藍上おかきの供述 ④
「ハナコさん、まだ燃やせそうなものは持っていますか?」
「ライターオイルはさっき使い切った、熱いパトスなら持ってるぞ」
「それは後生大事に抱えてください、さてそうなるとどうやって倒しましょうか……」
目前に立ちふさがっているのは、もう二度と見たくないあの怪物の姿。
表情が無いので感情は読めないが、私たちを黙って通してくれる気はなさそうだ。
「おい、ちょっと交渉してみろ。 お前が信徒のフリしたら案外すんなり通してくれるかもしれないぞ」
「いやですよそんなリスキーな真似、そもそも話が通じる相手に見えます?」
「探偵さん、そもそも話す口がないわ」
「でしょうね、あるのは目玉だけで……」
こうして話している間にも怪物は襲ってくる気配はない、あくまで進路を妨害するという目的に徹しているようだ。
もしかして元よりそこまで高度な命令は実行できないのかもしれない。 先ほど撃破した個体にも、飛び散った液体の中に内臓や脳は存在しなかった。
「他に迂回路はないのか?」
「私が感じるのはこの道が最短経路という事だけです、他に道はあるかもしれませんが探す時間はないかと」
「うーん、なら刀さんで1つずつ目玉を潰していけば何とかなる?」
『うむ、先ほどもかすかに手ごたえはあった。 一網打尽とはいかぬが某ならば滅せられる!』
「それまで相手が大人しくしてくれればいいんですけど……?」
突然、視界がグラリと揺れる。
呪いではない、怪物との視線は遮っていたはずだ。 ハナコの大きな図体は私の身を隠して余りある。
疲労の蓄積か、あるいは突発的な貧血か、理由を考えながら眩んだ視界が戻ると……そこは火の海だった。
「……はい?」
突拍子もない展開には慣れていたつもりだが、やはり常識というものは染みついて離れないらしい。
今の今までそばにいたはずのハナコもアクタも見当たらない、むしろ私の方がどこかへ転移させられたのだろうか。
見上げれば満天の星が輝いている、都会の街中ではなかなか見られない景色だ。 こんな状況でもなければ写真の1枚ぐらい撮って帰りたかった。
「キンジローさん? 聞こえますかキンジローさーん……通信機も駄目か」
周りには積まれた薪と燃え上がる炎、火の粉で髪が焦げてしまいそうな距離だが不思議と熱くはない。 夢か幻覚の類だろうか?
自分の頬をつねってみようと手を上げ、私はここで初めて自分の身体が透けていることに気づいた。
「これは……」
『――――おっかぁ!! おっかぁ!! うわあああああああああああ!!!』
どこからか引き裂くような誰かの悲鳴が聞こえてくる。
声が聞こえてきた方へ意識を向けると、炎と炭以外不鮮明だった世界がだんだん明瞭になり、藁に巻かれた何かに縋りついてなく女の子の姿が見えてきた。
藁の隙間からは炭化した人間の足がはみ出している、この火の手と磔台からして火炙りに処されたというところだろうか。
『なんでだ……なんでぇ……! 神様に祈れば“ぱらいそ”にいけるんでなかったんけ!?』
「もしもし、もしもーし? ……聞こえてませんね」
少女に呼び掛けても反応はなく、肩を叩こうとした手はすり抜けてしまった。
なるほどだいたいわかった、やはりこの状況は夢や幻覚に近い。 おそらくミカミサマの呪いを通じて過去のビジョンを見せられている。
きっかけは怪物との接敵、あるいは蓄積した呪いの進行か。 どちらにせよミカミサマは私に何かを見せようとしているようだ。
『おっかあもおっとうも死んじまった……神様はなんも助けてくれね……どうして、どうして……』
家族を失った少女は着物の裾で涙を拭う。
火刑に処された家族、“ぱらいそ”という言葉、そしてハナコの分析によればミカミサマの起源は日本の古い時代……
「……キリシタン狩りか?」
宣教師によって伝えられた伴天連の教えと、当時鎖国主義だった日本による一連の排斥運動。
たしかキリシタンの遺体は処刑後に焼かれたらしい。 このビジョンには多少誇張も含まれているかもしれないが、辻褄は合う。
『――――またか、また殺された……このままじゃ皆死ぬ……』
『お上は本気さ、神様を足蹴にすれば助かるけんども……』
『そんな罰当たりなことできねえべ!』
唐突に景色が暗転し、火の海からのどかな農村風景へと変わる。
ただしひそひそと話し合う村人たちの様子は決して穏やかではない、心なしか住居の数に比べて人が足りない気もする。
『どうする、神様は……おらだづを救ってくれねど』
『そげなことはね! 祈りが……信じる気持ちが足りねえだけだ!』
『だっども集まって祈ればお上に見つかる……』
『――――作ればいい』
堂々巡りで先に進まない村人たちの話し合いに、幼い声が割って入る。
声の主は先ほど亡骸に縋りついていたあの少女だった。 泣き腫らした目は赤く腫れ、充血した瞳は暗い決意に燃えている。
『作ればいい……信仰を、新しい祈りを……この村だけの形で神様を信じるんだ』
『つ、作るたっておめえ……』
『声に出したら駄目だ、木像も見つかる。 もっと簡単で誰にも知られない……見るだけでいい、それだけで私たちを助けてくれる神様を!』
少女の勢いは止まらない、狂気に染まってまくしたてる彼女の言葉は周囲の大人たちすら怯ませている。
『見たものすべてが救われる、そんな神様のためなら……この身だって、捧げてやる……!』
「……そういうことですか」
神への信心――――などではなく、たった一人の少女が燃やした復讐心。
この厄介な呪いの元凶は、ここから始まったのか。




