2うつくしいひと
ちょこんと丸い毛玉が、自分の歩き出す先にいるのは、微笑みを誘われる。
フランは笑いながら、
「ええっ? どうしたの」
と、フクロウに喋りかけた。
フクロウはクルッと首を半回転させてフランを見る。
大きな黒い宝石のような瞳に戸惑っている痩せた娘の顔が映った。
それは一種、異様な光景だった。
フランが歩こうとするフクロウも歩く。
別の方向に行こうとすると、フクロウはまた首だけで振り向いて、『違うよ』とでも言うかのように、ホウッと鳴くのだ。
「もしかして、着いてこいって言っているの? あなた、エルフの国を知ってるの?」
「ホーッ」
「お願い、フクロウさん。あたし、この樹海を抜けたいの」
街の時計台の音が遠く聞こえた。
もうすぐ陽が沈みかかる時間になる。
フランは迷ったが、目の前の奇跡的な光景を信じることにした。
ちょこちょこ歩くフクロウの後について樹海を歩く。
まるで、フランの歩く速さに合わせてくれているようだ。
「……こっちにおいでってこと?」
フランは考えた。エルフの呪いに注意しなければならない森で、フクロウに導かれることは何かの助けかもしれない。
確か、古い伝承には、エルフは動物たちと心を通わせることができると書かれていた。
「よし、ついていくよ」
フランはフクロウの後を追い始めた。
樹海の中を進むうちに、次第に彼女の視界は開けてきた。
長く続く道の先に、フランは目を見張る光景を見た。
(巨大な木がある!)
近付くと、幹の下半分にはまるで魔法のようにさっき見た白い花が咲き誇っていた。
突然、サッと視界が開け、フランの目の前に幻想的で壮麗な光景が広がった。古びた大きい石造りの館が、森の中心に佇んでいた。
「わあ……」
その館はまるで自然の一部であるかのように見えた。
時の流れと共に成長した苔が、壁の表面を覆っていた。
周囲の木々はその館を守るかのように立ち並び、中央には信じられないほど太い巨木がそびえていた。
その大木の枝葉が館全体を覆い、緑の天蓋を形成していた。
「ここが……ラソ?」
フランはその場に立ち尽くし、目の前の光景に見惚れた。
国というには狭いが、家にしては大きすぎる。
足元に広がる草花の絨毯、木々のざわめき。
鳥や虫たちのさえずりがフランの心を静かに包み込んでいた。
道案内をしてくれたフクロウは飛び立って、その大木の一本の枝に止まった。もう一回り大きなフクロウが枝に止まっている。
さっきのは灰色っぽかったけれど、今度のは茶色に近い。
灰色のフクロウは寄り添うように、茶色のフクロウの羽に顔をすりつけた。
丸い目で、茶色いフクロウは静かにフランを見つめていた。
フランは何かに導かれるように館の正面へと足を進めた。
木製の重厚な扉には角のある動物と蔓のある植物の精緻な彫刻が施されている。両脇にはガラス製のランタンが掛かり、その柔らかな光が周囲を優しく照らしていた。
中央の大木は太く、風雨に耐えて刻まれた跡が重厚感を醸し出している。
その幹には無数のコケとツタが絡みつき、まるで森そのものがこの木に集約されているかのような圧倒的な存在感を放っていた。
驚くべき事に、巨木の周りにも白い花が咲き乱れていた。清らかな香りが風に乗ってフランの鼻孔をくすぐる。花々はまるで星のように輝き、庭全体に静かな美しさを添えていた。
フランは深く息を吸い込み、目を閉じた。この場所は、まるで時間が止まったかのように静寂に包まれていた。まるで自然そのものが館を隠すように守っているようだ。
フクロウは低く静かに鳴いた。
その声に勇気づけられるように、フランはそっと歩き出した。
(この館には、誰が住んでいるんだろう?)
トントン、とフランは扉を叩いてみた。
返事はない。
ランタンに灯りがついているということは、きっと誰かがいるということだろう。
「あの……すみませーん!」
トントントン、と三回ノックをして待つ。
小さな鈴の音が静寂を破り、屋敷の扉がギギッと音を立てて開いた。
中から現れたのは、目つきの悪いが顔立ちの整った男だった。
銀色の髪と髭、そして巨木に生えた苔を思わせる深い緑色の瞳。
美しいがしかし、落ちくぼんだ目にはくまがある。
やせ細り、髪も髭ものびて、街の人間ではない異様な雰囲気があった。
無愛想なその男は、フランを刺すような鋭い目つきで見つめた。
「何の用だ?」
と冷たく問いかける男に、フランは震える声で答えた。
「あの、森のフクロウがっ……フクロウが、着いてこいって」
「……言ったのか?」
と、男は鼻で笑った。
フランはかあっと頬を熱くした。
「言っては……ないんですが……そういうふうに、見えたので」
男はじろじろとフランを見た。
「こんなとこまで何の用だ。何もないぞ」
「あの、ラソに行きたくて……突然、すみません。あの、でも、少しだけ、水をくれませんか」
「なぜ、私が、人間なんかに」
男の瞳に怒りのような、哀しみのような、不思議な色が滲むのをフランは見ていた。
「家は全部焼けてしまって、水の一滴も無かったんです」
と、フランは言った。
男はしばらく沈黙していた。
フランは慌てて言った。
「本当に、突然申し訳ありません。お水をもらったら出て行きます。すぐに……」
「ここからラソは遠いぞ。人間には無理だ」
「何日かかったって行きます」
フランの意志の強い目を見て、男は口端をあげた。髪も髭も伸びた怪しい男なのだが、端正な顔立ちのせいか不思議と怖さは感じられない。
「人間はすぐに身の丈に合わぬことをしようとする。無理だと言っている。魔物の餌になるのが関の山だぞ」
「そうは言っても、もう戻る場所なんてありません」
と、フランは食い下がった。
「ゼガルドから来たのか? もう戦も終わっただろう」
「ええ。あたしの食堂も、家も、全ては焼けてしまいました。そして、きっとまたすぐにでも、また新しい戦が始まるんです、あの国は」
男はそれを聞いて少しばかり眉を寄せた。
「もう一人ぼっちだし、国を捨てることにしたんです。大人に捕まっていいようにされるなら、どうしたって、絶対にラソに行ってやる」
「どうしてそこまで……」
「どうして、って、生きてくのに理由が必要ですか?」
フランはきょとんと男の伸びきった銀髪を見た。
どれだけ経てば、あんなに長く伸びるのだろう。もし、街で売れば高く買って貰えそうだ。
男はしばらくフランのどんぐりのような瞳を見下ろしていた。
が、やがてため息をついて、扉を大きく開け、
「中に入れ」
と短く言った。