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9ギルの声

(んっ!?)


フランは硬直した。

色の白いギルの手はすべすべとしてひんやりしていた。

しかし、刃物を持っているときに触れられるのは危険極まりない。


「ちょっと、危ないですよ」

「待ってくれ」


ギルの声が耳元で鼓膜を震わせる。

百年近い時を生きてきたということが嘘のように、艶のある声だった。


「……こっちも危ない」


ギルは、フランの背後から耳元にそっと顔を近づけて囁いた。

その声は滑らかで甘く、深みのある音色のようだった。

低くもなく高くもないその声は、微かに震えるようだった。

耳元で囁かれた瞬間、心地よい震えがフランの背筋を駆け抜けた。


(いっ……良い声だなあ)


状況も忘れて、フランは瞬時、ぼうっとした。


ギルはフランの手をとって、包丁から遠ざけた。

そして、形の良い長い人差し指をすっと野菜へ向けた。

葉物の野菜の間から、小さな緑色の芋虫がにょきっと顔を出していた。


「うわああっ!?」


フランは驚いて飛びすさった。

別に、虫が苦手な訳では無いけれど、まさかさっきまで切っていた物の内部に生命体がいるとは想像していなかった。


「お互いにとって良くない結末に……なるところだった」


ギルのその言葉にフランは微笑んだ。


「それは、そうですね」


フランは芋虫を窓から外に出してやった。


「優しいんですね、ギルさんは」

「無駄な殺生が嫌いなだけだよ」

「だからお肉が嫌いなんですか」

「そういうわけじゃない。食べていた時期もあった……ただ、好きだと思ったことがないだけだ」

「というか、ギルさん」


フランは野菜を水で洗っているギルを見ながら言った。


「あの……すっごく良い声してません?」


ギルは黙って野菜を洗う。

フランは我に返り、先ほどの発言を後悔し始めた。

思いつきで言ってしまったけれど、なんだか変だったかもしれない。


(男の人の声を褒めるなんて、あたし、もしかしてすごく変なこと言っちゃった!?)


あなたの声が好きですと言っているようなものだ。

フランは焦り始めた。


「あのっ……ちが、違うんです。その、変な意味じゃなくて! 音楽みたいですごく聞いていて心地よいなと思って!」


と、言いながら、余計に変な女の子だと思われているような気がしてくる。

フランは恥ずかしさと情けなさで泣きそうになった。

ただ、恩情で居候をさせてくれているギルと、少し距離が縮められたようで嬉しかっただけなのに。


「う……すみません、突然おかしなことを言って」


手を調理用の布で拭いたギルは、ゆっくりと涙目のフランと目を合わせた。


「いい。間違ってない」

「えっ?」

「歌っていた。歌手だったんだ」

「えっ……えええええぇ!? ギルさんが!?」


フランはさっきまでの羞恥も忘れて叫んでいた。


(あの、ぼそぼそとしか喋らない、やる気の無さそうなギルさんが、幻の生き物みたいなギルさんが、歌手!?)


疑いの眼差しのフランを見て、ギルはため息をついた。


「信じられないって顔だな」

「いや、いえ、あの、……はい」


と、結局フランは正直に言った。

嘘をつくのは苦手だ。


「だって、あのギルさんが……歌手って、皆の前に立って歌うあの歌手ですよね」

「それ以外何があるんだ」

「いや、だって……」


まだ灰色フクロウのグレイの方が喋るんじゃないか。

それくらい無口なギルが、歌なんてとても想像ができない。


ギルは少しムッとした顔をした。

そして、息を吸い込んだ。


低くて深みのあるギルの声は、静かな夜の湖にそっと石を投げ入れたときのように、フランの心の奥底に広がっていった。


(何、これ……歌?)


それはフランの知っている歌とまるっきり違っていた。

まるで遠い昔の懐かしい記憶を呼び覚ます呪文のようだった。

穏やかに揺れ動く音符の一つひとつが、フランの記憶やこれまで生きて見てきた光景や、忘れていた感情を呼び起こした。それは誰もが心の中で感じているけれど言葉にできないような、記憶の脈動だった。


時間が止まったかのように感じられた瞬間が終わった。


「ゼガルドの子守歌だが……おい、大丈夫か?」


と、ギルはボソボソと、いつもの声で尋ねた。

フランはそれで初めて、自分の頬に涙が伝っているのを知ったのだった。


フランは気付けば泣いていた

「え、あれ……あ……ごめんなさい……なんだか……感動して」


ギルはどこか嬉しそうにフランを覗き込んだ。指先で涙をぬぐう。


「嬉しいけど。やっぱり、泣かないでくれ。フランが悲しそうだと、悲しくなる」


とろけそうな瞳が、自分を心配そうに見つめる。


フランは泣くのも忘れて顔を赤くした。

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