田中優は魂を込められない
田中優は
彼女は生まれながらにして生粋のスクリプターだった。物心ついたときには既にコードを打って生きていた。幼等部学園時代にはほぼ一流であった。だが、そのコードには魂が宿らない、真正の無機物でしか無かった。
だが本人は器物に霊が宿るのは錯覚と言いのけてしまうだけの速度を正確に打ち込むことで問題ないと生きていけるとして周りの人間は黙るしか無かった。佐藤勝以外は。
「もうちょっと、コードに魂宿して」
「はあ、なんだそのクソリテイクは」ユウは具体的なモノを一切省いたリテイク指示に文句を言った。こんなにも正確な記述に文句を言うな、であった。
「じゃあ、ウェイト0.2秒、大体14Fくらい、では?」
「そういうのでいいんだよ、そういうので」ユウは機嫌を直した。我ながら軽いと思ったが、的確な指示は何者にも代えがたいのであった。黙って(?)指示通りにする。
「ほーん、マジか?俺のコードに魂が宿った?」ユウは自身のコードで動くプログラムが脈打つのを感じて、驚嘆したのだ。
「14Fは、人の意志が介在する分岐点ということらしいね」
「マジかよ知っていたら教えろよ、そういうのは」
「いや、僕だけがそういう風に言っているだけなんだよ」とマサルはでかい図体を揺らしながら答えた。見た目は木偶の坊っぽいが言動は知的であった。
ユウは組むならマサルしか居ないと思って幼等部学園の出会いからずっと誰とも見向きしないでこの男を選んでいる。
少年は孤独であった。
一人だけで、自身が挑むべき将来を悲観して絶望していた。少年はこの世界を救いたかった、彼の救いたい未来とは娯楽であった。娯楽の王、ビデオゲーム、それが彼の救いたい世界である。
かつてこの国はビデオゲームの頂点を支配していた。それが20年も経たずに玉座から転げ落ちた。欧米の築いたビデオゲームという世界観を一瞬だけ支配しただけに終わってしまう。それは少年には耐え難いものであった。
しかし、今のこの国には国を上げてのクリエイター補助の為の教育制度があった。それがゲームクリエイター学校である。普通課と同等の教育課程をゲーム科を進講して得られるのである。
少年はそれに掛けた。父が家に居らず、母だけの家庭でそれを得られるのは望外の処方と言えた。
だが、少年には才能がなかった。光り輝くような、何物であろうと突き進める道を開くものがなかったのだ。
しかし、そこで出会ったのは田中優である。その時点でユウはマサルを並ぶものとしてみて無かったのだ。どうして、こうして並ぶことになったのか?そこには才能ではなかった。
逆に才能の無さが「支えたい」と思わせたのである。
思い出に浸りながらコードを打つ、ユウ。初めてはこんな心境ではなかった。クソくだらないとも思っていたが、それに比べれば変わり果てたものだと。己は変わってしまった、と。
泣きじゃくりながら課題を解く、幼等部学園時代のマサル。それを冷ややかに見やるユウ、気まぐれで課題のどこが難しいのか?と聞いた。
聞けばソースコードが書けないというが、詳しく聞くとソースコードが書けないと言うより、やろうとしている事が"ぶっ飛んでいる"からそれをコードにすると幼等部学園の教育課程でやる数学ではなく、算数では解けないのであった。
「回文を自動で処理したいんだ、それが出来なくて……」マサルはそう云う。
「……回分か、これ?」ユウの知識ではそれは確かに回分であったが、具体的には組み合わせ分岐を考慮すればそれは回分ではなく、そこにはゼロ除算を含んだ仕様書モドキが出来上がって書かれていたのである。
これではコンピューターで動かせるハズがないのである。
イ ロ ハ に は ロ イ
これが回文だ。
↑←↓→←↓↑←↓→↑→↑→↓←
これはベクトルが回転して、打ち消し合い総和がZEROになるから回分ではなく、"ベクトルのスピン"が数学的な定義的には正しい。
「なんでこんなベクトルの回転を扱いたいんだ?」
「ダンジョンの迷路の自動生成で、人間の飽き以内に終わって、飽きる前にクリアできない、飽きるまで引っ張らない、最適な迷路を仕様書に書いておきたいんだ」そう云うマサルは落第生のプランナーではなかった。
「ゼロ除算って知っているか?仕様書に書くなってやつなんだが」
「ZEROの割り算はしないよ」マサルは不思議そうにした。どうやらこいつにその自覚はないだろうと理解ったのだ。
「いいか、オマエはZERO個のゼロベクトルと、有限個のゼロベクトルを一つの数式で扱おうとしている、から」
「回分だから、ZERO個にする加減算するだけでいいんだよ、出来ないの?」
「出来るが(ムッ)、オマエの説明は複雑化してもそれを適用できる堅牢な数式を扱おうとしている、だから回分の足し算引き算ではなく、回転の掛け算、除算がその正体だ。加算、減算の拡張が掛算除算だと知っているだろう?」
「知ってるけど、割ったりはしないよ。それじゃ僕がバカみたいじゃん。仕様書にゼロ除算描いたら自分でクビするみたいなもんじゃん」ゼロ除算がコンピューターに禁忌だというのは理解っているが、理解はしてないようだ。
「解ったから、そこら辺は誤魔化しとく。今の内にゼロ除算でいいからオマエの想定全てを仕様に入れとけ」ユウは如何に有能なプランナーが、クソみたいだけど嘘を書かない仕様書を書くべきか?という話を滾々とした。ユウは既にコード書きとして活動をしていたのだ。
「わ、解ったよ。回文なんだけどなあ」とまだマサルは納得がいってない、だがその仕様書は後になってゼロベクトルを扱って、なおかつゼロ除算を平気でシでかすようになっていた。
巫山戯るな、とユウは激怒した。大言壮語をかます無知蒙昧なプランナーを排除しなければいけないと覚悟した。
それは高等学校の数学まで課程が進むまでマサルの仕様書に無限回数出現するゼロ除算の仕様書であった。ユウは勿論激怒したし、今でも根に持っている。