14 ニンジン
フランはギルの歌に聴き惚れた。
安らかなメロディーはどこか哀しく、それでいて優しい。
朗々としたギルの美声は美しかった。
「フラン、聞こえた? ギルの歌がもう一度、聴けるなんて。それに、前に聴いた時よりも、ギルはもっと上手になったみたいだ。ああ……」
嬉しそうなストリクスの頭を撫でながら、フランは初めて耳にしたその歌に聞き惚れた。
それから何日かして、フランはギルと一緒に町へ買い物に出ることになった。
市場でニンジンなどの野菜を売るのだ。
そして、売却をした金で、新たな食材を得る。
ゼガルドの食堂時代と、やりたいことは同じである。
といっても、ゼガルドの市場はまだ復旧しておらず、裏取引のような現状だ。
配給物資以外は国に没収されてしまう。
兵隊に見つかれば、一銭にもならない。
市民たちは狡猾に、缶や箱に入れてこっそりと食品を交換していた。
フランはオリテの方へ足を伸ばすつもりだった。
あちらならば、今は落ち着いているはずだ。
エルフは肉を食べないが、ギルは半分エルフで半分人間だ。
ずっと魚も食べていないというので、フランはギルの栄養状態が心配だった。
(本当なら雌鶏を手に入れたいところだなぁ)
卵がいつでも手に入るなら、その方が良い。
「また暴漢に襲われたら心配だ」
という理由で、ギルはフランに同行すると申し出た。
先日の一件で、非力な自分の無力さも理解していたフランは首肯した。
ストリクスは光の粒になってギルの胸ポケットへ入った。
「こうしてみると……」
きちんと髭を剃り、髪を短くして結わえたギルは、整った容姿が際立っている。
「ん? どうした?」
フランはふと隣を見て、自分を見下ろしてくるギルと目を合わせて赤面した。
「どちらかというと、暴漢に襲われそうなのはギルさんですね……」
「私が? それは勘弁してもらいたいものだな」
ギルの胸ポケットが緑色にぽうっと光る。
危なくなったら逃げてよ! と言っているかのようだ。
半日歩き、オリテに着いた。
「すまないな、ゼガルドの通貨ならば少しは持っているのだが……王家と交流があったころも、ほとんどの報酬は美術品だの彫刻だので貰っていたのだ」
フランはギルの歌声を想像しながら、それも然りだと思った。
確かにあの森の屋敷には至る所に美術品が飾ってあった。
食材を得るにあたって、ギルは現行の通貨はほとんど持っていないとフランに伝えた。はなから当てにしていなかったフランは気にしていなかった。
金が無いならば稼げばいいだけの話だ。
王都と距離のある田舎の町とはいえ、オリテの市場は賑わっていた。
フランは布を敷いて、その上に持ってきた野菜を並べ始めた。
オリテで使われている通貨は、ゼガルドのものとは少し違う。
帝国時代は同一の通貨を使っていたここらの大陸の国々は、独立して王制を築き上げていく中で、コインの刻印を別の物にした。
使われている材質は同じ魔石ではあるのだが、国によって彫りが異なる。
それ自体が美術品のような通貨は国ごとに微妙に価値が異なる。
人通りは多いが、客は立ち止まらない。
場所が市の外れだというのもあるが、同じような出店が多すぎて客は先へ進んでいってしまう。
市民は広場に近い場所で営業をしてもいいが、オリテの外の人間たちは場外といって町の外れで商売をするのが暗黙の了解だ。
「うーん、なかなか売れないですねぇ……」
フランはギルに眉を下げて微笑んだ。
「まあ、気長にいきましょう。あたしはここでお野菜を売ってますから、ギルさんは市場を歩いてこられますか? 久しぶりの外でしょう」
「いや、いい。それより、人を集めたいのなら……」
ギルは立ちあがった。
そして、すっと息を吸い込むと、伴奏もなしに歌い出した。
(えっ!? ギルさん!?)
歌詞も無い軽快な曲調だが、どこか民謡に近い楽しげな旋律に数人が足を止めた。
そして、花に惹かれる虫のように何人かがフランの店先へ寄ってきた。
観客が集まってきたのを見計らって、ギルは旋律を止めた。
そして、再び息を吸い込んだ。
ギルが歌い始めたのは昔からある曲だった。
ゼガルドでもオリテでも、他国でも歌い継がれている大陸の歌。
子どものための童謡として歌われているその曲を、ギルは抑揚をつけて丁寧に歌った。
(うわあ~……)
どこか懐かしく、切なくもある旋律に、フランの二の腕に鳥肌が立つ。
甘やかで深みのあるギルの声は、伸びやかに曲を彩る。
男性的な普段の話し声とは異なった、安定した高音域の息づかいだけでため息が出そうだ。
ギルの声量は二階にいても一階に聞こえるほどある。
だが、変幻自在に大きさを変えられるというのが、ギルの今の歌を聴いていてよく分かった。囁きに近い声でさえ、天にまで届くようだ。
(歌っているときのギルさんはどうやって息をしているんだろう?)
細かいビブラートが心地よく鼓膜を震わせる。
やんちゃそうな子どもでさえも、従順な小鳥のようになってギルの足下に集まってきている。
普段、ギルの鼻歌やらピアノとの曲やらを聴いて生活しているフランでさえこうなのだから、初めて聴いた人間といったらいかばかりだろう。
最前列のご婦人は涙していたし、絶対に野菜を買いに来たのではなさそうなどこかの親方は、腕を組んで満足そうな顔をして仁王立ちしている。
ギルが息を吐いて歌い終わると、わっと歓声と拍手がわき起こった。
思わず一緒になってフランが拍手をしていると、渦中のギルがふっと後ろを振り返った。
「……ほら、人が集まったぞ。ここからは君の領分だ」
フランは本来やるべきことを思い出した。
「あ! はい! 皆さん、よろしければおいしいニンジンやお野菜、買っていって下さいっ」
群衆は晴れやかな顔でニンジンを手に持った。




