青凪ホテル電撃戦 ⑤
「そうか、この個体は優秀だな。 お前のような人間に警戒されない」
「う……ぐっ……!」
まとわりつく銀色の液体がおかきの首を絞め上げ、その小さな体躯を持ち上げる。
気道を塞ぐほどの圧迫感はないが、それでも自重を首だけで支える負担がおかきの呼吸を閉塞させる。
「いつ……から……?」
「お前たちがホテルに侵入したときにはすでに。 あのイカれた鉄人形も今ごろ回収済みだろう、あとは海に捨てれば二度と浮かんではこない」
小山内の仮面をかぶった銀色の生き物は、勝ち誇ったように語り始める。
その言動は今までおかきが見たどの液体生物よりも流暢だ。 擬態を利用しておかきを騙した点も含め、明らかにこれまでより知性が発達している。
「人間は脆いな、この細い首を切断するだけで生命活動が停止する」
「それ以上、小山内先生の顔で……喋るな……!」
「理解できない要求だ、だが気にするな。 この顔はもうじき捨てる」
液体生物はぐにゃりと顔面の表皮を剥がすようにして、小山内の顔を溶かす。
溶けた銀がしたたり落ち、代わりに現れたのは、鏡写しのようなおかきの“模倣”だった。
「次はこれだ、君の容姿はコンパクトで扱いやすい。 とても効率がいいデザイン性だ」
「なんですかこのやろう……!!」
液体生物としては褒めたつもりだったが、おかきとしては許しがたい侮辱に拳を振るうが、悲しいことにコンパクトなリーチでは全く届かない。
「怒っているな、理解できないがその機序もすぐに模倣しよう。 君の動き、言葉、仕草。すべてを取り込む。 オカキ、君の知性もだ」
「私の模倣……して、何をするつもりですか……?」
「あの忌々しい旅館に、まだ仲間がいるな? お前の顔ならさぞ油断してくれるだろう、あの狐もきっと」
おかきを模した愛らしい顔が醜い“笑みの模倣”を浮かべる。
液体生物たちはこれまでの出来事を学習・共有している、旅館での一幕も。
その光景の中にいたウカの存在は、「電気」を天敵とする液体生物たちにとっては目下最大の脅威だった。
「そんなこと、させるわけが……!」
「そんな格好で何ができる? だがお前はすぐに殺すわけではない、お前の知性は我々の学習に使わせてもらう。 地下にいる連中と同じく――――」
「……ああ、地下に拉致した人たちがいるのは本当なんですね。 もう結構です」
「はっ?」
演技を辞めたおかきに液体生物は目を丸くする。
皮肉にも一番人間らしい反応を見せた液体を襲ったのは、模倣した腹部に打ち込まれた耐えがたい衝撃だった。
銀色の飛沫が飛び散り、液体生物が長い廊下を転がる。
急な慣性に置いて行かれた四肢は伸縮性の限界を超えて千切れ、おかきの首に巻き付いていた液体も本体との接続が切れたせいか、形を失って床のカーペットへと染み込んでいった。
「あー苦しかった……やはり人間を模している部分は物理攻撃が効くんですね」
「……!? っ……!? !?」
上下の感覚を見失うほど床を転がった液体生物の身体はほとんどがカーペットに吸収され、ようやく停止するころには泥団子ほどのサイズに縮んでいた。
そんな声を出すための体積すらない危機的状況の中、液体生物はなおも混乱していた。 自分の身に起きたことが分からずに。
「バニ山さんのおかげですね、勝手に拝借しましたが……て、展開すると重量まで増えるとは……」
おかきはぐらりとよろけながら、その身長よりも巨大な鉄塊を引きずる。
それは充電中のバニ山が装着していた金属部品、スイッチ1つで展開される携帯式の盾。
おかきはそれを液体生物の腹部に押し当て、スイッチを押下した。 その結果、勢いよく展開された盾が液体生物へ杭打機のように刺さり、おかきから引きはがしたのだ。
