神交遊戯 ②
「ひょえっ……」
おかきの背筋に冷たいものが走る。
思い出すのはかつて画竜点睛事件での一幕、暴走したウカはおかきを玩具のように弄んだあの記憶。
反射的に体が硬直してしまい、その隙を縫うように掌からヒョイと短刀が奪われる。
「うふふ、悪い子やなぁ。 こないなもんでうちのこと傷つけようとしてたん?」
おかきの真横で刀が鞘から引き抜かれ、その刃がたちまち朽ち果てていく。
そして神々から貸与された現状唯一の対抗策は、おかきの目の前であっけなくチリと化してしまった。
「新人ちゃん新人ちゃん新人ちゃん! やばいやばいやばい下がって下がって!」
突然の出来事にフリーズしてしまったおかきを一息の間に引き剝がし、“元凶”から距離を取る忍愛。
その表情は以前にウカが暴走してしまったときよりも、絶望的に蒼い。
「し、忍愛さん……あの、ウカさんの尾は……?」
SICKではウカの神力に対し、ある対応マニュアルが策定されている。
内容としては至ってシンプルで、人格が神に近づくほど増える尾の本数を参考にするというもの。
「1~2本」は許容内、「3本」はSICKの許可が必要、「4本」は要警戒、「5本以上」は生死を問わない制圧が許可される。 現在のウカの本数は――――
「――――6本……ボクの目がおかしくなってなきゃね……」
「……ふふふ。 やーまーだぁ、うちの玩具勝手に盗らんといてやぁ」
「ヒエッ……新人ちゃん、ボクの命を守るために人身御供になる気は?」
「ないですよ! 目を覚ましてくださいウカさん!」
「無駄だぜ、俺様のシュートは完璧に入った。 ありゃ半日は目ェ覚ませねえぜ」
「なに自慢げに語ってんだ、貴様のせいだろうがクラウン!」
「んー……目ぇ覚ます言われてもなぁ、ウチは“こっち”が自然体やさかい。 またキュークツなんはごめんや」
おかきの懇願もどこ吹く風といった様子で、ウカは大きく伸びをする。
神に近づいたことで成長した肢体に合わせるようにその装いも変化し、巫女服だった布地も今や白無垢のようなデザインとなっている。
いわば“狐の嫁入り”……などという洒落が過ったおかきの横では、仕立て神トリオが3人そろって何度も力強く頷いていた。
「ちょっとチヂヒメさん、刀壊されましたけど予備はないんですか?」
「はっ! しまったついあまりの尊さで意識が……すみません、我々に分け与えられた力ではあの一本が精いっぱいでございます!」
「じゃあもしかして、正攻法でパイセンをやっつけるしかないってことぉ……? えぇー……」
短刀を失ったことで泣く泣く覚悟を決めた忍愛は大きくため息を零し――――たように見せかけ、隠し持っていた手裏剣を手首のスナップだけで弾き打つ。
しかし弾丸よりも早く飛来する手裏剣はウカに触れる前にたちまち劣化していき、その白無垢に触れることもなく風化してしまった。
「わーんやっぱ効かない! やっぱ逃げよう新人ちゃん!」
「嫌やなぁ、口でも文句言っても抜け目ないわぁ。 ほなお仕置き」
「へっ? なに!? なに!?」
ウカが空を指先でなぞると、それが合図だったかのように光の金魚たちが一斉に忍愛へ襲い掛かる。
あまりの数に忍愛の姿が埋もれてしまったのは一瞬。 すぐに金魚たちが散り散りになると、浴衣の袖から黒い錆のようなものがボロボロとこぼれ出した。
「忍愛さん、大丈夫ですか!?」
「いや、特に怪我も何も……ウワーッ!! クナイも手裏剣も財布の中身も全部サビクズになってる!! 嘘でしょスマホも……ギャー下着も!!!」
「うふふふ、神に逆らうとこうなるんやでー?」
「抗議しますヤタガラスさん、今のはウカさんを正気に戻すための正当な手段です! というかなぜウカさんが金魚を使役してるんです!?」
「カァ……遺憾ながらこの神域の管理者は我にあらず、人の身から神への危害はおそらく区別なく……」
「ビエエエエエエ!! ボクの数百時間のプレイデータと課金額が!! 下着だってブランド品だぞ!!」
「忍愛さん、今真面目な話してるのでちょっと静かに!」
「被害者なのに!?」
「オートで迎撃するセキュリティってことですか、なら神域の管理者……天照大御神に頼んで設定を変更してもらうことは?」
「……神域の主を伝えてはいなカァったはずだが」
「本殿で出会ったのも天照大御神の分神でしょう、さすがに気づきますよ。 もう一度あの方に掛け合うことは?」
おかきの願いにヤタガラスは首を横に振る。
焦るおかきがなぜかと声を荒げるより先に、横に立つチヂヒメがおずおずと口を開いた。
「せ、僭越ながら……神域の権限を書き換えるとなると分神では力が足りませぬ」
「せやなぁ、本体に頼んだら聞いてくれるんとちゃう? せやけど天戸祭のどこにおるんやろか」
「……天岩戸の逸話、ですか」
クスクスと嗤うウカが見上げる空には、満天の夜景が広がっている。
天岩戸の逸話では、怒ったアマテラスが岩戸に引きこもったせいで空から太陽が失われた。 天戸祭がその名の通り、有名な逸話を準えているならば……
「然り。 主神は祭りが最も賑わうその時まで御身を隠す決まり故」
「えぇ……一番偉い人なのに楽しめないとかなんか不憫じゃんね」
「うふふ、どないする? 頼みのヤッパは粉々、神サンはご退場、下手にウチに手ぇ出すと天罰覿面、進退窮まったなぁ」
6本の尾を機嫌よく振りながら、ウカノミタマはおかきを試すように見つめて嗤う。
彼女にとっては遊びに過ぎないのだろう、それでも神格が居座る限り“稲倉 ウカ”は帰ってこない。 短刀を奪われた失態におかきは唇を嚙む。
「ウチはな、もう戻りとうないんよ。 窮屈で狭苦しくてなーんもおもんない、せっかくの機会やさかい、1000年は好きにやらせてもらおか」
「……ヤタガラスさん、この状況はあなたたちにとって望んだものではありませんよね」
「甚だ遺憾である。 かの御方は祭りの秩序を知らぬ身、ましてや我々の手落ちで荒御魂のような振る舞いをするとあらば……」
「本神からどんな処罰が下されるか分かったものではありませぬううううう!! どうにか、どうにかしてかの御身をお静めなさらねば!!」
「それなら協力してください、この祭りを成功させるために」
「新人ちゃん……何か思いついたの?」
「ウカさん、あなたに勝負を挑みます!」
「ふふ……なぁに?」
ウカノミタマは相変わらず実に楽しそうな機嫌のまま、国が傾くほど妖しい瞳でおかきをじっと見つめる。
彼女にとって藍上 おかきは玩具でしかなく、記憶を共有しようともそこにウカのような情や絆はない。
「退屈だというなら、思う存分楽しませてあげますよ! この――――スタンプラリー早埋め選手権で」
「スタンプラリー早埋め選手権」
玩具だからこそ――――この人間は、自分を楽しませてくれるのだと期待しているのだ。




