化け物の仕返し
ある日突然王都の広場にて不可思議な絵が浮かんだ。
バロックの色を上から塗り替えたように黒く汚らしい印象を与えるそれは多くのものに不快感を与えた。
直ぐに汚れを落とすために人が呼ばれたがどうしたことか、その模様は落ちるどころか徐々に徐々にと広がっていき今では王城にまで届くほどにとなっていた。
「陛下、気味が悪いですわ……」
王の隣で王妃が美しい顔を歪めて黒く黒い模様を蛇蝎の如く嫌って王に早くどうにかして下さいまし、と縋った。
国王も自分の治める領地にてこのような無礼極まりない行いをする何者かに激怒し腸を煮えくり返しながら王妃にわかっていると答える。
「我が国にここまでの無礼、仕掛けたものがあれば必ず捕え公開処刑としてやらねばおさまらぬ」
年を召した老体にはあまりよくない激情のままを口にしてダンと大きく肘掛けに拳を振り下ろした。
奇妙な模様を描くものも仕掛けたものも発見できないまま、時は経過し消すことも上塗りを施すこともかなわない。
だけれど広がれど気味が悪けれど、実害がないことに人々の関心はだんだんと薄れはじめていった。
何か悪いことの前触れじゃないかと話していた老人の一人は悪酔いしてその模様がある場所に用を足した。
いたずらな子どもは母の目を盗んで模様の少し特徴的な場所を見つけると供物だと言って殺してきたネズミや虫の死骸を積んでへらへらと笑って邪神様に願いをかけて叶えてもらうのだと祈った。
皆、皆。それが何かもわからないというのに散々なことをしていった。
そして現れた時と同じく突然それは動き出した。
黒い黒い歪な絵から天に向って紫色の煙が間欠泉の如く勢いよく噴き上げられた。
一箇所ではない、国中のあちこちで同様のことが起こる。近くにいたものは高温の熱にやられたのか、その場に倒れのたうち回った。
少し離れたものたちの体にもポツポツと出来物ができるとぶわりと皮膚が赤く腫れ上がり呼吸すらままならずに一人、二人と倒れ立っているものがいなくなった。
それを家の中からみたり少し遠くから見ていた者たちは怯え恐れて慌てて窓や扉を閉めるがそんなもので防げるわけがない。
隙間風と共に侵入を果たしたらしい死の煙によって少しずつ少しずつ体を蝕まれ、遂には動けるものは僅かとなった。
国王と王妃も例外ではなく病に臥していた。
美しく慈悲深いと言われ国の至宝とまで言われた王妃は最初、頭が痛いと唸り寝込んでいたものの次に来たのは大量の血を吐き出してしまう症状だった。
食べるものも食べれず、水分をとった端からまた血を吐いてしまう。肌の色は白から土気色にまでなり、そのうちに吐き出す血もなくなり死んでしまうのではとの話しまで出始めた。
国王は喉に腫瘍が出来てしまったらしく一日中鬼のような形相で苦しみ足掻いてベッドを爪で荒らしシーツは破れ、布団なども彼の苦痛のほどを訴えるようにボロボロになっていた。
彼らの息子である第一王子は齢18の青年で、もう直に嫁いで来ることの決まっていた親しい国の姫を待っていたのだが、この騒ぎのせいでその婚約は一次保留としようとの提案が齎された。
当前だろう。未知の呪いや病が流行りだしたかもしれない国に大事な娘を嫁になどと言える親はいない。
国と国とのことだとしてももし災禍の火種が自国に向きでもしたら。
第一王子は嘆いた。しかし時は戻らず原因不明のこの奇病もわからない。
第二王子もまた王城で咳をし、酷く噎せ込む度に喉から黒い小石のようなものを吐き出していた。
その石を集めて捨てようとした侍女がいたのだが、突然足を止めると小石を凝視し悲鳴をあげてそれらを投げ捨て部屋を飛び出し廊下の隅にへなへなと腰を落とした。
何事かと慌てた同僚と護衛がかけつけ訳を聞くと小石が急に“しゃべりだした”と。
そんな馬鹿な、と護衛の男が恐る恐る侍女が投げ出し散らばった石をもう一度集め直し耳を澄ませる。
『……れ、…………れ』
小さく、子どものような高い声音で石から確かに音が響いた。
顔色を悪くしつつも護衛は言葉を聞き取れたならと慌てずそのまま暫し声のようなものに耳を傾け続けた。
『こわれろ』
『こわれてゆけ』
『みんな、くるしんでおちろ』
『ぼくのいかりをしれ』
『こわれ』
『はいとなれ』
『すべてかいじんとかせ』
『なぁ、くるえよ。なぁ、なぁ、なぁ?』
侍女に止められるまで護衛は気付かなかった。自分の腹に慣れ親しんできた刃を向けて自害しようとしていることに。
それから慌てて小石から手を放す。
小石の処遇をどうするか。それも問題となり始めたのだった。
数多の奇病や流行り病、頭が可笑しくなった人々、突然自らの命を絶とうとするもの、そして王子の吐き出す小石。
この国だけでなく他の国すら巻き込んで皆が頭を悩ませ、解決策すら見つからないと嘆き沈んでいるそんな最中、騎士がとある貴族の男を引っ張り王族で唯一症状の軽い第一王子に引き合わせることに成功した。
男は窶れて正気も失いかけていたがそれでも病に冒されず、何かを知っているらしいと騎士は捕らえていたその男の服を強引に脱がせそしてその全身に刻み込まれた文字と夥しい呪詛の数々を暴いたのだった。
曰く、この地に起きている災いについて夢の中で元凶を詳らきにし捕らえよとお告げを与えたものがいたのだと。
その何者かは人の姿こそしてはいなかったが神々しく、恐らくはこの国の窮地に手を差し伸べて下さった神であると騎士は熱弁した挙げ句に捕らえた男の体の一部を指し示し、王子にこう告げるのだった。
「ここに故意に禍神の領域を荒らした罪人であると書かれております。憶測ではありますが、それが今回のこの事態の引き金となったのでしょう。禍神に非礼を侘び、この男を贄として捧げればお怒りを解くことも……」
あくまで全ては騎士の想像と独断的な考えだ。王子はじっと怯え体を縮こませる男を見つめ、ややあって騎士に命じる。
「もしそれが信実ならば確かに侘びは必要だろう。しかしどこの禍神かもわからないのでは謝りようもない。詳しく尋問するために地下牢へ移し、全て洗いざらい吐きださせてから処遇を決めよう」
そうしてどこからか飛んできた騎士と王城の騎士とで半裸の男を引き起こし覚束ない歩みを手伝いながら地下牢の方面へと消えていった。