仮説証明 ③
『クッソー逃げられたかあんちきしょうめ!! あとおかきちゃんは戻ってきたらしばらく基地で謹慎!!』
「面目次第もありません……」
「おかきだけのせいじゃないわよ、相手はもともとSICKから五体満足で足抜けするような化け物なんでしょ?」
「そうだそうだ、藍上くんはむしろわたしや宿泊客の命を救ったと言っても過言ではない! ここは譲歩してわたしと添い寝するというのはどうだろうか!?」
「何のどこを譲歩しとんねん」
『ダメダメ、上司として謹慎命令は絶対だ。 怪我が治るまでほっつき歩かせたらどこでトラブルに巻き込まれるかわかったもんじゃない!』
「「「「それはそう」」」」
「面目次第もありません……」
液体生物事件から一夜明けた潮音旅館の一室。
そこでは正座したおかきがテーブルに置かれたモニタの前で小さくなっていた。
『結果としてうまくいった、現場でしか下せない判断もあるのは分かる。 だけど無茶しすぎだぜおかきちゃん、君に掛けられた“死の予言”を忘れたわけじゃないだろう?』
「わかってます……けど、おかげで1つは消化できたかと」
感電死――――まだしびれが残っている気がする腕をプラプラ振りながら、おかきは昨晩の強烈な電流を思い出す。
冗談みたいな貰い事故だったが、バニ山の加減が狂えば全滅もあり得た。
実際におかきも三途の川底から自分を道連れにしようとする母の姿を幻視した、命の危機であったことに間違いはない。
「よかったわねおかき、もしそんな事故で死んでたら成仏できなかったでしょ」
「その時は甘音さんのところに化けて出るので慰めてください」
「ウカー! おかきがいじめるー!!」
「先にからかったお嬢が悪いで」
『ヘイヘイお叱りの言葉賜り中にイチャついてんじゃないぜ君たちぃ』
「けど元々はバニ山を連れ戻すだけの安全な任務って言ったのはキューよね、その結果がこれなんだけど」
『それはそれ! これはこれ!』
「大人って卑怯ね!」
『よくわかってるじゃないか、卑怯なのでこのまま話題を横滑りさせよう。 今回の事後処理について話そう』
宮古野とて立場上おかきを叱ったが、個人的な感情としてはそこまで怒ってはいない。 謹慎というのも無茶しがちなおかきを安静にさせるための名目だ。
だから説教もそこそこにぶー垂れる甘音をあしらい、今回の事件の顛末について話を移す。
『まず青凪ホテルの支配人だが、こちらで手配した捜索隊が発見した。 海水浴場から離れた岬で発見されたらしい』
「ああ、たしかギンイロオバケの噂が立っていた場所ですよね」
『彼はそこで“不良品”のMORPHOを廃棄していた。 どうもあの液体生物は自己増殖の過程で稀にエラー個体が生まれるようでね、人手として活用できないから不法投棄していたわけだ』
「ちょい待ちキューちゃん、ちゅうことはギンイロオバケの噂って」
『生存していた不良個体が目撃されたんだろう……つまりだ、MORPHO群体は野生化している可能性が高い』
「…………えっと、それって大丈夫なの?」
至極当然な甘音の疑問に、モニター向こうの宮古野は沈痛な面持ちで首を横に振る。
その手のエナドリの空き缶はグシャグシャに握りつぶされているところから、ホテル支配人に対する彼女の怒りは計り知れない。
『今は海洋専門チームを編成して捜索に当たっている。 だけど正直全個体の回収は不可能だろうね……』
「個体数の全容が把握できない以上は悪魔の証明ですね、本人も逃がした数は覚えてないでしょうし」
「ま、まあ弱点は電気か洗剤ってわかってるんだし捕まえるのは苦労しないんじゃない?」
『もう海洋全域に洗剤と電撃流していいかな』
「その時はうちが止めたるわ」
『まあ逃げた個体はSICKでなんとかするさ……カガチの野郎絶対許さねえ』
「まあまあ、それと潮音旅館の件ですが……どうなりますか?」
おかきの問いに、モニタの向こうで宮古野は煮えくり返るはらわたを静めて「うん」と一つ頷く。
「潮音旅館への妨害は間接的にMORPHO群体が関わっていた事案だ。 つまりSICKはこれに介入し、異常性が介入する前の経営状態まで復興する義務がある」
「つまり……経営は立て直せる、と」
『その点は大船に乗ったつもりでいてくれ、風評被害も青凪のゴシップで押し流されるだろう。 時間は少しかかるだろうが難しい話じゃないさ』
柔らかい空気が部屋を包み、おかきの肩からもほんの少し力が抜ける。
おかきとしては「SICKには関係ない話」として斬り捨てられる場合も考え、脅しも含めた交渉手段も用意していたが、使わないに越したことはない。
『ううん……なんかちょっと背中に寒いものを感じるな』
「気のせいですよキューさん、それと水月さんですが記憶処理の範囲は?」
『残念だけどバニ山とMORPHOが関わった記憶はすべて処置対象だ、範囲が大きいから君たちとの記憶も無くなるだろう』
「ううん、それはちょっと寂しいけど仕方ないわね。 あんなショッキングなこと忘れた方がいいわ」
『あとは君たちが泊まってた部屋だけどー……ここもなんかちょっときな臭いんだよね』
「と、いいますと?」
『報告によるとその部屋で幽霊騒ぎが起きていたんだよね? だけどウカっちの霊感に反応はなかった』
「せやな、あくまでうちの感覚やけどこの部屋に悪霊はおらんで」
「つまり善良な霊なら存在するかもしれないわけですか」
『あー、もしかして水月氏の守護霊やご先祖様だったのかな? 客に化けたMORPHOや青凪の工作員を追い返したのが騒ぎになったとか』
「よし報告会はこれでお開きでいいわよねキュー! ほらほら仕事終わったんだし帰りましょ、みんな荷物まとめて早く早く!」
「えっ? でも甘音さん、さっきまでまだまだ粘って海で遊ぶと言って……」
「おかき! 私たちは遊びに来たんじゃないの、仕事できたの! 事が済んだら素早く撤収するのが常識よ!!」
――――ありがとう――――旅館を守ってくれて――――
「うひゃーなんか聞こえてきたー!? ウカぁー! 助けてウカぁー!!」
「おかき、どないする?」
「まあ甘音さんも泣いてますし、帰りますかぁ……」
背中に張り付いた甘音に急かされ、おかきたちは別れの挨拶も荷物をまとめる。
潮の香りに包まれた海辺の景色は、いつも通りの変わらぬ盛況を見せている。
だが、海の底ではまだ名もなき影がひっそりと蠢いているかもしれない。 それでも、おかきたちは守るべきものを守り、消えるべき記憶を後に残しながら宿を後にするのだった。
――――――――…………
――――……
――…
『――――私、メリーさん』
「…………えぇー……?」
……なお、守り抜いた平穏もつかの間の出来事。
SICKへ戻ったおかきはまた、よくある非日常へと巻き込まれていくのだった。




