8小さな変化
その日から、ギルとフランの関係は少しずつ変わり始めた。
食事を通じて少しずつ、しかし確実にギルは健康になっていった。
ある朝、フランは庭で野菜を収穫していた。
日の光が森の木々に反射し、庭の花々は鮮やかに咲き誇っていた。
そのとき、背後から不意に柔らかな声が聞こえた。
「おはよう」
振り返ると、長い銀髪を森の風にそよがせて、ギルが立っていた。
彼の表情は穏やかで頬にも肉がついていた。
以前にはなかった健康的な風貌にフランは目を見開いた。
「ギルさん……ですよね?」
「……前にも会っただろう」
ギルは照れくさそうにぽつりと言った。
「そうでしたね」
と、言いながら、ついに『まぼろしのいきもの』が、外にまで出てきたことにフランは微笑んだ。
「どうしました? 珍しいですね。ご用事ですか?」
「用は別に無いが……ここにいたのが見えたから。駄目だったか?」
ギルが拗ねたように言ったので、フランは慌てて
「そうではありません。外でギルさんに会えると思っていなかったので」
と言い添えた。
(ん? 思っていなかったから何なんだろう? だから……驚いた……というか、……嬉しい? ん!? 嬉しいのか? あたし)
さすがに続きは言えなかった。
フランはドキドキする鼓動を隠すように、日除け帽子を被り直した。
ギルは少し照れたように頷き、フランの隣に腰を下ろした。
(うわああ、近付いてきた!)
野生動物が近寄ってきた感覚に近い。
フランは震えそうになったが、気合いを入れて二十日大根やトマト、ハーブを摘んだ。
ギルはフランの横顔をじっと見つめてくる。
(な、なんであたしを見てくるんだろう……)
とにかく緊張する。
ギルはフランが手に持ったハーブを見つめた。
「それ、食べられるんだな」
「えっ? あっ、はい。香草ですよ。これも、これも」
「ふうん」
ギルは長い睫毛を伏せた。
伸びた前髪の隙間から、整った輪郭が見える。
「長い間生きてきたのに……知らなかった」
ギルはぽつんと呟いた。
ふと、フランは思った。
「そういえば、ギルさんって何歳なんですか」
「九十と……九だったかな。八だったか。忘れた」
「えっ!? 九十!?」
「ハーフエルフは、だいたい百五十くらいまで生きる」
ギルはなんでもないことのように言った。
(九十歳のおじいちゃんなのか? 塩分量に気を遣った方がいいのか?)
内心パニックになっていたフランは、
「身体年齢は人間でいうと三十か四十くらいだ」
と、ギルが言ったので、安心した。
おじいちゃんを塩分過多で苦しめたくは無い。
「ハーブの種類なんて、なかなか、料理しないと分からないですよ。あたしも食堂の厨房に入ってなきゃ、知らなかったです」
「フランは食堂をしていたのか」
(フラン)
会話の内容よりも、自分の名前を呼ばれたことにフランの頬は赤く染まった。
(覚えてたんだ。あたしの名前)
フランは二十日大根を引っこ抜きながら言った。
「はい。実家が食堂だったんです。母は戦争であたしが小さい頃死んでしまったみたい。顔も覚えてないけど……レシピは残してくれました。あたしが上手にごはんを作ると、母さんの味だって父が喜んでくれて、それが嬉しくて……そんな父もこないだの戦の間に、流行病で亡くなってしまいましたけど」
ギルは暫く黙ってから、そうか、と一言言った。
森の風がふいて、頬を優しく撫でる。
「俺が食べていたのは、君が母さんから受け継いだ味なんだな」
フランは隣にしゃがみこんだギルの横顔をそっと見た。
筋肉はついている長身の男性なのに、エルフの血のためなのか、女性と見まごうかのような優美な雰囲気があった。
顔も知らない母さんが生きていたら、こんな笑い方をするかもしれないと思った。
その日から、二人はますます一緒に過ごす時間が増えていった。
ギルは時たま朝に出てきて、フランと一緒に庭仕事をするようになった。
それはハーブに水をやるような小さな仕事だったけれど、少しずつギルはフランの顔を見て、たわいも無い話をするようになっていた。
ある夕方、フランはキッチンでディナーを準備していた。
ギルはその隣に立ち、フランをじっと見ていた。
(緊張するなあ)
フランが野菜を切ろうとすると、ギルがそっとフランの手に触れた。