ギンイロオバケの怪 ①
「見つけたぞ世界の歪み! バニ山さんの目は誤魔化せない、神妙にお縄に着くがいい!」
「あだだだあだだあだだだ!? なになになに!?」
「わーわー待った待った! 何事ですかバニ山さん!」
おかきたちが急いで陸まで戻ると、人だかりの中心ではバニ山が見知らぬ男にキャメルクラッチを決めているところだった。
「おお、お客人。 見ての通り今諸悪の根源にメイドの鉄槌を下している」
「見ても何もわかりませんが?」
「諸悪の根源って、こいつが旅館に悪さしてた犯人?」
「うむ、水月たちの悪評を振りまいていた」
「は、ハァ!? ちげえって俺はただ事実をアダダダダ!!!」
「ほーん、その言い方やと心当たりはありそうやな?」
「……な、なんのことだよ」
図星を突かれた男は自分の顔をのぞき込んでくるウカから視線をそらす。
しかし顔だけ背けたところでバニ山の締め技は完璧に決まっているため逃れることはできず、むしろ往生際が悪い男を一層締め上げるばかりだ。
「いででででやめろイデデ!! み、みなさーん! 暴力を振るわれてます、潮音旅館のスタッフから暴力を受けていまーす!!」
「何言うてんねん、暴力どころか指一本触れてへんわ」
「は、はぁ!?」
男からすれば、自分はバニ山から完璧なキャメルクラッチを喰らっている……はずだった。
だが周りから見た彼は、ただ1人で背中を反らせて意味不明の悲鳴を上げているだけの滑稽な狂人にしか見えない。
バニ山はとっくに極め技を外しており、男を今苦しめているのは物理的な攻撃ではなく、ウカの幻術によって思い込まされているだけの錯覚だ。
「もーあかんであんちゃん、昼間っから酔っぱらって! ほらほら人様に邪魔になるから退いた退いた!」
「ひっ……ひゃ、ひゃめろぉ……なんだぁ、どうなってんだ俺ぇ……!?」
自分の異常な状態に気づいた男はとにかくその場から逃げようとするが、足はまるで酩酊しているかのようにたたらを踏み、立ち上がろうとするたびに転んでしまう。
頭はさえているのに呂律は回らず、身体が言うことを聞かない。 そんな道の今日はすぐに男の顔色を蒼く染め、目の前に立つ少女を化け物に思わせた。
「なんや、狐に化かされたような顔して? ちぃと酔い覚ましに海でも行こか? ん?」
――――――――…………
――――……
――…
「ウカ、何かわかった?」
「ダメや、金で雇われたバイトやなあれ。 なんぼ叩いたって本丸の情報は出てきぃひんわ」
「殺してないですよね?」
「うちもさすがにそこまで鬼ちゃうで? バニ恵もご苦労さん、助かったわ」
「お安い御用だ。 お客人も大儀であった、ぶい」
男の不幸は1つ、自分を拘束した連中が拷問に迷いを持たなかったことだろう。
ウカの手によりシバかれた男はそれはもう骨の髄まで情報をゲロり尽くし、挙句海辺近くの岩場に投げ捨てられた。
「ナンパついでに旅館の悪情報を流布、そのままホテルに宿泊客を連れてきたら追加ボーナスの進呈、ねぇ……これもうほぼクロよね」
「せやけど証拠がない、うちらとあの男が勝手に言うとるだけって言われたらそれまでや」
「半端な行動はむしろ潮音旅館の立ち位置を悪くします、反撃は慎重に証拠を固めてからにしましょう」
「ほなあの男はどないする? このまま海に流したろか」
「不法投棄はダメよ、放っとけばそのうち目を覚ますでしょ。 ウカにやられたって言っても誰も信じないだろうし」
「悪い評判はギリギリ酔っ払いの妄言ということでうやむやにできました、それで良しとしましょう。 しかし青凪ホテルは何が目的でこんなことを……」
真っ先に考えられるのは経営上のライバル潰し、だがその方法があまりにも過激すぎる。
旅館への妨害行為は犯罪の域に足を踏み入れている、もし関与が判明すれば青凪ホテルも無事では済まない。 あまりにリスクが高すぎる。
(もしくは青凪は一連の事件と関連が無い……? いや、そうなると犯人の目論見が分からない。 ホテル関係者個人の暴走……あるいは潮音旅館の自演工作という線もまだ……)
「おかき、スマホ鳴ってるわよ?」
「っと、すみません……飯酒盃先生からですね」
首から下げた防水クリアケース内で震える端末画面には、短く「飯酒盃」の表示が点灯している。
急いで取り出して通話に出ると、いつもの酔いどれた調子ではなく、SICKエージェントとしての真面目な声が耳に届く。
『もしもし、藍上さん? 今話しても大丈夫?』
「大丈夫ですよ、諸事情により人混みからは離れていますし皆さんも一緒です」
『なーにがあったのかなぁ……まあいいや、こちらも例の液体についてSICKからレスポンスが帰ってきました』
「聞かせてください」
波風の音が入らないようにおかきはタオルでスマホを包み、岩陰に移動する。
そして通話の向こうにいる飯酒盃は数秒黙り込んだのち、声の調子を変えてきた。
『単刀直入に言います、あれはただの水銀じゃないわ。 構成要素はよく似てるけども』
「ほむ、やはりですか」
『えーとね、まずキューちゃん製の分析装置にかけて成分データだけSICKに送ったの。 それを見たキューちゃんがすぐに“これはもっと有機的ななにか”だって』
「有機的……もしかして生きているってことですか?」
『かもしれないし、何かの死骸だったのかもしれない。 詳しいことは液体そのものをSICKに輸送中だから、ただ先にこれだけ伝えたかったの』
「わかりました、ウカさんたちにも伝えておきます」
『お願いね、あとまた同じ液体を見つけてもう迂闊に触らないように。 それじゃまたあとで』
必要事項だけ伝えると、飯酒盃との通話はすぐに閉じられた。
暗くなった画面に映った自分と目が合ったおかきは、無意識に険しい表情をしていたことに大きく息を吐いて顔をほぐす。
「ギンイロオバケ……謎の液体……そして青凪ホテル……これらの点は偶然で片付けていいものか……」
ふと大きく風が吹いた。 波音が、ざわりと重くなったようにまとわりつく。
まるでその先の答えを拒むかのように。
「おかき、今の電話飯酒盃ちゃんからやろ? なんて言うてたんや」
「そうですね、皆さんにも共有しておかねば。 実はですね……」
おかきは気づかない。 目の前の仲間たちと、頭の中でめぐらす思考に気を取られていたせいで。
ウカたちも気づかない。
自分たちの背後の岩陰で倒れている男の耳から、銀色の液体がズルリと這い出て、海に還っていったことに。




