うるせえんですよ ①
「……加減したつもりですが、まだ生きてますよね?」
「ギ……ゥ、ァ……」
ちゃぷちゃぷと水面が揺れるペットボトルを錆色の触手が叩く。
針状の先端部は何度もポリエステルの壁に突き立てられるが、乾きかけのボンド程度の強度しかない針はあえなくクニャリと折れる。
界面活性剤の影響で水道水と混ざり合ったことで、液体生物のパフォーマンスは著しく低下していた。
「会話はできますか? 私の言葉は伝わってます?」
「ァ……ァ……」
「どうやら知能指数も退化しているようですね、なら閉じ込めるだけ無駄ですし処分……」
「ァ……アァ! 話せる、何でも喋るから許して!」
「結構、次はありませんよ」
もはや上位生物という傲慢も自尊心も潰えた液体生物は両手(?)を合わせて命を乞う。
泡立つ水面と絶えず揺れる波紋は、液体生物としての恐怖と嗚咽の表現だ。 なお実際におかきへ伝わっているかは神のみぞ知る。
「よろしい。 それでは話してもらいましょうか、攫われた人たちはどこです?」
「ち……ちか……ち、地下の、格納庫……そこに……」
か細い声を絞り出すように答える。口はないはずなのに、液体は空気を震わせて言語を成す。
その声は不気味で、滑稽なほど切実だった。
「もっと具体的に。 アクセスルート、監視の有無、配置数、使える情報をください。 人を運搬する以上、液体生物しか通れないってわけじゃないですよね?」
「す、スタッフルーム……の、奥……ダストシュート……隠された通路がある……地下まで降りて、封鎖された区画……」
「スタッフルーム……なるほど、見取り図ではわからないわけですね」
おかきはペットボトルの底を指で軽く叩きながら、脳内のマッピングに情報を追加する。
彼女の中ではすでに地下へ侵入する大まかなルートが見えていた。
「人数は?」
「……に、人間……84体……機能保全のため、未使用……高価値……」
「小山内先生は?」
「す、すでに模倣済みだが……こ、個体価値を高評価……まだ、生存……」
「それで、“あなたたち”の目的は?」
「……模倣の拡張……人間の知識を吸収……効率的な社会侵入……感染性拡大モデルの試験……」
「……感染性? 仲間を増やす気ですか?」
ペットボトルを叩くおかきの指が止まる。
代わりにボトルが軽く凹むほどの力が加えられ、液体生物の液面から小さな悲鳴が漏れた。
「だ、だがまだ試験段階! 対処可能な段階だ!!!」
「それより感染とはどういうことです、あなた方はウイルスのような存在なんですか?」
「ち、違う……そんな矮小なものではない……! “模倣”ができるのは私のような一部の個体のみで、多くの同士はまだ未熟……」
「……なるほど」
液体生物には個体差がある。 おかきが屋上で出会った個体も、ベルマンを完全に模倣した者から前衛芸術の域に片足を突っ込んだ怪物と、クオリティの差が激しかった。
それらに比べてみれば、一目でおかきの姿かたちをほぼ再現したペットボトルの個体はたしかに相当優秀な個体だ。
「み、未熟な同士は……人間の体内で“学習”のプロセスが必要になる。 脳や神経に浸潤し、情報を学習し……最終的に乗っ取り、入れ替わる……これが我々の感染性拡大モデルだ!」
「つまり人間にとって百害あって一利なしの危険生物ですね、このまま電子レンジでチンしましょうか?」
「や、やめろッ!! 案内する、連れていく、同士を避ける道も全部教える! 絶対裏切らない! 信じて!」
「簡単に同士を売る相手は信用しませんよ、保険ぐらいはかけておきましょう」
おかきは上着の内ポケットからおはじきのようなものを取り出すと、裏面の保護シートを剥がし、ペットボトルの底面に張り付ける。
「機密保持用の焼却装置です、私の生体反応と同期しています。 もし私が死ねばその瞬間、超高温の火柱でエージェントの遺体を焼き尽くすそうですよ」
