三下 ①
「……だってさ、ボス。 もう全部バレちゃった」
「分かってる。 想像以上だな、藍上おかき」
月明かりが照らす範囲の外、闇の中から現れたのはアロハシャツを着崩した男だった。
金染めの下から地毛の黒がのぞく頭髪、肌が見えるところには金メッキのアクセサリーやタトゥーが見える。
いかにも軽薄そうな身なり、しかしその目だけは氷のように冷たくおかきを見据えていた。 この男こそが實下、もとい真のボスで間違いない。
「こんな格好で悪いな、油断してもらえるので重宝している。 それでなぜ気づいた?」
「消去法ですよ。 甘音さんの付近を離れず、洗脳できそうな人を探したらあなたしか該当しませんでした」
「なるほど、失態だな。 彼女にはあの時舌を噛み千切って自死してもらうはずだったが」
友を軽んじる實下の言葉に、おかきは怒りをこらえきれず拳銃を構えた。
指は引き金に触れている、あとはスライドを引いて軽く力をこめるだけで人の命を奪うことができる状態だ。
「探偵さん、やめた方がいよ。 その手じゃまともに撃てないでしょ」
「誰のせいでこんなことになっていると……!」
おかきの利き手はナイフで切り付けられ、さらに甘音に噛み潰されて銃を握る握力すらやっとだ。
照準を合わせるどころか、射撃の反動に耐えることすら難しい。 ほんの数m先に佇む目標へ命中させることすら至難の業だ。
「誰のせい、か。 それはすべて俺のせいだろう、だがお前たちさえ邪魔をしなければ誰も傷つかずに済んだのだ」
「誰も傷つかない? 今からアクタが何をやろうとしているのかわかっていないんですか?」
「知っているとも、だが必要なことだ。 我々の目的を達成するために」
實下は銃を突きつけられている状況だというのに、悠々とシャツのポケットをまさぐる。
胸ポケットから取り出されたのは、小さなビニール袋に入った少量の白い粉だ。
「君たちの仲間と戦っていた大男だが名前は毒島と言ってね、体内で薬剤を生成する能力を持っている。 “天使の妙薬”も彼の力を借りて生み出したものだ」
「すごい筋肉だったでしょ? あれも体内のホルモンを弄らせて身体を作っているの」
「……その言い方だと本人の意思は介在していないようですね」
「心外だな、俺が真摯に頼むと素直に了承してくれたよ」
實下は大げさに身振り手振りで悲しむが、見る者には薄っぺらな心象しか与えない。
彼の能力を考えればまったくもって信用ならない言葉だった。
「……まあ、冗談はこれぐらいにしよう。 すでに気づいているだろうが俺の能力は他人の洗脳だ、少し手間がかかるがな」
「それも天使の妙薬で得たものですか?」
「いいや、アクタと同じ天然ものだよ。 だからこそ彼女とは利害が一致した」
「……不特定多数の人間を天使の妙薬に暴露させ、新たな能力者を生み出すことですか」
「素晴らしいな、アクタのいう通りお前は本当に優秀な探偵だよ」
学園からこの場所に至るまで、おかきは無軌道なアクタの行動からその意味を追い続けていた。
そして大量の麻薬を打ち上げるというこの最終局面に到達したとき、ようやく彼女たちが目指すものに気づくことができたのだ。
「アクタの能力はもちろん、あなたの洗脳能力も制御が利かないのでしょう? だから引きずり堕ちる、誰も彼もを道連れにする最悪の集団」
「道連れではない、進化だ。 人類は異能という力を得て新たなステージに進める」
「ド三流の言い訳ですね、そのために多くの犠牲が出てもかまわないと?」
「自然淘汰だよ、天使の妙薬に選ばれるのは一握りの人間だけだ」
「なにが自然だ、全部あなたたちの身勝手です。 神にでもなったつもりですか」
「必要ならば神にでもなるよ、俺がこの力で選ばれた人間たちを導く」
「そんな崇高な存在にはなれませんよ、だってあなたの根底にあるのは“嫉妬”だ」
「…………なに?」
ここに来て初めて、實下の眉がピクリと跳ねた。
「探偵らしく推理しましょうか? あなたの洗脳能力、制御できないということはかつては皆あなたの言うことをなんでも聞いてくれたのでしょうね」
實下の反応をおかきの目は見逃さない、傷も痛みも隠して気丈に相手の神経を逆撫でる。
「“死ね”という命令すら喜んで従う、もしかしてつい口喧嘩の中で言ってしまった過去もありますか? 心中お察しいたします」
「………………」
無言の怒気を放つ實下の反応は、おかきという魚に水を与える。
探偵としての能力を大いに悪用するその舌は止まらない。
「いつしかあなたは自分の能力に気づいてしまった、そして疑心暗鬼になる。 仲の良かったご友人すらただ自分の能力で支配していたのではないか、と」
「…………黙れ」
「親しい人間のすべてが信じられなくなった、全部が自分の操り人形にしか見えなくなった。 友情も愛情も信頼も全部自分が望んだとおりに洗脳しただけではないのかと」
おかきは語る、目の前にいるにっくき敵の心情を。
すべてはただの推論に過ぎないが、本人の反応が何より図星であることを示していた。
「自分は普通じゃないと気づいてしまった、いつからだれをどこまで操っていたのかわからない。 だけど辛い気持ちは誰にも共有できない、だっておかしいのは自分だけなんですから」
「黙れ」
「そんなの―――――ズルいじゃないですか」
「黙れ!」
3度目の警告に、おかきの動きがぴたりと止まる。
意識ははっきりとしているが、その身体は石になったかのように動かない。
「……これも洗脳の一種ですか?」
「つらつらと余計な会話をありがとう、おかげで掛けやすかったよ。 俺との会話が能力のトリガーだ」
「語気が荒いですね、もしかして怒っちゃいました?」
「もういい、お前のことをスカウトしてやろうと思ったがやめだ。 次の言葉で君の心を完全に壊す、毒島と同じ洗脳状態にしてやるよ」
「……探索者のSANを壊す、ですか」
おかきは動けない身体でありながら、心の底からこみ上げた侮笑を浮かべる。
絶体絶命の状況でありながらもその精神には微塵の揺らぎもない。
「もういい。 お前はここで死ね、藍上おかき」
だからこそ實下は躊躇いもなく、自分の領域に土足で踏み込む探偵に別れの言葉を告げた。
とたんに硬直してたおかきの身体は弛緩し、その場にガクリと膝をついて項垂れる。
「……アクタ、こいつに最期のスイッチを握らせろ。 俺たちの避難が終わり次第起爆させる」
「えー、つまんない。 私は飽きちゃったからボスがやってよ」
「チッ……」
自由奔放なアクタとの関係はあくまで平等だ、ゆえに實下も洗脳しないように会話は最小限にとどめていた。
気まぐれな彼女が反発するのも一度や二度ではない、舌打ちしながらも實下は差し出されたスマホを奪いとる。
「このスマホに着信がかかった時が合図だ。 すぐさまスイッチを押せ、いいな?」
「嫌です」
「はっ?」
項垂れるおかきに近づき、命令を告げながら起爆装置となるスマホを握らせる實下。
だがその時、あるはずのない返事が返ってきたことに間抜けな声が零れた。
その瞬間、スマホを取り落としたおかきは實下の手首を捻り上げ、彼の身体をコンクリの床に叩きつける。
「ガ、ハ――――ッ!? お、お前……なんで、洗脳されてない!?」
「さて、何故でしょうね? 当ててみてくださいよ、ボス」




