるくらいには最初から大騒ぎをしていたのだろうが、私としてはそうもいかない。

 あの金色の髪のおうじさまが、本当に王子様だったのだ。あの後私の手を引いた『クロードさま』は、庭園のあちこちを歩きながら、いろいろな話をしてくれた。その記憶はもう随分と薄れてしまったけれど、私は初めての『おうじさま』のエスコートにすっかり『おひめさま』になってしまって、それはそれは生意気なことをたくさん口走ってしまった気がする。

 …正直よく覚えていないけれど、思い出さない方がきっといい。ほんのちょっとだけ思い出したことですら、私は一体なんてことを、なんて、そんな風に青ざめた。思い出さない方が良いこともある。

 そんな幼いころの思い出も、私がデビュタントを終える年のころになったあたりには、段々と私にとっても『思い出』になっていった。

 交流のある貴族の令息令嬢たちは、こぞって王都の学校に通い、同じく貴族の子息らとの交流を深めていたようだったけれど、私は特にベルナール領から離れる理由もなかったので、そちらには進まなかった。

 私には一人、兄がいたが、兄もまた、短期間の留学を除けばベルナール領から出ることはなかった。というのも、我がベルナール領は隣国オルテンシアと接しており、高度な医術の栄えるオルテンシアとクレールが共に出資して建てた大規模な学術機関が存在するためだ。厳密には研究機関ではあるが、付属して学舎も存在する。

 私も、兄も、わざわざ遠く離れた王都の王立学院に通うよりも、そちらの方が余程都合が良かった。身分に関係なく優秀な者には入学資格が与えられる学舎は、身分だけでなく年代も民族も様々な人々が集った。

 学舎に通いながらも、貴族としての務めは果たさなければならない。十二歳になった頃には、父母や兄と共に、貴族主催の夜会にも顔を出したし、私一人でもお茶会に参加していた。

 年のころがそのあたりの少女というのは、恋に恋するお年頃。最年少で八歳から入学することが出来る王立学院は、十二、三になればほとんどの貴族の子女が入学していた。当然、私が招かれるお茶会に参加する友人たちもほとんど例外なく、王都の王立学院か、その分校に通っていた。

 「最近、一学年上の先輩にね……」

 「ああ、知ってるわ! とてもステキよね」

 「今年卒業なさるジュリアさまが、卒業と同時に婚約者様と……」

 友人である彼女たちの話を聞くのは好きだった。貴族としてのマナーは自宅で家庭教師を招き、学問は学舎で学ぶ私とは違い、彼女らは学院すべてが社交界である。私にはいまいち想像がつかないけれど、彼女たちが進めてくれる恋愛小説に書いてあるようなことが、彼女たちの身の回りすぐそこにはあるらしい。

 「アルレットも、卒業と同時に婚約者さまと結婚するんでしょう?」

 私がそう聞けば、ブルネットの美しい髪を持つアルレット嬢は一瞬きょとんとした後に、メイドがいないのをいいことに頬杖をついて首を傾げた。そのようにマナー違反の仕草をしても尚、彼女は可愛らしい。くるんとした瞳の輝きが私を捉えて、りんごのような唇を尖らせる。

 「よく、わからないの。婚約なんて、親同士が決めたものよ」

 「それはジュリアさまも同じではないの?」

 「でも、ジュリアさまの婚約者様は、毎週末必ずジュリアさまにお手紙をくださるのよ。それを読むジュリアさまのお顔といったら! ほんのり赤くて、愛らしくて、あれこそ恋というものよ」

 訳知り顔におすましのアルレットが言うと、今度は輝くブロンドのリディが大きく頷いた。溌溂とした彼女は、零れ落ちそうなほど大きなグリーンの瞳を瞬かせて、

 「恋はきっとすてきなものよ。ね、ジュリアさまってね、その学年では一番なのよ。お可愛らしくて、賢くていらっしゃるの。いつも凛と胸を張って、とてもかっこいいのよ。でも、そんなジュリアさまが、あのお手紙を読むときと、婚約者様のことをお話になる時に、とろけるように可愛らしいお顔で笑うの!」

