11 ブラックベリー・フール
庭の果樹が育つにつれて、ギルの歌声も回復していった。
掠れた調子も悪くはなかったけれど、きちんと発声できるようになったギルの声はそれはもう美しかった。
結界は新しくはられなおし、ピアノは美しく鳴り響くようになった。
それに伴って、ギルは伸びきった髪をついに切って、身だしなみを整えるようになった。そして、厨房に来てフランの手伝いをしたり、庭仕事を手伝ったりするようになった。ギルは少しずつではあるが、フランの前で小さな声で歌を歌うようになった。
(やっぱりこの人、歌が好きなんだ)
フランはそっとギルを見守った。
部屋に落ちていた楽譜はきちんと棚に収納され、グランドピアノは埃を取って磨かれるようになった。
ある日、フランは勇気を出してギルに尋ねた。
「ギルさん、これ、楽譜にはさまっていたんですけど……」
ピアノを弾いていたギルは、フランの声に顔をあげた。
フランが持っていたのは、ゼガルドの王室から届いた書状だった。
王室の箔が押してある。
開封もしていない。
「見るのを忘れていたら良くないと思って」
それも本音だが、フランは心配の方が強かった。
王室の命令を無視していれば、反逆者とみなされる。
「見なくても分かる。同じ内容だ。それに、ずっと昔の物だよ。三十年ほど前の」
「そんなに前の……」
「王宮の専属にならないかという誘いさ。そういうのは向いていないから断ってきたんだ。ずっとね。ある王子が王宮に私を招いては、菓子だの何だのと機嫌をとろうとして……初めはうっとうしかったけれど、結局自分が好きな菓子ばかりを用意して、一人で美味そうに食べて」
ギルは笑い、ふと寂しそうな顔になった。
「書状を捨てなかったのは……あの時の、彼との思い出を取っておいただけだ。ゼガルドの内乱が起こって彼は亡くなってしまって、嫌がらせのように何十枚も送ってきていた書状もぴたりと届かなくなった」
フランは友人を失ってしまったような、ギルの表情に心臓をぎゅっと押さえつけられたような気持ちがした。
(ギルさんを元気づけたい)
厨房に行ったフランは、冷却魔法のかかった食料保存庫を開けてみた。
朝に摘んだブラックベリーとミックスベリーがツヤツヤと光って鎮座している。
(お菓子、かぁ……)
ギルは王宮でどんなものを食べたのだろう。
フランはまず、フレッシュなブラックベリーを手に取り、ひとつひとつ丁寧に洗った。ブラックベリーの深い紫色が指に少し染み込み、甘酸っぱい香りがキッチンに広がる。
持ち手のついた片手鍋にブラックベリー、砂糖、レモンの汁を入れて、中火にかける。赤黒いブラックベリーが、甘酸っぱい香りと共にじわじわと崩れていく。その様子を見つめながら、フランはそっと微笑んだ。
(晩ご飯のシチューの後に、そっと出したらギルさんはどんな顔をするだろう)
ソースが煮詰まり、滑らかになったところで火を止め、冷まし始める。
フランは濾し器を使って種を取り除き、滑らかなブラックベリーソースを作り上げた。とろりとした透明がかった赤紫色は、深いルビーの色の輝きをしていた。
濃い牛乳を取り出して、ボウルに注ぎ入れる。泡立て器で無心になって泡を立てると、生クリームはふんわりとツノを立てた。
棚に入れて冷やしておいたブラックベリーソースが冷めたのを確認して、フランは再び作業を始めた。
生クリームのボウルの中に冷ましたソースの半分を加え、手早く混ぜ合わせる。完全に混ぜきらないように注意しながら、美しいマーブル模様を作る。
グラスに残りのブラックベリーソースを少し入れて、その上にクリームとブラックベリーの混合物を層にして重ねていく。
最後に残ったブラックベリーソースを上からかけ、スプーンでそっと再度マーブル模様を作り出す。
「できた……」
フランは満足気にため息を吐いた。
ブラックベリー・フールの完成だ。
最後のミントの葉を飾り付けて、フランは冷却棚の中にそれらを仕舞った。
王子様の食べるようなものは、用意できないかもしれないけれど、哀しみが少しでも薄まるような何かがあればいい。
この何十年も前の昔から伝わるデザートを、ギルはどこかで食べたことがあるだろうか。