「……ぁ……ぃ、ぃっ……?」
「割とすぐに、決定的なのはあなたが私が救助に来たことを“嬉しかった”と言ったときです」
だが、そんな盾など咄嗟に構えられるものではない。
だから液体生物は疑問を唱える、“いつから怪しんでいたのか”と。
そしておかきはその疑問に答える、“はじめからだ”と。
「小山内先生は私たちに逃げろと言ったんです、なのに私は指示を無視して助けに来た。 怒りはしても喜んで受け入れるわけがないんです」
「ぁ……ぅ……」
「おまけにあなた、私のカマかけに引っかかりましたよね? 小山内先生は現役公安じゃありませんよ、元公安の現ロリコンさんです。 詰めが甘かったですね」
見下していたはずの生物が見下ろしている。 歯があれば折れんばかりに食いしばっていたであろう屈辱の中、液体生物はただその身を震わせる。
重い盾を引きずりながら近づくおかきが自分の射程内に踏み込む瞬間を、心焦がして待ちながら。
「……で、私が近づいたらまた串刺しにするつもりですか? その体積だとあと一歩で間合いですよね」
「……!?」
身体を硬化させて貫く、その間合いの一歩外。 おかきは盾に身を隠しながら液体生物目掛けて何かを投げつけた。
放物線を描いて飛来するそれを迎撃しようとするが、針を突き出そうとする液体生物の身体が硬直する。
飛んできたものは液体で満たされたペットボトル、脳裏をよぎるのは不用意な攻撃で感電死を招いた同士の最期――――
「ちなみにあなたたちって……不純物が混ざるとどうなりますかね?」
「――――!?」
思考もまとまらず、避けることも受け止めることもままならないまま、液体生物はペットボトルの内容物をその身で浴びる。
不思議と泡立つその水の正体は、市販の洗剤を混ぜたおかきお手製シャボン液。
液体生物は何が何でもこのペットボトルを避けるべきだった。 自分たちにとって電撃以上の“猛毒”が含まれたそのペットボトルを。
「……!? ア”ア”ア”ア”ア”ア”ッ!!?」
液体生物が絶叫にも似た音を上げてのたうち回る。
銀色の表面が泡立ち、見る間に鈍い艶を失っていく。
その身体は波打ち、崩れ、元の滑らかな液状構造を維持できず、まるで溺れるように床を這いずり回った。
「界面活性剤です、水と油すら馴染ませる便利な代物ですよ。 あなたが水銀のような金属性質を持つなら効かなかったでしょうが、成分はすでにSICKが分析済みでしたから」
おかきの目が細められる。敵の苦悶を冷静に観察しながらも、その手にはすでに“最後通牒”が握られていた。
何の変哲もない、ミネラルウォーターの空ボトル。 罠を張る際に念のために持ち出しておいた、ただの容器だ。
「動けないですよね? その体じゃ逃走も擬態もできないはずです」
液体生物は呼吸こそしないが、何かを求めるように床を伝ってジリジリと後退する。
だが今の姿ではただの泡立つ粘液――水との境目が曖昧になり、もはや自分が何者だったかすら霞んでいく。
「ッ……ア……アァ……ッ……!」
液体生物は抗うように身をよじるが、表面活性剤の効果は絶大だ。
自身の身体が保てない以上、分裂も変形もできない。
もはや唯一の生存手段は、おかきの差し出す“牢獄”に逃げ込むことだけ。
「10秒あげます、次は粉末タイプを直にいきますよ。 10、9、8……」
おかきの無情なカウントが告げられる、もはや選択の余地などはない。
数秒の葛藤、へし折られた自尊心。 粘り気のある波が、自らを丸めるように差し出された容器の中に沈んでいった。
「そうそう、いい子です」
文字通り、液体生物を掌で転がしたおかきはキャップのフタをぎゅっと締める。
悪魔め、とポリエステルの檻に囚われた液体はこの生物を心中蔑んだ。




