三下 ④
「なっ……」
「ははは……アハハハハハ!!! 押した、押してやったァ!!」
歓喜と狂気が入り混じった笑い声に、おかきは自分の甘さを後悔した。
たしかに意識を刈り取ったと思い込んでいた、だが現実は目の前にあるとおりだ。
這いつくばったまま血走る眼を見開いた實下は、もう一つのスマホに表示された爆破スイッチに触れている。
あれはおかきが初めに奪い取り、投げ捨てたスマホだ。 アクタに気を取られて意識から抜けていた。
だがそれでも動けるはずがない。 たとえ意識を取り戻したとしても、おかきの蹴りで脳を揺らされた實下はしばらくまともに動けるはずがないのだ。
「ハハハハハ!!! 言っただろ、お前らも道連れだってなぁ!!」
「……まさか、自分で自分を洗脳した……?」
おかきは気絶する寸前に實下が吐いたセリフを思い出した。
「道連れにする」という恨み節がおかきたちに向けられたものではなく、自分に対する暗示だったと考えれば謎は解ける。
今の實下を突き動かしているのは、おかきたちを道連れに自爆するという自己洗脳によるものだ。
「アハハハハハ!! ザマァ見ろ、お前のせいだ! お前のせいでみんな不幸にブベらぁッ!!?」
「よし、今度こそ黙りましたね」
「わあ、ナイスピッチ」
おかきが蹴り飛ばした靴は、見事實下の顔面に直撃し、再びその意識を刈り取った。
鉄板仕込みの靴底は鈍器で殴られたに等しい衝撃だ、今度こそしばらく目を覚ますことはないだろう。
おかきはすぐに實下の元に駆け寄ってスマホを奪い取るが、何度画面をタップしても警告音は止まらない。
「アクタ、これを止める方法は?」
「ないよ、あと10秒ぐらいで爆発する」
「そうですか」
おかきは天を仰ぎ、目を瞑る。
わずか10秒、逃げる時間は絶望的に足りない。 アクタの計算通りなら、地下の爆風は天井を突き破ってたちまちこの屋上を飲み込む。
ゆえに迷う暇はなかった。 おかきは気絶した實下の腕を肩に担ぎ、アクタの手を引く。
足取りはまっすぐに屋上の終端、唯一の脱出路にしてはるか真下の地面に向かって進んでいた。
「探偵さん? 駄目だよ、この高さは落ちたら助からない」
「では賭けましょうか、アクタ。 もし助かったときは大人しく投降してください」
「もしダメだったら?」
「その時は一緒に死ぬだけですよ。 つまり―――ここがライヘンバッハです」
「……あはっ。 いいねそれ、探偵さんといっしょならその終わり方も最高」
ライヘンバッハの大滝、シャーロック・ホームズとジェームズ・モリアーティが相打ちしたとされる因縁の地。
小説の中では復活を渇望されたホームズが無事に生還を果たしたが、現実にそんな奇跡はそうそう起こらない。
よほどの幸運が起きなければ、だ。
「アクタ、實下の肩を……OKです、では跳びますよっ」
「ええ、1,2のぉ……3っ!」
きっかり10秒、タイミングを合わせて飛び降りた2人の背後で屋上から火柱が吹きあがる。
それは横方向にほとんどエネルギーを逃がさず、天に向かって吹きあがる爆発の渦だ。
常識の領域で作られた爆弾ならば、おかきたちも倒壊した瓦礫に巻き込まれて息絶えていただろう。
これこそがアクタに与えられた異常才覚が成しえる神業、爆破のベクトルすら操る異能である。
「あっはははは! やった、やった! 計算通り!」
「すっご……」
落下の最中でありながら、おかきの口から零れたのは感嘆の言葉だった。
だが忘れてはならない、このまま落ちた先に待つのはコンクリートで固められた地面であることを。
爆風で後押されたおかきたちの身体は、そのまま叩きつけられれば絶命は免れない。
「――――だから無茶をするなと言ったはずだがな、あとで説教は覚悟しておけよ」
しかし重力に従って落ちるおかきたちを待っていたのは、堅い地面の衝撃ではなく、大した痛みもなく抱きかかえる人の腕のぬくもりだった。
「……すみません、局長。 だけどあの高さから落ちた人間片手で受け止めます?」
「なに、局長たるもの部下はしっかり支えてやらないとな」
夜の中でも煌々と燃えるような赤い髪をたなびかせ、その手に抱いたおかきの顔を覗き込むのは、宮古野たちと裏で待機していたはずの麻里元だった。
その表情は笑ってこそいるが眉は吊り上がっており、静かな怒りをにじませていた。
「はい、こっちも容疑者2名確保ー! 特製ふわふわクッション君3号は絶好調だぜぃ」
「えっ……? えっ、えぇ? なんで?」
麻里元に捕まったおかきの隣では、全身が沈み込むほどに柔らかいクッションに捕らえられたアクタと實下の姿があった。
クッションに包まれた当人は何が起きたのかよくわかっておらず、目を丸くして周り取り囲む武装エージェントたちを見渡している。
「秘密組織たるもの常に最悪の事態を想定するものさ、おかきちゃんだけに負担を丸投げするわけにもいかないしね」
「おかきが屋上に出向いた時点でこの通りビル下で待機していた、内部の人間は全員避難しているぞ」
「で、でもどうやってこんなピンポイントで……どこに探偵さんが落ちてくるかなんてわからないでしょ?」
「そのために司法取引を行ったよ、たしか雲貝と言ったかな?」
「うーっす、雲貝っす! いやーSICKさんのためならたとえ火の中水の中っすよ!」
麻里元に名前を呼ばれ、その背中からおかき救出のMVPがひょっこり顔を見せる。
たった10秒の猶予でおかきの落下位置を特定するのは難しい、だから麻里元たちは先んじてヤマを張っていたのだ――――規格外の幸運を持つ男の力を借りて。
「あまり驚いた様子がないあたり、おかきちゃんも予想ついてた感じかな?」
「いいや、キューさんたちを信じていただけです。 ……おかげで賭けにも勝てました」
「…………なにそれぇ」
完全に脱力してしまったアクタは、さらにズブズブとクッションに沈み込んでいく。
この瞬間、彼女の企みは完全に打ち砕かれ、おかきとの賭けに完全敗北したのだ。
「……でも、まだだもん。 賭けには負けたけど、天使の妙薬は打ち上がったでしょ!」
「いいえ、そちらも対策済みですよ。 局長、ウカさんたちは?」
「ああ、君たちより少し早く地下を脱出している。 目的も果たしたうえでな」
全員生還、死者0名で全員生還。 だがそれだけでは片手落ちだ。
廃人か異常能力者を生み出す麻薬の拡散を阻止しなければ、今回の事件は完全に終息したとは言えない。
だからおかきたちはすでに、屋上へ到達する前から手を回していたのだ。
「では答え合わせと行きましょうか、アクタ。 そもそもの話ですが私はどうやって屋上まで登ったのでしょうね?」




