稲荷のお成り ③
「うぎぎぎぎ……! こ、この……大人しくしとけやァ……!」
ウカは独り、参道から外れた鳥居の影で悶えていた。
体調が悪いわけではない、むしろ気味が悪くなるほどに良好だ。 内なる神の力が抑えきれないほどに。
「おーいそこの神、具合悪そうだけど大丈夫? 信仰でも減ったか?」
「なんでもない、気にせんといてや……放っとけば治んねん……」
口では強がっても、そう簡単なものではないことはウカ本人が一番わかっている。
むしろ内からこみ上げてくる自我をかき消すような衝動はどんどん悪化している、おかきたちと別れてから急激に。
(油断しとった……こいつ、うちが単独行動するの待っとったな……っ!?)
ウカも雪山の経験から、神域に自分の力が引っ張られることは懸念していた。
そのため宮古野と事前に相談を交わし、ウカノミタマとしての力を抑える祭具をいくつか借り受けたが、湧き上がる衝動はウカの想定をはるかに超えている。
(祭具が機能してない……? それともこの領域の主がウカノミタマに近しい存在か……!? あかん、頭回らへん……っ)
歯を食いしばって額に汗を滲ませながら、ウカは鳥居の柱を握りつぶして必死に意識を繋ぎとめようとする。
脳裏に浮かぶのは豊穣神として讃えられ、そして恐れられた“己”の記憶。
豊りをもたらす笑顔の裏に、飢えと渇きに塗れた災いの側面――この身染み込んだウカノミタマという神の本質――――という「設定」だ。
「ざけんなコラ……うちはうちや……! 設定風情がしゃしゃってんとちゃうぞ……っ!」
気を抜けば一瞬で引っ張られそうな意識を必死につなぎとめるウカ。
そんな一進一退の拮抗を引き裂いたのは――――
「ヒューーーー!! ボールを相手のゴールにシュウウウゥーッ!!!」
「グヌヌいい加減収まれグエエェーッ!!?」
「HAHAHA! 悪ぃな隙だらけだったから狙っちまったぜぇ……うん?」
…………後頭部に蹴りこまれたクラウンの頭部、だった。
――――――――…………
――――……
――…
「えっ、ウカさんが!? でもキューさんの話だと対策はしていたと……」
「バカ者どもが、対策とは二重三重と備えてこそ意味があるのだ。 お前たちが目を離した時点でヒヤリハットはすでに起きていると思え!」
「なんでピエロの癖にボクらより真面目な話してんだろこいつ」
「けど一理はありますね、クラウンも逃げてしまったことですしウカさんと合流できればそれが一番ですが……」
血相を変えて合流した忍愛から事情を聞いたおかきはまず、手元の端末でウカとの連絡を試みたが、結果はなしの礫。
だが電波が不安定な会場で散開を選んだ自分の判断を恥じる暇もない。 万が一ジェスターの話が本当ならば、一番危険なのはウカ本人だ。
「……忍愛さん、もしこのままウカさんが神としての側面に引っ張られたらどうなります?」
「うーん、ボクも四尾以上の状態は知らないけど……たぶんパイセンとしての人格が戻ってこれなくなると思う」
「招待状は無視できなかったとはいえウカさんと離れてしまったのは私の落ち度ですね……申し訳ありません」
「まったくだ、末端の調査員がこれではSICKの理念もたかが知れてるな!」
「タメィゴゥ、僕の代わりにこいつ噛んでいいよ」
「うむ、任せよ」
「グワーッ!? 何をする貴様ァー!!」
「責任だっていうなら新人ちゃんだけが悪いわけじゃないでしょ、それに先輩だってピンピンしてるかもしれないしさ! まずは探そう、うん!」
「そう、ですね……ところでクラップハンズさんはどうしたんです?」
「(´;ω;`)」
タメイゴゥに齧られるジェスターの後ろでは、本来目がある部分から滝のような涙を流すクラップハンズが立っていた。
忍愛がおかきの合流を目指す中、ジェスターもちゃっかりクラップハンズとの合流に成功していたのである。 なおその時点から彼女は泣いていた。
「あー……その、なんだ。 我々の計画としては“神々にホラを吹きこみ人間世界に混とんを招く”というものだった」
「もうそこは自白するんですね」
「だが……クラップハンズのジェスチャーはどうやら人間への見識が乏しい神にうまく伝わらなかったようでな」
「「あー……」」
発話のできないクラップハンズにとっては身振り手振りが唯一の意思疎通手段である。
たとえば人間相手ならば「手りゅう弾を投げる素振り」は理解できるが、神ならば伝わらないこともあるだろう。
その中で「人間に関する間違った常識」を言葉もなく伝える難易度は相当なものだ。
「というかメンバーの1人がこれじゃお前らの作戦最初からガバガバじゃん、やっぱ放置で問題なかったよ」
「なんだと貴様ァー!? 私だけでなくクラップハンズまで愚弄する気か!! 」
「まあまあ、ともかく今はウカさんとの合流が最優先です。 ひとまずスタンプは忘れて捜索を開始しましょう」
「ああ、わかっ……ん? おい待て、なぜ我々が貴様らと協力する流れになっている?」
「チッ、バレたか……まあ旅は道連れ世は情け(ピエロ除く)と言いますし、そちらもクラウンを探したいのではないですか?」
「腹の内が透けているぞ貴様! 我々を集めて一網打尽に……」
――――その瞬間、いがみ合う2人の会話を遮る轟音が祭り会場を劈いた。
祭囃子をかき消し、地を揺るがすほどの衝撃に、さしもの神々も手も足も止め……皆が一様に空を見上げた。
「…………とりあえず目指すべき場所は分かりましたね」
「…………そのようだな」
神々が皆口を開けてみ上げた先には――――月まで届きそうなほど天を貫く、稲穂の柱がそびえ立っていた。