 それを引き取ったのは、それまでスコーンを頬張って一生懸命もぐもぐしていた、燃えるような赤毛のマリオン。小動物のような仕草と小さな体からは想像ができないくらい見事に踊るワルツの名手のマリオンは、唇の端についたクリームを丁寧にナプキンでふき取ってから、真剣な顔で頷いた。

 私たち四人は幼馴染だったけれど、これは随分久しぶりのお茶会だった。

 「ジュリアさまがね、あんなにしあわせそうに笑うのが恋の力なら、わたくしたちも恋をしてみたいと話していたの。エステル、あなたはどう?」

 どう、と聞かれて、私は首を傾げた。

 「恋がどういうものか、私にはよくわからないわ」

 そう答えるしかない私に、三人は何かを期待するような視線を向けた。

 「オルティア国立学舎に通っていて、ルクレール王立学術院に出入りしているエステルなら、なにかわかるんじゃないかなって思ったの」

 「あそこは大人が多いでしょう? それに、エステルのお兄様、ついこの間ご結婚なさったじゃない? フロリアーヌ様はわたくしたちが入学する前の年の卒業生だったのよね」

 食い下がる友人たちに、私は反対に問いかけた。

 「みんなは、恋ってどんなものだと思うの?」

 途端、三人は洪水のように喋り始めた。

 「それはもう、とっても素敵なものでしょう?」

 「ジュリアさまがあんなお顔をなさるくらい!」

 「この間読んだ本には、胸がどきどきして、きらきらしていて、ふわふわするものだと書いてあったわ」

 「そうそう、そのかたのことを思い出すと胸が温かくなるものなのですって」

 「特に初恋は特別なものなのよね!」

 「そうそう、他の恋よりも特別!」

 小鳥の囀りのような彼女たちの声を聞きながら、私は考え込んでいた。確かに、フロリアーヌお姉様のことを話すお兄様は、普段のお兄様よりも柔らかな顔をしていたし、お姉様は普段私と話してくださるときに比べて、お兄様と話す時は時々声が上ずることがある。あれが恋というものなのだろうか。素敵な、どきどきして、きらきらして、ふわふわして、温かい………、

 「あ」

 金色の髪と白い薔薇、差し伸べられた手のあたたかさ、見つめる瞳の深い青。

思い出した、と、同時に。

 「なになに?」

 「何か思いついたの?」

 もうすぐ四歳になるかという頃の、あのお茶会のことを思い出した。同時に、あれからおばあ様が亡くなるまでの二年間、おばあ様にだけずっと、「ひみつなのだけど」と語り続けた彼の話も。 

 まるで夢見るように想っていた。あの金色の髪のおうじさま。おばあ様が亡くなったことが悲しくて、悲しくて、泣いて、泣いて、それですっかり忘れてしまっていた。私は確かに言った気がする。おばあ様の問いかけに、「あなたはクロード様のことが好きなのね」という言葉にこたえて、「ええ、だいすき!」なんて。

 私はたぶんその時、真っ赤になって、真っ青になって、それからまた真っ赤になったと思う。なぜならアルレットもリディもマリオンも、驚いて私を心配してくれたから。あれだけ楽しそうに話していた恋の話をやめてしまったのは私への気遣いだ。今思えば申し訳ないことをしたのだけど、その時の私はそれどころじゃなかった。

 私の初恋は、彼女たちがこれほど特別だと恋をしている恋というものは、もう遠い昔に散っていた。今思えば笑いごとだと思っていた大騒ぎのお茶会で出会った金色の髪の王子様。名前すら別人のクロード様、我が国の王位継承者、フレデリク・ド・ルクレールその人が、私の初恋の人だった。



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