仮説証明 ②
「結論から話せば今回の件は出資者……つまり青凪ホテル側の暴走だ」
「暴走ねぇ……」
水びたしのコンクリ床に正座させられたカガチはいつもよりボリュームを落とした声で弁明を述べる。
その頬にはすでにもみじのような赤い手形が咲いており、もし適当な嘘で誤魔化そうとすれば次はグーの花が咲くことをカガチは重々理解していた。
「あの液体生物……LABOではMORPHO群体と呼んでいた、簡単に言えば粘菌とナノマシンを複合させた自己増殖可能な新生物だ」
「複合しちゃいけない組み合わせじゃないですかそれ? というか粘菌だったんですね……」
「なに、人体に害はない。 ただ体表面を覆う粘膜が破壊されると中身が脆弱でな、ゆえに界面活性剤に弱……あー、話が逸れたな」
研究者としての血が騒ぎだしたところをおかきに目で牽制され、カガチは本題に舵を切り直す。
おかきとしてはもはや終わったことの理由や経緯に興味はない、今必要な情報はこの事件の背景だ。
「青凪ホテルにMORPHOを導入した理由は単純明快、人件費削減のためだ」
「人件費ぃ……? ……いや、たしかに人手にはなるかもしれませんけど」
小山内に擬態していた個体はともかく、屋上で出会ったベルマンはバニ山の後ろでチリの山となった怪物といい、MORPHOたちの模倣能力には個体差が大きい。
学習能力は高いが、多くの個体は覚えた単語を何度も繰り返す程度の知性しかない。 接客ができる固体など一握りだろう。
「はじめは裏方で簡単な仕事を任せたり、台車などに擬態して力仕事の補助が目的だった。 こちらとしても実験体のデータを収集できるWin-Winの関係だったわけだな」
「ふむ、バニ山さんは理解した。 つまりホテルの男は欲張りだったな?」
「そういうことだ。 MORPHOは人の容姿や情動を学習できる、増殖を繰り返すうちに優秀な個体が生まれ始めた時に欲を掻いたのだ」
――――“これなら人の代わりに使える”と。
先の言葉が続かずとも、カガチが言いたいことはおかきへ伝わった。
そしてそんなおかきの表情を見たカガチもまた、言いたいことを理解して大げさに肩をすくめて見せる。
「人に成れるとわかった男が次に考えたのは優秀な人材の複製だ、同じパイを奪い合う旅館の若女将など狙っていたらしいが」
「そうか、水月さん……」
「その結末が“これ”だ、人に近づきすぎたMORPHOは人であることを命題とした。 “処理してほしい”などと奴が泣きついてきたときには時すでに遅しだ」
「……ホテルの支配人は?」
「こちらに義理も通さず1人で逃げ出した男の末路など1Byteの価値もない、SICKが網を張ればすぐに捕まるだろう。 どうせ大した情報も与えていない、好きにしろ」
こんな状況でありながらも、カガチは心底興味の失せた顔でメガネの蔓を弄っていた。
後援者が潰えたことへの不安や悲嘆、ましてや裏切ったことへの怒りすらない。
興味が湧かないものへ対する究極の無関心、これこそがLABO所長本来の顔だ。
「暴走したMORPHOの回収は若いLABOメンたちには荷が重い、ゆえに吾輩が直々にやってきたわけだ。 都合よくバニ山の反応も近かったので一石二鳥と思ってな」
「そのバニ山さんはあなたのせいで傾いていた潮音旅館の手伝いをしていたわけですが」
「なるほど、つまり水月に迷惑かけたのは巡り巡ってご主人というわけだな? 首を出すがいい、謝意は命で示すべし」
「ロボット三原則! ロボット三原則はどうしたバニ山! 吾輩主人ぞ!?」
「バニ山さん、慰謝料は命以外で支払ってもらいたいのでストップです。 この迷惑千万やかまし男にはSICKのきつい取り調べが待っていますので」
「おおっと藍上おかきよ……吾輩一応お前を助けたのだが? 情状酌量があってしかるべきだが?」
「相殺して余りある借金を背負ってるんですよあなたは」
おかきを助けたと言っても原因である液体生物はLABO由来、おかきがいなければ隠蔽工作も行われていた。
その場合、行方不明となった宿泊客たちの安否もどうなっていたかわからない。 恩があるはずだというカガチの主張は結果論に過ぎないのだ。
「ふーむ、そうか……吾輩はこの後どうなる?」