「ひっ!? は、剥がせ! 危ない!!」
「剥がしませんよ。 もしあなたが虚偽の情報を吹き込み、私が死ぬようなことがあれば……」
「騙さない! 絶対に騙さない!!」
なお、おかきの言葉はすべて嘘である。 貼り付けたのはただの発信機で、焼却などという危なっかしい機能はない。
だが見極めるための知識もハッタリを見抜く常識も持ち合わせていない液体生物は、まんまと騙されて液面をバチャバチャと震わせる。
「信用は働きで得てください、では道案内をお願いします」
「はいぃ……」
知性を得ても、ありもしない罠に怯える愚直な本質は変わらない。
もし液体生物たちがアリのような個を持たない社会性ならこうはならなかった。
“彼”の不幸は人間という知生体を知り、その構造をまねて死を恐れるほどの自己を確立してしまったこと。 そして人間から「悪意」というものを学べなかったことだろう。
――――――――…………
――――……
――…
「ここ……ここです……」
「ご苦労、あなたのおかげで誰ともエンカウントしませんでした」
「じゃ、じゃあ……」
「もちろん最後まで付き合ってもらいますよ、ここから先は静かにしてくださいね」
「ひいぃ……」
ダストシュートから見つけた秘密の通路を潜り抜け、地下へと繋がる扉をおかきは音もなく押し開ける。
中は広大な地下空間だった。 ホコリとカビを帯びた空気に銀色の粘液の臭気が漂い、無数の繭が天井から垂れ下がっている。
人の出入りを想定していないのか、照明は古ぼけたものがチカチカと点灯しているのみ。 とてもこの広大な空間を照らす光量はない。
「なるほど、電気が止まっていないのは地下の空調設備を生かすためですか……全員、生きてはいるようですね」
銀色の液体が人間の身体を包み込むように球形を成した繭の中には、内側にうっすらと透ける人の姿が見える。
まるで赤子を守るお包みのように、何十人という人影が規則的な寝息を立てていた。
「……これが、“未使用”の人間……」
おかきは一歩踏み出し、素早く視線を走らせる。
名前も知らない人々、学生服を着た少女、スーツ姿の男、年老いた老夫婦、誰もが目を閉じ、ぴくりとも動かない。
そして辛うじて血の気を保った人々の中、おかきの目は目的の人物を見つけ出した。
「……小山内先生!」
手元の液体生物が化けた姿と同じく腕を負傷したまま、繭に囚われている小山内の姿に息を吞むおかき。
傷は致命傷には程遠く、液体が巻き付いて止血処理も行われている。 すぐに病院へ運べば命に別状はないだろう。
逸る気持ちのまま早く助けようと一歩を踏み出し――――そのとたんに猛烈な悪寒が背筋を迸った。
ペットボトルの中、脅迫に屈して震えていたはずの液体生物が凪いだ海のように落ち着いている。
「……っ!!」
感じた違和感に従い、おかきは反射的に小山内を捕らえる繭目掛けてペットボトルを投げつける。
想定外の事態に中に入った液体生物が短い悲鳴をあげる。 放物線を描いて飛んでいくボトルはまっすぐ繭に向かって飛び――――小山内の元へ届く前に、天井から滴り落ちた巨大な液体に飲み込まれてしまった。
「ま、待て! 同士、違う! 仲間だ! 止めろ、食うな、私を食うなあああああああああああ!!!」
「…………なんですか、これは」
液体生物の断末魔とともに、ペットボトルがひしゃげる音が地下に反響する。
まるで咀嚼するように蠢いているのは、おかきが今まで見た中でも最も巨大な銀色の液体。
『―――オ゜……オ゛……オ、ガ、ギィ……』
「まさか……あなた、屋上の……」
同士を飲み込んだ液体は天井に届くほどの体積を窮屈そうに、あるいは歓喜に身を震わせるように、名状しがたい獣の形を形成し始める。
悍ましい執着を表す拙い声色で、おかきの名前を呼びながら。




