人権なき新人研修 ④
「お久しぶりですね、ミカ。 大人しくしてくれたようで何よりです」
『はい……だれも殺してないです……大人しくしてます……殺さないで……もう殺さないで……』
『だいぶトラウマになってるっすね』
「うーん、私も悪いと思ったのでできるだけ楽に成仏できるようキューさんに頼んだのですが」
『楽でも何でも死は死なのぉ!!』
――――最後の周回、場所と時刻はまさにミカミサマ事件の真っ最中である放送局。
再びこれまでの事件を同じ手順で解決してきたおかきは、局内の最奥で泣きじゃくるミカとの再会を果たした。
「大丈夫ですよミカ、SICKはメンタルケアを含め福利厚生は手厚いです。 このループさえ終わればあなたも立派なSICKの一員になれますよ」
『言ってる意味はよく分からない……分からないけど良くはない気がする……!』
『肩の力を抜くっすよ新入り、これがSICKっす』
「それより本当に大丈夫なんですよね、ここまで局員の方を一度も見かけていないんですけど」
『殺ってない! 殺ってないから! 全員ただ操って寝かせてるだけ、私悪くない!』
「そうですか、失礼しました。 皆さんはループの因果に巻き込みたくないですからね」
本来なら局員ならびに突入したエージェントたちは、ミカミサマの手により、全員が死亡同然の傀儡と化していた。
同じ末路を辿るほど、凄惨な結末は避けられないものになる。
幸いにもこらえ性のないミカがこの日時まで生存しなかったため、まだ犠牲者たちの死は避けられる未来だ。 ある意味この点だけはミカの功績かもしれない。
『それでおかきさん、ここからどうするんすか?』
「大丈夫です、やるべきことは終わっています」
手持ちのカバンから追貝が取り出したのは、緩衝材に包まれたままジップ付きの袋に梱包された「夏休みの友」だ。
手つかずだったはずの表紙には、なぜかおかきの名前がつづられている。
『持ってきちゃったんすか、あれ? でもどうやって?』
「お忘れですか、あの旧校舎内はループの影響をうけません。 冊子も同じく、前回のループで保管した金庫の中にそのまま入ってましたよ」
『うへー、なんか頭こんがらがりそうな話っすね』
『そ、それでどうなったんだ! もう私は死ななくていいのか!?』
「その検証はこれからですね、それまであなたも死なないように気をつけてくださいよミカ」
ループを断つため、目標となるのがミカミサマ事件を解決したその後だ。
おかきが初めて栄螺螺旋の旧校舎内で放送を聞いたあの日時を超えれば、この長い夏休みも終わりと言っていいだろう。
『けどなんで他人の宿題片付けてきたんすか?』
「ユーコさん、旧校舎内の現実強度が低いという話は覚え……てないですよね、前回の話でした」
『まあ資料は読ませてもらったのでフワっと理解はしてるっすよ! たしか一般的な数値よりちょっとだけ低いんすよね?』
「ええ、本来なら誤差程度のものです。 しかし学校全体が低い現実性を維持していたのは事実、そんな場所にこの冊子があった」
おかきが袋に入った夏休みの友を軽く指で叩く。
冊子そのものに異常性はない、すでにSICKでいくつもの検査を重ねたあとだ。
だがおかきの予測では間違いなく、原因はこの冊子にある。
「おそらくはあの放送室に入り浸っていた……放送委員か誰かの忘れ物だったのでしょう。 現実強度の低い場所に放置され、この冊子もその影響をわずかに受けた」
『色物と一緒に洗濯して色移りしちゃった感じっすかね』
「大体そんな認識で会っています、その証拠にSICKで計測したこの冊子の現実強度も低いままだった」
『そ、それが私が死に続けた理由と何の関係が……?』
「夏休みの友、ということでこの冊子の持ち主は絶賛夏休みの真っただ中だったのでしょう。 そして持ち主は不真面目で宿題なんてやりたくなかった」
『気持ちは痛いほど分かるっすね』
「学生なら少なからず抱く感情ですよ、あの学校に通う生徒もこう思っていたはずです――――“夏休みが終わってほしくない”と」
『…………あー、なんとなくわかったっす』
『……? ?????』
ユーコの背後で話のいつけないミカが小首をかしげる。
そもそも夏休みの導入は明治時代から始まった、彼女が生きた時代からすれば縁遠い存在ゆえピンとこないのも無理はない。
『現実強度は高いところから低いところへ作用するっす、学校全体が低めの現実強度の中で生徒たちが同じ願いを持ったせいで……』
「永遠に終わらない夏休みという存在が生み出された――――というのが私の仮説です」
学校全体の現実が脆い分、相対的に生徒たちが超能力者になってしまったようなものだ。
1人1人は髪の毛1本動かせない程度の弱い力、それでも全員が「夏休みが終わってほしくない」という強い思念を抱いたらどうなるか。
何年も何年も積み重なった淀みが異常性となって表面化し、5名の生徒と2人の警官が犠牲になった。 それがこのループの正体だった。
「たぶんとことん調べれば持ち主も突き止められますよ、おそらく本人には多少超能力の才があると思います。 それがトドメの一押しでしょうね」
『はぇー、なるほど……でもおかきさん、それってどうやって解決すればいいすか?』
「元を辿れば冊子の持ち主が宿題をやりたがらず、現実逃避したことが原因だと思います。 なので代わりに宿題を終わらせました」
『えぇ……そんなことでいいんすか?』
「まあ内容としては小学生低学年用の問題集なので簡単でしたよ、ページが破れないように書き込むのは苦労しましたけど」
そう語るおかきの指には炎症を抑えるための湿布が貼り付けられている。
長時間の緻密な作業の末、腱鞘炎になりかけた痕跡だ。 この時ばかりはおかきも白紙で放置した持ち主を恨まずにはいられなかった。
『…………あの、ひとつお聞かせ願えますでしょうか……』
「はい、なんでしょうかミカ」
『私、もっかい死ぬ必要あった……?』
「ごめんなさい、直接の関係はありません。 私事ですがこのあと――――」
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――――……
――…
「――――……下手に展開を変えてあなたと会えなかったら困りますからね、先輩」
「おお、起きたか。 どうもお前の身長だとチャイルドシートが必須らしいから急ぎ用意したぞ、おかき」
眩しい光とはためく自分の髪に顔を叩かれ、おかきはゆっくりと目を開ける。
容赦なく照り付ける日輪、開け放たれた窓から吹き込む風、そして自分を拘束するシートベルトとチャイルドシート。
さきほどまで放送局に居たはずの身体は、次の瞬間にはなぜかスポーツカーの助手席に括りつけられていた。