「バニ山さんとともにSICKへ引き渡します、幸い妨害電波も消えたのでもうじき迎えが来るはずですよ」
「それは困るな、よし逃げるぞバニ山」
「あいわかった、さらばだお客人」
「えっ?」
待っていたとばかりにカガチが指を鳴らしたその瞬間、2人の姿がおかきの視界から消えた。
否、消えたわけではなく落下した。 正座中のカガチとバニ山が立っていた足元が瞬時に切り抜かれ、床ごと真下に落ちたのだ。
「フハハハハ!! 油断したな藍上おかき、まさか地下2階があったとは思うまい!!」
「か、カガチ……あなたって人はぁ!!」
おかきは切り抜かれた床を覗き込んで叫ぶ。
床下には土壁が剥き出しとなった坑道が掘られており、敷かれたレールとトロッコが1台。
その中には星座のまま転がり込んだカガチとバニ山の他に、LABOのエンブレムが刺繍されたツナギを着た作業員が2人乗っていた。
「SICKに戻るなどごめんだ、あの頭でっかちどもとは話が合わん!」
「お客人、水月には突然の退職申し訳ないと伝えてほしい。 メイドは副業不可なので給料も辞退する」
「自分で伝えてください! ああもうこれどうやって降りれば……小山内先生ー!」
「待ってくれ藍上くーん、被害者たちの救助で手が離せなくて……この液体がなかなか厄介で……」
「フハハハ! アディオース!!」
勝ち誇った高笑いとともに走り出したトロッコは瞬く間に加速していく。
入れ違いで上からドタドタとSICKの足音が聞こえてくるころには、あっという間にカガチたちはレールの向こうの闇へと消えて行った。
「エージェント藍上、ご無事ですか! カガチのクソ野郎は……!?」
「……すみません、逃がしました……あの野郎ぉ……!!」
――――――――…………
――――……
――…
「……よかったのか、バニ山? お前はSICKに戻っても受け入れられるぞ」
「バニ山さんはメイドだ、つまり手のかかる方が世話しがいがある。 比べて見れば一目瞭然だろう」
「フハハそれはそうか! …………正直お前を押し付けられないかとも1割ほど考えたが」
「何か言ったかご主人?」
「いやなんでもない、それよりもこれを見ろバニ山」
敷かれたレールを走るトロッコの中、カガチは都合の悪い話題を逸らすために白衣の下に隠していた小瓶を取り出して見せる。
透明な瓶の中には、少量だが銀色の液体がトロッコの振動でチャプチャプと揺れていた。
「むっ、バニ山さんスタンガンモード……」
「待て待て待て殺すな殺すな! お前が破壊したあのケダモノ型のMORPHOからまだ生きていた組織をこっそり抜き取っていたのだ、貴重な検体だぞ!」
「ご主人は反省していないとみられる、ご所望とあらば断罪のバニ山スープレックスが炸裂するが?」
「なに、お前のせいでこれに自己増殖能力は残っていない。 持ってあと3日ほどの命だろう」
瓶の中の液体はすでに輝きがくすみ、ところどころさび付いている。
多少身動ぎのような反応も見せるが、もはや瓶を破壊する力も残っておらず、文字通り虫の息だ。
カガチの言葉通り、あとはただ死を待つだけの命――――だが、その中には値千金の情報が眠っている。
「バニ山よ、こいつは藍上おかきに執着を見せていた。 だが模倣という特性がありながらもその姿は藍上おかき本人ではなく、異形の怪物を象っていた! なぜかわかるか?」
「かっこいいから」
「かもしれぬな! だが吾輩の推測は別だ……さて」
カガチが手を差し出すと、同情しているLABOの作業員が何も言わずにその掌に聴診器を乗せる。
何の変哲もないただの聴診器、それでもダイアフラムを瓶の表面に当ててみれば、死にかけのMORPHOが漏らす最期の言葉を聞き取ることができる。
『―――――ぁ――――ぁ、ぅ――――……』
「さて、異形のMORPHOよ。 お前は何を見てあの姿となった?」
『――――ふ……た――――ふた、つ―――――……あ、った――――……』
「…………素晴らしい」
笑みを浮かべるカガチの瞳孔が蛇のように細くなる。
目論見を暴かれ、年下の子どもに張り手を喰らい、醜態をさらしながらも――――この日、カガチはおのれが持つ“カフカ仮説”の実証に1歩近づいた。




