三下 ②
『……声で洗脳?』
「はい、甘音さんに確認した限りではその線が高いかと」
屋上へ向かう少し前、おかきは宮古野たちと短い打ち合わせを行っていた。
「甘音さんの話では、常に身近にいたのが實下という男でした。 洗脳を仕掛けるチャンスがあるとすれば彼でしょう」
『たしかに怪しいな、だがそうなるとウカたちと交戦してるボスはなんなんだ?』
「おそらくカモフラージュかと、彼も操られているだけです」
『にゃるほどねぇ。 洗脳系のケースなら何種類か知っている、その経験からおいらもおかきちゃんの説を支持しよう』
『どのみち俺の能力で確認する時間はねえな……よし、乗ってやるぜおかき。 俺らにゃ何ができる?』
「カジノで使っていたノイズキャンセリング、ぶっつけ本番で調整できますか?」
――――――――…………
――――……
――…
「な、なぜ……どうして俺の洗脳が……!?」
『わっははは解析完了! 本人の自白通り聴覚を経由して発動する催眠だ、賭けはおいらたちの勝ちだね!』
おかきの耳に届く宮古野の嬉しそうな声は、組み伏せられた實下には届かない。
ゆえに彼はおかきたちが仕掛けたトリックに気づくことはできなかった。
『残念ながらおかきちゃんは君の声を一言も聞いてない、彼女が聞いていたのはおいらたちが君の声を打ち消して再翻訳した機械音声だ』
『電話の合成音声みたいなもん……って、俺らが勝ち誇ったところで向こうにゃ聞こえてねえよなこれ』
『細かいことは良いんだよ。 おかきちゃん、爆破装置は?』
「……ぶっ壊せばいいんですかね、これ?」
實下とともに床に転がるスマホの画面には、デカデカとドクロマークのスイッチが表示されている。
セーフティも何もない剥き身の起爆装置に、おかきは下手に触れることもできなかった。
「くっ、離せェ!! クソッ、女のくせに……ギャッ!?」
「おっと手が滑った」
『怒ってるねおかきちゃん』
組み伏せられた實下の腕関節がゴキリと音を立てて外れる。
SICKの新人教育で教えられた対人格闘術は、今のおかきにとって大いに重宝する経験だった。
「好きで女子やってるわけじゃねえんですよこちとら……それで、ボスがピンチですけどあなたは手を出さないのですか?」
「いやいや、偉大なボスならきっと自分で何とかしてくれるって私も信じているもの」
「あ、アクタてめぇ……わかってやがったな、こいつが洗脳されてねえって!?」
「えー、ボスは気づいてなかったの?」
組み伏せられた實下から距離を取り、見下す形でアクタは笑う。
彼女の手に握られているのは、おかきの足元に落ちているものとは違うデザインのスマホだ。
画面に同じドクロマークのスイッチが写っていることをこれ見よがしに見せつけられ、おかきは軽く舌打ちを鳴らした。
「ブラフじゃないよ、試してみる?」
「冗談を、今押せばあなたごと吹き飛びますよ」
「いいよ、最初から私はどうなったっていいもの」
「…………」
アクタの言葉には脅しではない圧があった。
今まで見せていた子供じみた無邪気な狂気とも違う一面に、おかきの頬には冷や汗が流れる。
「ふ、ふざけんなアクタ!! お前今爆破したら俺も死……!」
「探偵さん、気絶させていいよそいつ」
「ではお言葉に甘えて」
「ち、チクショウ! テメェらも道連れ……ぐえぇ!?」
おかきは躊躇いなく實下の頭を踏みつけ、持ち上がっていた頭をコンクリに叩きつける。
SICKの教官から教わった角度と力加減で衝撃を与えられた實下の意識は。一発で刈り取られてだらしなく四肢を投げ出した。
「わあ、足癖が悪いのね。 素敵よ探偵さん」
「そのスイッチをよこしなさい、私も我慢の限界がありますよ」
自由になった腕を使い、おかきは再度銃を構える。
狙いも定まらないこけおどしだが、それでもおかきが今振りかざせる唯一の力だ。
交渉へ持ち込むには相手と対等になる力が必要となる、たとえそれが蟷螂の斧だとしても。
「手、震えてる。 怖いの探偵さん? 怖いよね、私がちょっと指を動かすだけで全部ドッカーンだもの」
「黙りなさい、ケガして痛いだけですよ」
「無理しないで、怖いものは怖いと言っていいのよ。 私はずっとそうだったから」
「……すべてが爆発物として見える能力」
「ええ、これが私の感覚なの。 足元なんていつ爆れるのか気が気でない」
「その恐怖心を誰かと共有したくて、あなたは今回の事件を企てた。 異能者という爆弾を量産するために」
「そうよ、そうなの。 私のような異常者がいつどこにいるのかわからないなんて、とっても怖いでしょう?」
『そいつは世界が終わるシナリオだぞ、常識というベールがはぎ取られる』
天使の妙薬という異常薬物が表社会に知られ、ましてやアクタたちのような超能力が明るみとなる。
それはおかきがカフカとなった日のように、全人類の常識が覆される衝撃だ。
少なくとも今までのような社会を保つことは難しくなる。
「……アクタ、あなたは私を探偵と呼びますね」
「ええ」
「では探偵として恥ずべきことを告白しましょう。 私にはあなたが理解できない」
「そう」
「自分の気持ちを理解してほしいというアクタ、爆発に巻き込まれ死んでもかまわないというアクタ、真犯人として私との対決にこだわるアクタ、この期に及んであなたという人物像を絞れない私がいる」
「うん」
「教えてください、あなたは何がしたいんですか? ベールを引っぺがしたいのか、迷惑な自殺がしたいのか、誰かに止めてほしいのか、決めてもらわないと私も困る」
おかきは迷っていた、たとえこのまま銃を撃ってアクタを止めたとしてそこに後悔はないか。
彼女の真意を知らないまま事件を終幕させて、“藍上おかき”はこのシナリオをクリアしたと言えるのか。
わからない、ここまでの情報で推測ができない。 だから最後の手段として、この事件を始めた本人に問いかけた。
「そっか……探偵さんもわからないか、そうよね。 だって私もわからないもの」
「…………はい?」
「どれも正解だと思うし、どれも違う気がする。 もしかしたら全部外れで答えはまた別かもしれない、だけど私は私がわかんないの」
アクタは自分の頭をがりがり掻きむしる、強い力が込められた爪には血が滲んでいた。
綺麗に整えられた髪を台無しにしながら、それでも彼女は掻きむしることをやめない。
「普通が羨ましくて全部台無しにしたいのかなぁ、こんな能力にうんざりして殺してほしかったのかなぁ、探偵さんに止めてほしくてちょっかいかけちゃったのかなぁ、わっかんないや! 私わかんない!」
「アクタ……」
「だからね、私が犯人だから――――探偵さんに決めてもらいたかったの」
アクタは瞳孔の小さい目でおかきを見据える。
髪を振り乱した姿は狂気的で、だけどどこか助けを求める幼い子供のようにも見える。
「ねえ探偵さん、決めてよ。 私という犯人を」
自分の中からこみ上げてくる衝動の理由が分からなかったから、彼女は答えを求めたのだ。
事件の犯人として行動することで、理想の「探偵」に自分の役割を決めてもらうために。
「私をあなたのモリアーティにして?」
ジェームズ・モリアーティ、こじつけられた黒幕。
アクタはその終焉を飾る指名権を、身勝手にも藍上おかきへ押し付けたのだ。




